歳三くんと私(未完)

□葉月の章
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葉月の章【2】


✻ ✻ ✻ ✻ ✻


「千鶴ちゃんさ。その後……鈴木と会った?」
「ちょっと!佐藤くん!!」

海へ向かう途中の車内。
運転席からバックミラー越しに私に話しかけた佐藤さんを、助手席に座っている蘭先輩が慌てた様子で制した。

「鈴木の話題なんか出してごめん。けど……あの合コン以来、鈴木と連絡が取れなくてさ。未遂とはいえ千鶴ちゃんに怪我させて怖い思いさせたわけだろ?ひとこと言ってやろうと思って電話したんだけど解約しちゃったみたいで繋がらないんだ。研究室にも全く顔出さないし……。」
「あのねぇ。あの男がどのツラ下げて千鶴ちゃんに会いに来るっていうのよ。ひとこと言ってやりたいどころか本来だったら警察に突き出されても文句が言えないくらいのことをしたのよ?」
「確かに……。じゃあ、ほとぼりが冷めるまで姿をくらますつもりかな?」
「知らないわよ。ごめんね、千鶴ちゃん。嫌なこと思い出させて。」
「いえ…大丈夫、です。」

実は、未遂ではなく既遂で。
その時の動画をネタに揺すられてて。
その男と暮らすことになって。
求められるままに毎晩のように体を明け渡している。
なんて。
絶対に言えない。
言えるはずがない。

最近の私は現実から目を背けて流されているだけの……ただの弱虫だ。

蘭先輩なら?

もし蘭先輩が私と同じ立場だったら……警察に相談したり、法的な手続きを取ったりして相手を徹底的に叩きのめすのだろう。
忌まわしいデータが世界中に拡散してしまったとしても、蘭先輩は胸を張って凛とした表情を崩さずに生きていく気がする。

「あっ!そういえばさ。これから行く海水浴場って羽衣伝説があるって知ってた?」

車内が静まり返ってしまったので、もう無理矢理……といった感じで佐藤さんが話題を変え、

「羽衣伝説って天女の羽衣を男が隠しちゃうって話よね?あの話って三保の松原だけじゃないの?」

蘭先輩がその話題に乗った。
お二人に気をつかわせてしまって申し訳ない……。

「それが違うんだよ。羽衣伝説は日本各地にあるんだってさ。面白いと思って調べてみたら、日本だけじゃなくてアジアや遠く離れたヨーロッパにも似たような話があるみたいなんだよ。」
「羽衣伝説ねぇ……。確か、羽衣を見つけた天女は男と別れて天に帰っちゃったのよね?」
「羽衣の隠し場所とかラストシーンは地域によってかなり差があるみたいだけど、羽衣を見つけた天女が男を捨てて天に戻るっていう“昇天説”が有名だね。」
「天女に捨てられたのは自業自得ね。天女の弱みにつけこんで妻にするなんて卑怯な真似するからよ。」

後部座席で二人の話を聞きながら、私は天女の気持ちに思いを巡らせた。

羽衣を返してほしかった天女。
あの夜のデータを消して欲しい私。

天女と私の境遇は、どこか似ている気がした。
だとしたら……私には、男の言いなりになるしかなかった天女の気持ちが分かる。

「うーん……。男は天女に恋い焦がれて……天女と離れたくなくて、やむなく羽衣を隠したんじゃないかな。それだけ愛してたんだよ、天女のことを。」
「勝手ね。好きでもない男と一緒になって子どもまで産まされて。酷い話よね。」

子ども……。
考えないようにしていたけれど、生理……少し遅れてる。
一緒に暮らすようになってから鈴木さんは、私を抱く時は必ず避妊してくれている。
だけど、乱暴された日は……多分、中に……。
でも、まさか。
たった一回で妊娠なんて、そんなことあるわけない。
色々あったから遅れてるだけ。
きっと、そう。
そう思いたい……けど……もし、そうじゃなかったら……私は、どうしたらいいんだろう?

「“をとめの姿しばしとどめむ”」

悪い方向に思考が傾き始めた時、私の隣に座っている歳三くんがポツリと呟いた。

「……え?」
「百人一首でも天女のことを歌った歌があったよな?」
「あ……確か……僧正遍昭の歌ですね。舞を舞う乙女たちのことを天女に見立てて……天女のようい美しい乙女たちの姿をもう少し見ていたいっていう。」
「坊さんなのに女好きってことか?俗っぽいな。」
「僧正遍昭は出家する前はモテモテのプレイボーイだったみたいですよ?絶世の美女とうたわれた小野小町とも親交があったとか。」
「へぇ。ずいぶん詳しいな。」
「ふふ。これでも日本文学専攻ですから。そういえば、夏休み中に百人一首を全首覚えるって宿題が出てましたもんね。順調ですか?」
「あー……覚えたそばからどんどん忘れるんだよな。」
「反復して覚えるしかないですね。」
「面倒くせぇ。」
「頑張りましょう!」

せっかく海に誘ってもらったのだから暗い顔でいるのはやめよう。
私は、今日一日、思いっきり楽しもうと心に誓ったのだった。
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