GYM熱(完結)

□玉響
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雪村千鶴23歳。
恋人たちの祭典であるバレンタインデーに、おそれ多くも永倉先生と一緒に勾玉作りをさせていただくことになりました!

「これは、滑石といって強度的には弱いが加工しやすい鉱物だ。瑪瑙や翡翠よりも初心者には扱いやすい。」

今、永倉先生と私は、小高い丘の上にある小さな博物館の工作室にいる。
勾玉の作り方の説明をしてくださっているのは永倉先生の大学の後輩で、この博物館で学芸員として働いている斎藤さんだ。

「勾玉の形の由来については諸説ある。胎児の形を模したという説や魂の姿を象ったという説など多々あるが、よく分かっていない。」

斎藤さんとは学部は違うけれど、剣道サークルで一緒だったのだと永倉先生が教えてくれた。
剣道をしている方って皆さん姿勢がいいのかな。
永倉先生もそうだけど、斎藤さんも背筋がピンと伸びていて立ち姿がとても綺麗。

「この中から1つ選んでくれ。」

テーブルの上には、白・黒・ピンク・緑などの色をした滑石が並べられている。
一口に滑石といっても色んな色があるんだなぁ…。

「俺はこれだな。」

永倉先生が手に取ったのは、緑滑石。

「じゃあ、私はこのピンク色の石にします。」

そして、私は紅滑石を選んだ。

鉛筆で石に下書きをすると斎藤さんがドリルで穴を開けてくれた。

「あとは、ひたすら削るだけだ。糸鋸と棒ヤスリとサンドペーパーを用意してある。俺は一度、展示室に戻らなければならないが1時間ほどしたらまた来る。」

斎藤さんて物静かな方だなぁ…。

「さてと。削るとするか。」
「はい!」





糸鋸で滑石の四つ角を落とし、棒ヤスリでざくざくと削っていく。

----------運慶は木の中に埋まっている仁王像を鑿と槌を使って彫り出しているだけだ…。

ふと、前に読んだ夏目漱石の『夢十夜』を思い出した。
実は、私の手の中にあるのは勾玉が埋まった滑石で、それを彫り出しているのかもしれない……。

それにしても、こんなふうに無心になるのは久しぶり。
チラリと横を見ると、永倉先生もかなり集中しているようで黙々と削っている。
邪魔しちゃ悪いよね。
話しかけないでおこう。

私は、再び手を動かした。





「随分と形になってきたな。」

斎藤さんに声を掛けられ、はっとする。
あれ?
斉藤さんが戻ってらしたってことは、もう1時間たったの?

「すげえ集中しちまったぜ。なんつーか、剣道の試合をやってる時の感覚を思い出しちまった。」

永倉先生が笑いながら伸びをしてそう言うと、斎藤さんが少しだけ頬を緩めた。

「勾玉作りを通して“無の境地”に至ったということか?」
「はは。そうかもしれねぇな。そういや、集中しすぎて会話もしてなかったな。千鶴ちゃん、退屈だったか?」
「いいえ。私も猛烈に集中してたみたいです。あっという間に1時間がたってしまって驚いてます。」

剣道をしたことがないので“無の境地”がどんなものだか分からないけど、作業に没頭していて時間の感覚があまりなかった。
心の中が静かで外界の音まで消えてしまったような不思議な感覚。
もしかしたら、こういうのを“無の境地”っていうのかな?

仕上げに、桶に張られた水の中で水ヤスリをかけて形を整えていくと、徐々透明感のある桜色に変化していった。

「もっと光らせたければ、暇なときにでも柔らかい布で磨くといい。」

ころんとした形をした桜色の勾玉に紐を通しながら斉藤さんがそう教えてくれた。
それを早速スマホに付けて、陽にかざしてみる。

「綺麗。」
「気に入ったのができたみたいだな。」
「永倉先生はペンダントにするんですか?」
「まあな。」

永倉先生は若草色に仕上がった勾玉に革紐を通した。
男の人にはちょっと可愛すぎるかも?

「勾玉どうしが触れ合った時に出るかすかな音を“玉響”というのだそうだ。」

斎藤さんがぽそりと呟いた。

「たまゆら…ですか?」
「魂が響き合う音のことだ。」
「へぇ。面白いな。どんな音がするのか試してみようぜ?」

永倉先生が自分の勾玉と私の勾玉を静かに触れさせた。


かちり


小さな音がして、指先に微かな振動が伝わってきた。
その瞬間、心臓を鷲掴みにされたように私は動けなくなった。
玉響によって、眠っていた恋心が完全に覚醒したような感覚。

「これは、千鶴ちゃんにやる。」

永倉先生が、金縛りにあったように動けないでいる私の首に若草色の勾玉がついたネックレスを掛けた。

「…え?でも。」
「俺にはこれがあるからよ。」

永倉先生がジーンズのポケットからスマホを取り出して、そこに付いている勾玉を揺らした。


もう駄目だ。
私、完全に永倉先生に墜ちた。


私は、心の中で白旗を揚げながら、胸にある若草色の勾玉をきゅっと握った。

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