それでも毒舌芸人が恋人です。
□掴んだ腕
1ページ/1ページ
いつの間にか、結構好きになってた。
魅力的な人にたくさん会ってきた自信はあるけど、なんでだろう、頻繁に会えるわけではないのに、会うたびに気持ちは確かになっていく。
初めて二人きりの食事に誘ってくれたのは、社会人一年目のあの日に言葉を交わしてから4年も経った頃だった。
実は前からかっこいいなくらいには思ってたんだけど、現実的に付き合うとかそういうのは、考えたこともなかったというか。
お酒が入るまではあんまりおしゃべりじゃない有吉さんと二人で少し不安だったけど、いざ二人になると意外に話が弾んだ。
有吉さんと二人で話すことなんて私は全然想像できてなかったけど、彼は終始楽しそうにしていて、私は肩をなでおろした。
「有吉さんって、みんなといるときとは少し雰囲気違いますね。」
「そうかな?まあ、仕事仲間がいると、完璧にはオフになれないしね。」
「えー?じゃあ今は完璧にオフなんですか?有吉さんがそんな私に気を許してるなんて信じられないんですけど。」
私は少しだけ悪態を付いた。
「え、あ、そう言われると…」
「冗談ですよ。なんか違う有吉さんが見れて嬉しいんです。」
みんなが知らない一面を見れるほど嬉しいことはない。
「俺が裏表あるみたいに言うなよ。そういえば、時間平気?」
有吉さんが携帯の画面を見た。
「あ、そろそろ。」
「出よっか。」
有吉さんが腰を上げた。
お酒が入ってたせいか少しだけ見とれた。
財布を出してみたものの、やんわり断られる。
「ごちそうさまです。」
付き合ってるわけでもないんだからいいのに、と思いながらも、業界の人だから仕方ないと考えた。
「タクシー拾うわ。」
「え、でもまだ全然電車ありますよ…」
「送っていきたいから。」
お酒で微かに充血した目に私はどきっとした。
「すみません。」
会った瞬間から途絶えなかった会話がここに来て出てこない。
うわー…何話してたっけ。
わかりやすく焦る私。
そうしている間にすぐうちについてしまった。
早い!でも助かった。
「じゃ、じゃあ有吉さん、失礼しま…」
私は車を下りて有吉さんのそう言おうとすると、彼は運転手さんにお金を払っていた。
「え?」
彼はそのまま下りてきた。
目を見開いてる私を有吉さんが見下ろした。
「あ、降りちゃった。」
「は?」
え、間違えて!?
天然?わざと?どっち。
タクシーはもう発進していた。
「電車で帰るか。」
有吉さんが髪をくしゃくしゃと掻いた。
それから、また有吉さんは私に視線を戻し私の顔をぼーっと見ていた。
なんかついてるかな?
夕方から化粧直ししてないけど。
「あのさ。」
「はい。」
「いつもいい匂いするよね。」
「へ?」
人通り少なめの歩道で向かい合ってるだけでもちょっと恥ずかしいのに、そんなこと言われたら、顔を紅くなりそう…
有吉さんがにこっと笑った。
こういうこと言う人なんだ。
「あの、私、家あっちで、駅ならあっち…」
私は一歩後ずさって、駅の方を指した。
「きゃっ」
しかしそのとき有吉さんが私の腕を掴んだ。
そんな強い力じゃなかったのに、ちょっとだけ怖かった。
「帰んなよ。」
「え、ちょっと…」
有吉さんは初めて聞く低い声でそう言って近づいてきた。
目をそらさなかった。
「あの、」
「まだ…帰んないでほしい。」
こんなこと言われて揺るがない女性はいないと思う。
「ねえ、だめ?」
有吉さんが追い打ちをかけるように言った。
「えっと…」
いいかもしれない。
だけど…
「もう少しだけ一緒にいてほしい。」
ーーーもう少しだけ一緒にいてくんない?
全然別人なはずなのに。
少しも似てないのに。
ーーー帰らないでよ。
なんでか思い出してしまう。
重なってしまう。
ーーーうち来ない?
また繰り返す気がする。
また同じことで泣く気がする。
結局手からこぼれ落ちて、失うに決まってるんだから。
「……ごめんなさい。明日早くて…」
私は有吉さんから目を逸らした。
「……だよな…。ごめん!悪かった。今の忘れて。」
有吉さんは笑ってた。
「すみません。今日楽しかったです。また誘ってくださいね。」
有吉さんは駅の方に歩いて行った。
ポッケに手を突っ込んで、心なしか俯いて。
その背中をしばらく見てから家に帰った。
テレビに出てる人と付き合うなんて…
そんなの…
もう私はそんな無謀なことしたくないし、…できない。
相手のためだし、なにより、もう傷つきたきないし。
だけど、その日ベッドに入って見上げた暗い天井には有吉さんの顔があった。
今日、笑ってた、真面目な顔してた、悲しそうだった。
どれもなぜかよく覚えてる。
そしてなにより、どれも大好きな顔だった。
おわり