Book2

□七、ぬばたまの闇を切り裂いて
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どうにも昨夜から、一生分のお喋りをしたような気がいたします。村で娘とまともに会話をしてくれるのは長老の老婆だけでしたので、三日誰とも口を聞かないこともざらなのでした。
お喋りな妖狐と話すのは楽でしたが、なにしろこの烏天狗は相槌もろくに打たずその鋭い視線だけで話の先を促すので、娘がようやく一息ついた時にはもう日は沈み始めておりました。


(…また帰れなくなっちゃう)
「娘」
「は、はい?」
「名を、なんという」


その問いは、どちらかというと序盤に聞かれるべきものでしたが、娘は素直に名前を教えました。そして、お返しに同じ質問をしたりはしませんでした。妖狐が最後まで名を明かさなかったように、妖にとって名前を教えるということにはなにかしら重大な意味があるのだろうと、なんとなく感じたからです。


「すっかり暗くなってしまったな。ナミ、家まで送ろう」
「あ、ありが」


とうございます。と続ける前に、娘は烏天狗に抱き上げられておりました。わたわたする娘に、しっかり掴まっておれ、と言うと、烏天狗はその漆黒の翼を広げて、あっという間に崖から飛び立ったのです。


「わあ………」


上がったのは恐怖ではなく、感嘆の声でした。風を切る感覚に、闇夜に浮かぶ星屑に、闇に溶け込むように暗く美しい羽根に。烏、というよりは鷹のごときその雄大な飛翔に、すっかり娘は心奪われて、みるみる小さくなる崖を見つめていたのでした。


「ここでよいか」
「はい、ありがとうございます」


村のはずれのちいさな家の前に、二人は降り立ちました。娘は生まれてはじめて、こんなさみしい場所に家があってよかった、と思いました。烏天狗に抱えられて空から降りて来たところを村人が見たら、きっと泡を吹いて卒倒してしまったでしょうから。


「……永く、生きてきたが、こんな日が来るとは思わなかった」
「え?」
「娘……ナミ。我が名を授けよう。困難に遭いし時はこの名を呼ぶのだ。そなたの元に必ず駆け付けよう」


妖狐と同じく、非常に仰々しい感じで名前を名乗った烏天狗に、またもや娘はこくこくと首を振って、その名を深く心に刻んだのでした。
 

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