帰り路をなくして(未完)

□外伝【鬼火の路】
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【語り手:千速】



10年近く連れ添った妻を亡くしたのは、一昨年の暮れのことだった。
以来、里の長老達がさかんに再婚を勧めてきたが、亡き妻への想いは絶ちがたく、やすやすと別の女鬼を後妻に迎える気にはなれずにいた。
そんな時に舞い込んできたのが雪村の娘との縁組の話だった。

雪村家では年頃になった娘に子を産ませたいらしく、力のある男鬼の子種を欲しがっていた。
そこで、子どもの父親として白羽の矢が立ったのが西の鬼を総べる立場にある俺だった…らしい。
俺としては煩わしい再婚話から逃れることができる上、雪村の娘に自分の子を産ませることができるのだから断る道理がなかった。

しかし。

正式な婚姻を結ぶことなく、子をなすためだけの淡々とした関係を17の少女が喜んで受け入れるとは到底思えなかった。
好いてもいない男に抱かれ、身の奥に子種を注がれ、孕み、産み育てなければいけない少女の気持ちを考えると安易な気持ちで抱くのは憚られた。




雪村の姫-千草-が風間の里にやってきたのは、野の花が咲き乱れる百花繚乱の季節だった。
種々の花々に負けないほど可憐で美しい姫は、顔に似合わぬ豪胆な性格の持ち主で、女特有の生々しい色気を感じさせない不思議な娘だった。





いくら東の鬼を総べる雪村本家の姫といえども、正式に輿入れしたわけではないので正妻の住まいを意味する北の対に住まわせるわけにはいかない。
そのため、千草には母屋から渡殿でつながる東の対で暮らしてもらうことになった。
ちなみに、北の対には亡き妻との間にもうけた嫡男の千景が妻亡き後も変わらずに暮らし続けている。
千景は千草のことが気に入ったようで、たびたび千草の部屋を訪れては年相応の子どもらしい笑顔を見せるようになっていた。
人見知りが激しい千景が他人に笑顔を見せるのは珍しいことで、周囲の者を驚かせた。





千草が風間の里に身を置いて半年ほど経ったある秋の日。
俺は収穫間際の稲穂の海を見せたいと思い、千草を外乗に誘った。

「一人で馬に乗ってもいいか?また“女だてらに…”と言われてしまうかもしれぬが…。」

そう言った千草の横顔は、どこか寂し気だった。

“女は男より三歩下がって歩くべし”
“女は男に対してへりくだるもの”

全ての九州男児がそういう考えだとは限らないが、古い考えを持つ長老達は、馬術も剣術も学問においても男にひけをとらない千草を可愛くない女だと感じているようで、千草への風当たりは強かった。
しかし千草は、いずれ東の鬼を束ねる雪村の長となる女だ。
俺と肩を並べて歩いて何が悪い。
俺は、風間の頭領である俺に媚びを売ることなく自分の意見をしっかり持った千草を共に次代の鬼の世を担う“友”として尊敬し初めていた。

「言いたい奴には言わせておけばよい。」
「……そうだな。」

高く結われた栗色の髪が馬の尾のようにしなやかに揺れた。
馬に跨り、しゃんと背筋を伸ばす姿は凛としていて美しかった。

「せっかく千速が外乗に誘ってくれたのだ。存分に楽しまなくてはな。」

千草は、そう言って僅かに口角を上げた。
それは辛い時にする千草の癖だと気づいたのは、つい最近のことだ。

「俺の前では気を張らずともよい。甘えてもよいのだぞ?」

冗談めかしてそう言うと、千草が困ったように微笑みながら首を横に振った。

「広足に叱られてしまいそうだ…。」
「広足、とは?」
「弟のような存在だ。雪村の里で私の帰りを待っている。」

……千草にそのような存在の男がいるとは知らなかった。
広足という男を思い出しているのか、千草が柔らかく微笑んだ。
それは、俺には見せたことがないやさしい表情で…。
胸がざわつく…これは、悋気か?
俺は、この時はじめて自分が一回りも年下の娘に特別な感情を抱き始めていることに気づいたのだった。




その夜。
俺は貪るように千草を抱いた。
自分の気持ちに気づいてしまえば、それは子を作るためだけの行為ではなくなった。
激しくも甘やかな行為の後、くたりと褥に横たわった千草が白くしなやかな手を伸ばし、俺の髪に触れた。

「千速の髪は美しいな。昼に見た、黄金色に輝く稲穂の波と同じ…豊穣の色だ。里が栄えているのは頭領がしっかり里を守っているからだ。私も千速を見習わなくては…。」

夢現の間を彷徨っているのか、瞼を落としながら独り言のように千草が呟いた。

「今は、ゆっくり眠れ。」
「…ん……。」

すぅっと眠りに落ちた千草の顔は17の少女らしい、あどけなさが残っていた。











俺が千草への気持ちを自覚した秋の日から2年の月日が流れた。
しかし、一向に懐妊の兆しが見えず、近頃では月の障りが来るたびに千草の顔が曇るようになっていた。
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