Book2

□六、夜と云う名の
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近道、と彼は言った筈です。
着いた先は崖の上。ええ、確かに下の方にちいさく村が見えますけれど!ここから飛び降りれば近道だとでも言うのでしょうか。


娘はふと、あの妖狐のことを思い出しました。何事かあれば名を呼べ、と彼は言いましたが、迷子ごときの事態にあの偉そうなひとを呼び出してよいものでしょうか。それに忙しいとも申しておりました、やはりこの窮地は己の手で切り拓くべきです。幸い昨夜と違いまだ日は高いので、なんとかさっきの道に戻って…。




「はて面妖な」


娘が立ち上がり意気込んだのと、ばさり、と大きな羽音がしたのと。低い男の声が響いたのは、どちらが先だったでしょうか。


「いたいけな人間の小娘かと思いきや、内に宿りし妖気を感じる。それにその身に残る、見知った狐の匂い……そなた何者だ?」


声の主は、またもや見慣れぬ大男でした。妖狐よりは随分背丈も低いと見えましたが、その威圧感と背中に生えた漆黒の翼が、彼の存在を何倍もおおきく見せていたのです。しかし娘が返事を出来ずにいたのは、昨日に続いてひとでない存在に相見えたからでも、獰猛な金の瞳に射竦められたからでもなく、喉元に突きつけられた十字の黒刀に宿る、夜を閉じ込めたかのような輝きに魅了されたからでした。


「……面白い娘よ。我が姿やこの黒刀に恐怖するのでは無く、『夜』そのものに惹かれるとは」


そのひとはフッと口元を歪めると、まさしく濡れ羽色の翼を畳み、その切っ先を背中の鞘に収めました。
娘はそこでようやく、自分が如何に美しいものにしか興味が無いか、そしてそんな趣味を発揮している場合では無かったことと、あやうく喉を掻き切られるところだったことに気が付いて、へなへなと座り込んでしまったのです。


娘は、そのひとーーこれまたどう見ても人間では無さそうですがーーに問われるまま、事の顛末を話しました。下の村に住んでいること、身寄りが無いこと。妖の血を引くという噂があるが自分では普通の人間だと思っていること。昨夜、何故だか山の奥に引き込まれたこと。妖狐に出逢って、助けてもらったこと。帰ろうとしたら迷子になったこと。


男の鋭い眼光の前ではなにもかも晒け出さなければならないような気がして、娘はひたすらに話し続け、男にも幾つか質問をしましたが、明確にもたらされた情報は刀の名前と、彼が烏天狗と呼ばれる妖怪である、ということだけでした。
 

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