毒舌芸人が恋人です。

□帰り道
1ページ/1ページ







仕事上、一か月先のテレビ欄なんかも手元に来ることがあって、ヒロはなかなか仕事の話をしないけど、ああ、今、忙しいんだってことがわかる。


ここ最近、お母さんが風邪をひいていたせいで、ほとんど実家に帰っていたから、ヒロとは、一日一通程度のメールのやり取りしかしていなかった。


「今日、家行って見るかー。」


また外食ばかりでメタボってるだろうし。


私は帰りがけにスーパーによってから、ヒロの家に向かった。


マンションの下からヒロの部屋の窓を見ると、そのカーテンの隙間から光が漏れていた。


よかった、帰ってきてる。


時間はまだ9時。



どんな鬼畜な働き方をしてるかと思いきや、この時間に家にいるならと、少し安心しながら、マンションのエントランスを抜けた。



部屋の前まで来て、ドアノブを捻ると、すっとドアが奥に開き、鍵も開いてることに気付く。



さすがに、鍵くらい…そう思ったが、それより先に、



「ヒロ?買い物してきたよー!」



声が聴きたいと思った。



そして明かりのついた玄関で、靴を脱ぎながらそう言った。



……






明かりがついているのに、静かで人の気配なんて感じない。




あれ、コンビニでも行ってる?




それにしても、ヒロが鍵も閉めず、電気も消さずに家を出るなんてことが…



私は一応、寝室やらお風呂やらを見て回ったが、ベランダにさえいる気配はやはりない。



私は、買ってきたものを冷蔵庫に入れたが、そのとき、冷蔵庫は目が点になるほど、空っぽで、省エネのためにコンセント抜いても大丈夫なんじゃないかと思うほどだ。


やっぱり、外食してたのか。


まあ、そりゃそうだよね。



私はヒロの帰りを待つ間、ため息が出るほどの洗濯物の山を片付け、掃除機をかけた。


しかし、ヒロはまだ帰ってこない。


もう一時間経っている。


どこまで行ったんだろう。


もしかして、また鍵持たずに出て、締め出されてる?


前にもそんなことがあったので、私は心配になって、鍵を持ち、下まで降りてみたが、ヒロの姿はなかった。



部屋に戻り、テレビを見ながらひとり料理をした。



ヒロがいることを期待していたせいか、時間だけが過ぎていく空間に虚しささえ覚えた。



「帰ろ…かな…」



なんだか急にすごいさみしさを覚えて、実家に帰りたくなった。


私は料理をタッパーに詰めて、冷蔵庫にしまい、帰り支度をしていた。



最近、ヒロが忙しくて、私も忙しくて、でもヒロは仕事の話なんて全然しなくて、むしろどんなに忙しくても、いつも私こと心配してて、時間も空けてくれて、私は、ヒロのためになにかできてるのか、楽しい時間を過ごせているのか、少しプレッシャーに感じることもある。



本当はヒロの方が大変で、いつも帰ってくるたび、隈がひどくなってて、不意にすごい疲れた顔見せるのわかってる。



そのうち、その笑顔が見れなくなっちゃうんじゃないかって、不安になることさえあるの。



でも、無理して笑顔でいなくてもいいとも思うの。




ヒロ…




ヒロの目じりが垂れた笑顔が、頭いっぱいに広がった。



でもそんなことヒロには言えないし、ヒロにそんな気持ち、伝わってないと思う。



私はそんなことを思いながら、ヒロの部屋を出て、一階のエレベーターホールまで来た。



「あれ帰っちゃうの?」



聞きなれた声に顔を上げた。



「ヒロ…」




「お母さん、元気になった?」



優しく微笑んだヒロ。



私は黙って頷いた。



「そっか、よかったな。で、帰るの?」



「そう思ってたけど、ヒロ帰ってきたから、帰んない。」



「ん。」




ヒロはそれだけ言って、エレベーターの前に歩いて行った。




「ちゃんと食べてた?」



「…まあ。」



「コンビニばっかりのくせに。本当にメタボおじさんになっちゃうよ?」



「いんだよ。おじさんなんだから。」



「わかるけど、よくないよ?今日はもう食べてきた?」



「ちょっとだけ。なんか作った?」



「うん、私がいなくても、ヒロがメタボらないように。」



ヒロが呆れたように少し笑った。



なんで、こんなおじさんの笑顔にキュンとしてるんだろう。



「何?」



そうとう惚けた顔をしてたのだろう、ヒロが不審そうに私を見ていた。




「ヒロが笑ったから。」




私は目を逸らして言った。




「は?」




自分で言った言葉に自分で笑ってしまった。



ヒロも不思議そうに笑っている。



「ヒロが今、すごく忙しいの来月番組表見て分かったから、まだ笑える元気があってよかったって思って。」



「…たまにそういう恥ずかしいこと普通に言うよね。」



「恥ずかしいとか言われると恥ずかしくなる…」



私は両手で顔を覆った。



「でもさすがに寝不足。」



そう言われてヒロを横目で見ると、あの疲れた顔があった。



そりゃそうだよね。



「…そっか。」



「そんな心配そうな顔すんなよ。今日は、るいがいるから眠れる気もする。」



「そうだといいけど…ていうかヒロもたまに恥ずかしいこと普通に言うよね。」



「恥ずかしいっていうなよ。」



不意に、ヒロがすごく楽しそうににしてるのがわかった。



よかった…




「ごめんごめん。ていうか、部屋の電気付けっ放しだったよ。鍵も開いてたし。」




「…まじか。今日、朝、起きれなくて、起ききれないまま家出たんだよな。」




ヒロは頭を抱えた。




「昨日遅かったの?」



「うん、5時。」



数年前と比べて、朝方までの仕事が減ったヒロだけど、たまにだからこそ、生活リズムを作るのが難しいはず。



「お疲れ様。そしたら、今日は風邪ひかないように、野菜いっぱいのうどんにしよ!」



「わあ、ありがたいわ。」



ヒロが笑った。



「朝起きれないのは、風邪の引き始めかもしれないから、葛根湯飲んどいたほうがいいよ。」



「え、あれ苦いじゃん。」


ヒロがあからさまに表情を歪めた。



「…子供じゃないんだから。」



そんなことを言いながら、わたしたちは部屋に入った。



「うわ、すごいいい匂いする。」



「あ、換気扇消しちゃったんだ。さっきまで、料理してたから。」



「家帰って来て、こんな匂いするの久しぶりだわ。」



ヒロは靴を脱いでスタスタとリビングに行った。



「ご飯つくとっくから、お風呂入ってくれば?お湯張ってあるよ。」



「ありがとう。入ってくるわ。」



ヒロは一度寝室に行ってから、風呂場へ直行した。



ヒロがお風呂に入っている間に、うどんを作り始めて、あとは茹でるだけだったので、ヒロが出てくるかどうか確認しようと洗面所へ行った。



「ヒロ?もう出る?」



……


ん?



「ヒロさーん」



……



これは、まさか、



「あけますよ。」



私はゆっくりとお風呂のドアを開けると、予想通り湯船で寝息を立てている人。



沈んで無くてよかった。




「ちょっと、ヒロ。お風呂で寝ないで。」



私は死んだように眠っているヒロの頬をつんつんと突ついた。



「ん、うわ…」



ヒロはびくっと体を震わして、鉄砲玉に打たれたような顔で、私を見た。



少し間を開けて、状況を理解したらしいヒロはお風呂のお湯を顔につけて、目を開いた。



「大丈夫?ごはん食べれる?」



お風呂で寝ることなんて、あんまりないから心配になってしまう。




「食べる食べる。湯船入ったの久しぶりで、気持ちよくなっちゃった。もう出るよ。」



忙しいヒロを頬っておくと、お湯も張らないのか。



「寝ちゃだめだよ。ご飯もうできるから。」



私はヒロにそう言って、お風呂場を出た。


鍋に火をかけ、ヒロの寝間着を用意する。








ヒロと向かい合って、ごはんを食べる。



1週間会ってなかったから、私はヒロに話したいことがいっぱいあって、ヒロはそれをうんうんと聞いている。



「最近、家庭菜園始める先輩が多くてね、野菜くれるだよねー。うちはお母さん喜ぶんだけど、嫌がってる人も結構いてさー。」



「このまえ、打ち上げでビンゴゲームして、バスマットもらったんだけど、うちいらないらしいから、ここ持って来てもいい?」


「PCメガネっていうの買ったんだけど、すごい調子いいんだよねー」



「先週、CM撮影で、4年ぶりに江ノ島行ったんだけど、すごい変わってて、オーシャンビューのレストランとか増えてたんだよ。びっくりしちゃった。」



「来月、CM撮影で、滋賀行くことになったの!」



大した話ではないのだけど、ヒロは楽しそうに聞いてくれる。



「でも、よかった。ヒロが死にそうになってなくて。」



「さっき風呂で溺れかけたけど。」



「死にそうだと、私の話、全部真顔で聞いてるから。まだ、マシだよ。」



「え、そう?」



やっぱり気づいてなかったんだ。



「今日もあんまり話さないから疲れてるだろうけど。」



「明日、朝遅くないんだよな…最悪。」


ヒロはそう言って台所に立ち、冷蔵庫を開けた。


ビールもう一本飲むつもりだ。


「ヒロ、飲み過ぎないでねー」



「最後の一本。」



私はその間に薬箱から薬を取り出した。



「飲んでね。」



「飲みます。」



「明日の朝、また起きるの辛かったら言ってね。」



「…うん。」



「言ってね?」



私は念を押した。



ヒロはなかなか言ってくれないから、いつの間にか高熱出してたりすることが今まで何度もあった。



「わかった。」


「ヒロ、全然言ってくれないから。言ってくれないほうが、心配になるんだから。」



心配させたくないんだと思うけど、近くにいると、それが逆効果。



「ヒロが全快で仕事してるのが好きだし。」



「がんばるわ。」



「あと、こうやってるときにヒロが笑ってるのがいいし、一緒にお酒飲みたいじゃん。」



外に行く時間がないから、こういう時間が貴重。



「そこまで言われたら、もう、寝るか。」



ヒロは薬を飲み込んだ。



「じゃあこれは私がもらおー。」



ヒロの前から開いたばかりのビール缶を取り上げた。



「おい…あー」



今日は受け入れ体制のヒロが一瞬体を起こしたが、再び背もたれに戻った。



「私、栄養士の資格取ろうかな。」



「そんな時間ないじゃん。」



「否めない。」



「そんな時間あるなら、ずっと家にいて、普通のでいいから毎日ご飯作って欲しい。」



「ヒロは後輩とご飯食べに行ったりするの好きじゃん。」



ヒロの話にも、よく後輩の方の話が出てくることが多いし、応援してるのがよくわかって、出会った頃のヒロと一番違うところかもと思う。



「そうでもねえよ」



「ヒロがそう言ってくれるなら、もっとここに来ようかなー」



「そうして。」



ヒロは真顔でうなづいた。



「ヒロが元気でいてくれるように。」




私がそういうと、ヒロは嬉しそうに表情を緩ませた。



こうしていれるから、もっとヒロのそばにいたいと思う。



ヒロさん、大好きです。



おわり

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ