お宝紹介
□朝の光で知り得たこと
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初春を迎えたとはいえ春はまだ遠い。
日の出の遅いこの季節、更に言うならば昨年取り入れられた新暦のせいで、更に夜明けはまだほど遠い。
「馴染まぬな…」
自然と目覚める身体にずしりと重い感覚を得、ちらりと我が腕の中に視線を落とせばそこにはしののめと同じ漆黒の髪をくしゃくしゃに絡ませた幼子が小さく丸まっていた。
小さなつむじを見つめる。
規則正しい小さな寝息に、薄く笑みが漏れた。
戊辰戦争の終結後、魂の抜け殻と化したしののめを我が元へと半ば強引に娶った。
故にか、初めて足を踏み入れた南の鬼の里に、しののめは暫し馴染めずに遠く北の空ばかり眺めて一人過ごす日々を過ごしていた。
始めは生粋の鬼の血を得んが為だけに欲していた存在だが、彼の浅葱羽織の者どもと修羅の道を切り抜けるその瞳に、いつしか血の為だけでなくしののめ自身を欲するようになっていたことは否めぬ事実。
孤独と重責
そんなものはこの世に生まれ落ちた瞬間から俺に備わった役目。
息を吸うように、水を飲むように当たり前だと思っていたそれらを面倒だと思うことはあったが棄ててしまおうと思ったことはない。
というか。それは最早俺の一部でしかなく苦痛だと感じることさえ麻痺していたのかもしれない。
それを惚けた人形のようだったしののめが、ある日生気を宿した瞳で微笑み、共に背負いたいと言った。
「そんなものはお前の役目ではない」と敢えて重荷を背負わぬよう言い含めると、俺の襟元を掴み「夫婦とはそういうものではないのですか?」と真っ赤になって怒った。
「……。好きにするがいい」
諦めて溜息に混じりにそう答える俺に勝ち誇ったような笑みを浮かべ「そうさせていただきます」ときっぱりと言い放つ瞳は、何かを決意し、俺が思うよりずっと先を見ているかのようだった。
北の鬼の地は寒さ厳しく雪に閉ざされる生活を強いられる為、忍耐強く心暖かなものが多いのですよと天霧が呟き、どこか嬉しげに目元を緩めた。
不知火は度々屋敷を訪ねてきてはしののめをからかうことで、言葉にこそしないが過ぎ去った者どもを偲んでいる。
そんな様子を傍目で眺めながら、この者は愛されるために存在するのだなと思う。
俺も含め、皆が愛さずにはいられないのだ。
この懸命に生きようとする魂からは、深い愛と慈しみしか感じられぬのだから。
想いを告げ、想いを遂げ夫婦の契りを交わしてからはその想いが一層強くなり。
子が生まれてからはまた一つ。
俺の中で新たな感情が静かに芽生えた。
大切に守るだけでは駄目なのだと。
俺としののめの子供らが、そしてこの鬼の一族がこの先未来永劫、心豊かに明るい道を歩くためには、新たなる道を切り開かねばならないという思い。
生まれた子には「千」の字を与え、乳母をつけるのが古くからの一族の習わし。
『千歳』と付けたがる古老たちを黙らせ、しののめが子に付けた名は『千春』
全ての始まりを意味する暖かで穏やかな春を何度も迎えられるようにと。
例え厳しい冬が長く続いても、春の来ない年はない。
乗り越えて行ける強さと、感謝できる喜びをその内に育み、優しい子になるようにと。
そして乳母も拒み、自らの乳で千春を育てた。
母なる愛をもって愛を教えたい。
愛されて育つことで、子は愛を覚え、人を愛することができるのだからと。
まさにしののめはこの風間家において新しい時代を築こうとしていた。
古き因習を打破し、新しい時代の担い手を育てる。それが残された私に託された使命なのだと乳を含ませながら誇らしげに笑った。
時代は流れる。
未だどうどうと音を立てて流れる濁流の如き新しき時代はまさに、今、一つの新たな日本という国を作ろうとしているのだ。
かつて二柱の神が混沌の中から国を生んだように、日本は再び新しい産声を上げたばかり。
時代が動くように。
我が一族もまた変化をしてゆかねばならぬ。
「神になる」など大それたことは言わぬが、しののめと共に新しき鬼の時代を紡いでゆきたいと思う。
誰もが自由に生きられる国を。
虐げられることに怯えぬ、確固たる誇り高き一族の未来を。
俺は作らねばならぬのだ。
腕の中の千春を起こさぬよう、そっと手を伸ばしその先にあるしののめの頬にかかる髪を梳くと、ぼんやりと惚けたようにうっすらと瞳が開く。
「…………ちか、げ…さん?」
俺の視線をやんわりと受け止めた瞳が笑みをたたえる。
「朝?」
「もう間もなく夜明けだ」
明け方の冷気に肩を竦め、しののめが掛布団を引き上げる。
そんな幼さを残す仕草にふっと笑みが漏れ「千春を潰さぬようにこちらに寄れ」と促すと、まずはほこほこと心地よい暖かさの足を俺の足に絡ませて、そのままするりと寄り添う。
「千景さん、あったかい」
うふふと笑うその声に、千春が少し身動ぎした。
「静かにしろ。千春が起きる」
「朝なんですから起きていいでしょう?」
そう言って笑うしののめの項を引き寄せて「だめだ」と答えると、すぐ近くになった瞳がどうして?と問いかける。
その瞳に目を細めて笑い、そっと唇を重ねた。
「起きてしまえばこのようなことができぬであろう?」
甘い吐息を漏らす唇を離してそう呟くと、恥ずかしそうに目を伏せるしののめを再び引き寄せる。
「いつまでも変わらぬ愛い仕草だな」
何度も啄むように口付けするうちに、ゴトゴトと雨戸を開ける音がし、障子越しに白く澄んだ日の光が差し込む。
「風間。朝です…」
愚直な天霧の声に「ああ」と答え、最後に深くしののめの唇を貪ると腕の中の千春をしののめにそっと譲り渡す。
「お前はもう少し寝ておけ。腹の子の為に身体を休めるがいい」
桜が咲く頃に産み月を迎えるしののめにそう告げ、立ち上がり着物を羽織る。
このところ、少し早いというのに腹がよく張ると時折横になってしまうしののめの身体を気遣えば申し訳なさそうに「すみません」と小さくなった。
そっと膝を折りそんなしののめの髪を撫で、諭すように思いを告げる。
「すまぬことは何もない。俺とお前で築く新しい時代を担う大事な子ぞ。一族にとっても大事な赤子だ。そして何よりも」
梳いた髪を手に取り、そして口付ける。
「共に歩むおまえが。俺は大事なのだ」
真っ赤に頬を染めるしののめに微笑み、すらりと障子を開けて一歩踏み出す。
放射冷却でキンと冷えた冬の空気に、自ずと身が引き締まる。
白々と明けてくる空を眺め、今日は晴れるなと確信を持つ。
今は寒さ厳しくとも、来る春はきっと穏やかであたたかな日々となるだろう。
朝の光のその先に、しののめと共に永遠に季節を重ねて行ける奇跡のような日々を確信し、俺は静かに微笑んで後ろ手に障子を閉めた。
もう守るだけではない。
共に行くぞ。
そう声をかければ間違いなく「承知」と返す、勝気だが愛しい我が嫁を誇らしく思いながら。
【終】
こちらは『春の月』の春月梅さまより頂いた作品です。
『春の月』は、2015年1月10日にめでたく3周年を迎えられました。
その感謝企画としてこちらの作品を書いていただき、しかも、お言葉に甘えてお持ち帰りさせていただいちゃいました♪
春月梅さま、このたびは素敵なお話をありがとうございました。
そして、サイト開設3周年おめでとうございます。
『春の月』ファンとして、これからも応援しています。