幕末の物語

□唇までの距離
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京の町中で浪士に絡まれていた千という娘を千鶴が助けたのは、慶応2年の秋口のことだった。
そのことがきっかけで、2人は甘味処で女子同士の会話を楽しむ仲になり、千鶴は蘭方医である父を探していること、訳あって新選組に保護されていることを千に話していた。

千鶴が今さら新選組から逃げ出すとは幹部の誰もが思っていなかったが、かといって自由に京の町を散策させるわけにもいかず、千鶴が出かける際には見張りと護衛を兼ねて幹部が同行することになっていた。
千鶴が新選組に来てから間もなく3年になる。
娘盛りだというのに女子としての楽しみを奪われ、男所帯で男装を強いられている千鶴が、ほんの僅かな時間だとしても女子として楽しく過ごすことができるのなら……と、幹部の誰もが思っていたため、そのことに関して異を唱える者はいなかった。

そんな時、千が気になる情報を千鶴に耳打ちしてきた。
千は島原の角屋に出入りしている君菊という芸妓と知り合いらしく、君菊から角屋でたびたび開かれる不審な会合の話を聞いたのだという。
その中に千鶴の父である綱道らしき人物がいたというのだ。
新選組に保護されてから間もなく丸3年が経とうとしているが、父である綱道の行方に関する情報は全く得られていない。
諦めかけていた矢先の朗報に千鶴は居ても立っても居られず、屯所に帰るなりそのことを幹部たちに報告したのだった。










「私。どうしてもこの機会を逃したくなくて…。お願いします。角屋に芸妓…というか芸妓見習いとして潜入させていただくことはできないでしょうか?」

幹部会議の席で、すがるような思いで土方を見つめる千鶴の隣で沖田が揶揄うように笑った。

「無理じゃない?千鶴ちゃんて、いかにも“生娘です”っていう雰囲気を漂わせるんだよね。そういう娘がお座敷に上がるのって違和感があるっていうか…。」

沖田から発せられた“生娘”という言葉に反応した千鶴がボッと頬を染めながらも、ここで負けてはいられない!とばかりに反論した。

「お客様にお酌をするくらい、私にもできます!」
「じゃあ、酒に酔った客に触られたらどうするのさ。」
「そ、それは…。」
「この前、角屋で飲んだ時は僕らだけだったから、触られたり絡まれたりっていうのがなかったけど、実際に御座敷に上がれば、そういうことを求めてくる客もいるんだよ。客を怒らせないように上手くあしらったり、かわしたりする術も知らない千鶴ちゃんに芸妓見習いが務まるとは思えないよ。」
「……う。」

確かに沖田の言う通りなので千鶴は言葉に詰まったが、今回ばかりはここで引き下がるわけにはいかないのだ。
本気で父様を探したいと思っているなら、ここは一つ女としての覚悟を決めなければならないのかもしれない…と千鶴は思った。

「じゃあ、生娘じゃなくなれば……その…経験を済ませれば島原で潜入捜査をさせていただけるんでしょうか。」

千鶴は顔を強張らせながらも、挑むような眼差しで沖田を見た。
珍しく口答えをしてきた千鶴に沖田が目を見開き何かを言おうとしたが、それよりも早く平助が慌てた様子で声を上げた。

「ちょっと待てって!経験って…相手はどうすんだよ?」
「どなたでも構いません。それで父様を見つけることができるなら私は…!」

新選組に連れて来られた当初は子どもだった千鶴も今では丸味を帯びた体つきになっており、幹部たちは千鶴を“女”として意識するようになっていた。
千鶴はもう18で、18といえば“鬼も十八番茶も出花”という諺があるくらい、女としての色気が出て魅力的に見える年頃なのだ。
しかし、さすがに千鶴に手を出すのは…と、幹部たちは互いに牽制し合いながら様子を見ていた。
しかし千鶴の、

“初体験の相手は誰でもいい”

という発言で、その均衡が破られた。

「よっしゃ!じゃあ、俺が千鶴ちゃんのために一肌脱いでやっか。」

千鶴の口から投下された爆弾発言のせいで、シーンと静まり返った広間に永倉の威勢のよい声が響いた。
永倉は自分の膝をポンと叩くと、真っ白な歯を見せて笑った。

「ちょっ!新八っつぁん、何言って…。」
「善は急げっていうからな。千鶴ちゃん、俺の部屋に行こうぜ?」

立ち上がって千鶴の手を取ろうとする永倉を平助が阻止しようと間に入った。

「待てって!ズリィよ新八っつぁん!だったら俺が…。」
「平助!ガキは黙ってろって。」

元気な仔犬のようにキャンキャン騒ぐ平助を永倉が押さえ込んでいるうちに、原田が妖艶に微笑みながら千鶴に近づき、千鶴の顎をクイッと上げて耳元に唇を寄せて蜂蜜のように甘い声で囁いた。

「極楽見せてやるから俺にしとけ。」

原田のダダ漏れの男の色気に当てられて思わず固まる千鶴をよそに、千鶴のハジメテを巡って三つ巴の争いが始まった。
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