毒舌芸人が恋人です。
□いったい何の冗談で
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誰かを自分のものだと思うこと怖いことはない。
自分のものだと思った瞬間から、身動きがとれなくなる。
その人の行動、一つ一つに神経を取られる。
でもたまに勘違いしてしまう。
君は俺のものなんだと。
仕事が終わり、携帯を見るが、不必要なメルマガがずらりとならぶだけ。
日付を確認すると、実に10日間もるいに会っていないと気づく。
10日前、知らないたばこの匂いをさせて帰ってきたるいにアホな俺が突っかかってから。
めずらしく悪酔いしていた俺と、
週刊誌の偽装熱愛記事と、
たばこの匂いのるいと、
洗いたての服、
なんか、ほんと全部が悪く作用したと思う。
「ちょっとたばこ臭いよ?風呂入ってくれば?」
「うーん。でも今日疲れちゃったし、とりあえず、このスーツ脱げば大丈夫なはずー。」
るいはそう言って、俺の寝室で部屋着に着替えた。
そして出てきたるいに近づき、鼻を利かせれば、かすかに髪の毛からたばこの匂いがした。
「する?」
るいが少し不安そうに聞いた。
「すごい臭う。」
俺はあからさまにいやそうな顔をした。
本当はそんな大したことなかったけど、禁煙後、必要以上にたばこの匂いがいやになった俺は、ましてやそれがるいからするなんて、許したくなかった。
「本当に?じゃあファブリーズしよ。」
よほど疲れていたのか、普段なら俺がここまで言えば、風呂に入るるいが普通だった。
「…風呂入ってくればいいじゃん。」
俺はため息をついた。
「うーん。でも、今日は疲れたから、洗濯物畳んで寝る。」
るいは曖昧に返事をしてから、籠に取り込まれた洗濯物を広げて、それを畳み始めた。
半分は俺の洗濯物だ。
俺はその様子をじっと見ていた。
たばこの匂い、どこでつけてきたんだろう。
あんなに匂って、いったいどんだけ近くにいたんだ。
るいに副流煙吸わせやがって、いったいどこのどいつだ。
たばこの匂いは他人の匂い。
俺はいつものるいの香りが好きだ。
あの香りを嗅ぐと落ち着いて眠れるくらいに。
「やっぱり風呂入ってきなよ。」
「…もう、いいじゃん。そんな気になるなら、私、こっちのソファで寝るから。」
るいはうんざりした顔をした。
いつも優しいるいは普段俺にそんな顔はしない。
だからなのか、その表情がものすごく胸に突き刺さった。
「そういう態度かよ。」
自分で言い放った言葉だったが、ものすごく冷たさを感じた。
「…ヒロだって、今日十分お酒くさいからね!ていうか、お酒飲んで帰ってきたときいつもだし!」
そして、珍しくるいが言い返してきた。
「…いいだろ、別に。」
「いいよ。だから私だって、たまにはいいでしょ。」
「やだ。」
俺は間髪入れずに言い返した。
するとそれまで、物腰が柔らかかったるいの声色が変わった。
「なんで、私はだめなの?」
「なんでもだよ。たばこの匂いさせて、洗ったばっかの洗濯物触んなって。」
この辺からは、もう俺もムキになってて。
ひどいこと言ったと思った。
風呂に入りたくないほど疲れてるのに、俺のためにやってくれてたんだ。
「…わかった。…もう寝る。」
それでもなにか堪えるようにそう言ったるいは、本当に寝室から毛布を持ってきて、ソファで寝る支度を始めた。
「いいよ。別にんなとこで寝なくても…」
「臭いから近づくなってヒロが言ったんでしょ?」
「んなこと言ってないって…ただ…」
「おやすみ…」
これ以上口論したくなかったのか、るいはそそくさ俺に背を向けてそう言った。
俺はその背中をじっとみた。
おまえは俺の彼女なんだから、他人のたばこの匂いとかさせてるんじゃねえよと思った。
大体なんで俺がこんな思いしなきゃいけないんだ。
「おまえってさ、なんでそうやって大人ぶるの?」
るいが背を向けて終わらせた会話を俺はわざわざ掘り返した。
「どういう意味?」
るいが横になったまま振り返り、眉間に皺を寄せた。
「ちょっと俺が強く言うと、窘めて、自分の方が大人みたいに。」
自分でもなにを女々しいこと言ってんだと思ったが。
「そんなことしてないじゃん。」
それが優しさだってずっと思ってたし、今もわかってはいるのに。
なんかもう全部がむかついてきた。
「なにも気にしてないみたいに振る舞ってっけど、おとといの週刊誌だって、その前のだってみんな知ってるんだろ?」
「なんで急にそんな話になるの?」
るいがなにも言わないからだよ。
もっと俺に興味持てよ。
るいはいつも俺のこと考えてるようで、俺なんかよりずっとまわりとのつながりがあって、たとえ、今俺とお前が別れたとして、5年後幸せなのは間違いなくお前だから。
なんで俺はたばこの匂い一つでいらいらしてるのに、お前はあんな記事見て、素知らぬ顔してるのか、なんか自分がすげえかっこ悪く映った。
「俺のこととか…あんまり興味ないの?」
ふと出た言葉はそんなものだった。
「ないわけないでしょ。」
「じゃあさ、世の中があの記事本当だと思ってて、それでいいの?」
「だってあんなの嘘じゃん。ばかばかしいって、ヒロがいつも言ってるんじゃん!」
「でもさ、ああいう記事が出るってことは、少なからず世間には仲良く映ってるってことだよ。恋人っぽいと思われてるってことだよ?」
「ねえ、ちょっとヒロ、悪酔いしすぎだから!」
いい加減にるいが声を荒げた。
「またそうやって、話逸らして、大人面か?」
俺はるいに詰め寄り、るいの腕をソファーに押さえつけた。
「ねえ…ちょっと…痛い…」
「小娘のくせに生意気だよ。ちょっとはかわいくできねえのかよ。」
自分の中で完全に変なスイッチが入っていた。
いつもうんざりするほど、るいをかわいいと言ってるのは自分なのに。
「ちょっと、ヒロ意味わかなんいよ。」
「他の男の匂いさせて…」
「だから、たばこ臭いなら近づかないで…」
「もっと必死になって、捕まえとかないと、どっか行っちまうぞ。」
その後からは、記憶すらない…
起きたらもう昼過ぎで、るいはいなくて、俺はリビングの床の上で寝てた。
腰痛いし、なにも掛けていなかったせいで、のども痛い。
いつもならるいが開けてくれるカーテンも締まったままで、その隙間から強い日差しが入り込んでいる。
身体を起こすと、頭痛が走った。
その痛みとともに、霞んだ記憶がこぼれてくる。
仕事終わりで5時間飲んで、帰ってきてるいに会ったところまで。
俺たち、けんか…したのか。
るいと付き合い始めて3年、言い合いの喧嘩なんて数えるほどしかなくて、ただ、今回のは、なんていうか、うんざりするほどばかばかしい。
俺は頭をかきむしりながら立ち上がった。
傍らには、昨夜の畳み掛けの洗濯物がある。
俺の分だけ。
なんだかどきっとして、寝室にあるるいのものがしまわれている箪笥を見るが、ちゃんと丁寧にものが並べられていた。
よかった。
あんなばかばかしいことで、出て行かれたんじゃ困る。
きっと今夜にはるいも帰ってくるだろう。
俺が謝らなくちゃいけないよな…
俺は水道水を胃に流し込んだ。
その日、るいから連絡はなかったが、まあ、一緒に住み始めてから、メールをしない日なんてよくあったから、別に気にすることでもなかった。
とにかく床で眠ったせいで、腰の痛みがひどい。
年のせいか、その痛みがすぐに引くことはなかった。
今日の仕事ソファでよかった…
心底そう思った。
「なんか、あなた今日、歩き方おかしくない?」
廊下を歩いていたところを後ろから来たマツコさんに呼び止められた。
「え、そうですか?」
「腰やったの?何よ、これ?」
マツコさんは小指を立ててそう言った。
お互い表現とか思考がじじくさいと思う。
「まあそうといえばそうかもしれませんけど、マツコさんが想像するようなピンク色な理由じゃないです。」
俺はマツコさんから視線を外して答えた。
「え?なに?」
この人はこの手の話で引くわけがない。
この前るいを紹介してからはなおさらだ。
「ちょっと俺がばかやりまして、一晩フローリングで過ごしました。」
「あら、なかなかハードなのね、あの子。」
「だからピンク色じゃないって言ってるでしょ!」
「なによ。けんか!?」
そう言ったマツコさんの顔ときたら、大好物を目の前にしたカバのようだった。
「…そんな大したもんじゃないですよ。俺が悪酔いして、勝手に絡んだですから。あいつだって本気にしてないですよ。」
「40にもなって、彼女の絡んでんじゃないわよ、まったく。」
マツコさんは呆れたように、しかしどこか嬉しそうにそう言った。
「…本当ですよね。まったく…」
るいが大人面してるんではなく、やっぱり俺が子供なだけなんだろう。
そう、るいだってそんなことわかってるはずだ。
「もしかして、あれ?この前の週刊誌のせい?あなたまた書かれてたから。」
マツコさんがにやにやしながら言った。
「そんなとこです。まあ俺がわざわざ喧嘩売りに行ったんですけどね。」
「ええっ」
そのときのマツコさんの顔と来たら、ゲテモノをみるような目だった。
「あなた、予想以上に男っぽいのね。」
やっぱりどこか楽しそうに笑うマツコさん。
「男っぽいっていうんですかね?ただのバカでしたけど。」
「ああ!いい話聞いた!私あなたのそういう話でご飯2杯食べれるわ!」
マツコさんはそう言って嬉しそうに楽屋へ戻って行った。
人のおかずになってる場合じゃない。
早く、夜になればいいのに…