Book2

□八、雪の着物に迫る影
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「心配したんだよナミ」
「ごめんなさいおつるさん」


烏天狗との邂逅から一夜明け、早朝に娘の家を訪ねて来た老婆は咎めるような物言いをしましたが、その言葉には娘を心底心配する気持ちが込められておりました。この老婆こそ、お年の割には頑強な身体と卓越した指導力を持つ村の長老で、娘を唯一可愛がってくれる存在なのでした。


「一昨日はお前の誕生日だったじゃないか。夜になっても帰らないし、昨日も昼間覗いたんだが居ないようだし、あたしゃあんたが物の怪にでもかどわかされたんじゃないかと」
「……………あはは、まさか、そんな。あ、私、そういえば誕生日……」
「なんだい、この子は。自分の誕生日くらい覚えておおきよ。ほら、これを」


老婆の冗談はほとんど事実そのものでしたので、娘は冷や汗をかきましたが、なんとなく真実を告げるのははばかられました。それよりも、手渡された風呂敷包みの方に完全に気を取られたのです。


「わあ……!」


それはたいそう美しい、純白の衣装でした。この村は貧しく、婚礼の際も豪華な花嫁衣装は用意出来ないのが普通です。だからこそこの雪のようにまっしろな着物は、いつも身に纏うものよりほんのすこし立派なつくりというだけのものでしたが、各家庭で大切に大切に受け継がれているものなのでした。


「あんたのお母さんのものだよ。あんたももう十六だからね、あたしが仕立て直して、いつでも着れるようにしといたのさ」
「おつるさん……」


間違いなく村一番の、きっと都に出ても並み居る美姫に引けを取らない美貌の娘ですのに、妖の血を引くなどという根も葉もない噂のせいで、嫁に貰おうという者が現れないのは明らかなことでした。それでも年頃の娘の幸せを願う老婆の想いに、娘は思わず涙ぐんで、何度も何度も礼を言うのでした。




その夜。
何度も着物を眺めてはそわそわしていた娘は、誘惑に勝てず、そっと着物に袖を通していました。姿見も何もない家では、自分の首の動く範囲でしかその着物姿を楽しめませんでしたが、老婆の気持ちと今は亡き母の在りし日の晴れ姿を想って、娘はいつになく心踊っていました。


一陣の風がごう、と音を立てて古い家を揺らしたのは、その時のことです。
 

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