幕末の物語
□翠雨
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壬生浪士組に変若水をもたらした雪村綱道には、江戸に残してきた年頃の娘がいるらしい。
「親馬鹿と笑われるかもしれませんが、気立てがよくて、器量のよい娘でしてな。」
親睦を図るために用意された酒の席で、壬生浪士組を隠れ蓑に怪しげな薬の開発をしている蘭方医は、そう言って眦を下げた。
同じく江戸に娘を残してきた近藤と酒を酌み交わしながら親馬鹿な話をしているのを、沖田は少し離れた席で聞いていた。
この胡散臭い蘭方医にも、父親としての情があるのかと意外に思いながら、沖田はチビリと酒を口に含んだ。
………まさか数ヵ月後に、その娘と祝言をあげることになるとは、その時の沖田は露ほども思っていなかった。
雪村綱道の一人娘と沖田の縁談がもち上がったのは、芹沢鴨を粛清した直後のことであった。
“新選組”の名を拝命した数日後、幕府からの密書を受け取った近藤と、その傍にいた土方は互いに顔を見合わせた後、渋面になった。
「総司に何と言えばいいものやら…。」
「受けるしかねぇだろ。幕府の命令は絶対だ。断るなんて、できねぇよ。」
その縁組は“互いに裏切るな”という意味合いを多分に含んだ政略結婚であったため、愛弟子である沖田のことを可愛がっている近藤の顔が曇った。
「花嫁と言えば聞こえはいいが、人質みたいなもんだろ。こっちとしては悪いようにするつもりはねぇが“人斬りの沖田”に嫁ぐんじゃあ、綱道さんの娘も気の毒だな。」
「幸せになってくれればいいんだが…。それにしても、どうして総司が指名されたのだろうか。」
変若水に深く関わっている山南ではなく、なぜ総司が指名されたのかと近藤は首を捻った。
「綱道さんの娘は、16なんだろ?年齢的な釣り合いも考慮されたんじゃねぇか?山南さんとじゃ、親子ほども年が離れてるだろ。」
「だったら平助や斎藤君の方が年が近いではないか。」
「“裏切んな”っつぅ意味合いからすると総司が適役だろ。総司は、平助や斎藤とくらべて近藤さんとのつき合いが長い。何しろガキの頃からのつき合いだからな。あちらさんから見て、一番裏切らなさそうなのが総司だと判断したんだろ。」
「なるほどな。だが、まさか総司が所帯を持つことになるとはなぁ…。」
幼い頃の沖田を思い出しているのか、近藤が感慨深げに目を閉じた。
平隊士の中には、幕府お抱えの蘭方医の娘が何故、新選組の幹部と婚姻を結ぶのかと訝しがる者もいたため、表向きには“2人は沖田が上洛する前からの恋仲で、このたび晴れて婚姻を結ぶ運びとなった”と説明することにした。
永倉や原田と違い、沖田は花街に出かけることは稀であった。
今まで沖田が女子に見向きもしなかったのは、心に決めた女子がいたからだったのか、と隊士たちは勝手に納得したのだった。
この時代、婚姻は“お家のため”であることが多く、恋愛結婚は稀である。
隊士達は、純愛を貫いた沖田に、
「誠におめでたく、謹んでお祝い申し上げます。」
などと祝福の言葉を述べた。
しかし、ことほいだ者たちは、どこか苛ついたような表情の沖田によって、ことごとく厳しい稽古をつけられる羽目になった。
ボロボロになった隊士たちは、
「沖田組長は、照れておられるのだ。」
と、またしても勝手に解釈したのだった。
トントン拍子に話は進み、祝言を三日後に控えた夜のことであった。
「お前、オンナ知ってるよな?」
副長室に呼び出された沖田は、不躾な質問に形のいい眉を寄せた。
「藪から棒になんですか?」
「いや…初夜の褥でヤり方が分かりません…っていうのも何だと思ってな。」
知っているか、知っていないかといったら答えは“知っている”だ。
あまり周囲には知られていないが、今まで何度か女を買ったことがある。
「土方さん、僕をどれだけ子どもだと思ってるんですか。」
「…だよな。変なこと聞いて悪かった。」
「やっぱり、抱かないと不味いですかね…。」
「あ?」
「いや、花嫁のことをさ。抱かないと不味いかなぁって思って。」
「そりゃ、そうだろ。夫婦になんだから、まぐわってナンボだろうが。」
祝言の日に初めて顔を合わせる予定なので、沖田は花嫁の顔を知らない。
全く好みじゃない容姿をしていた場合、抱いてくれと言われても勃つかどうかも分からない。
なんとか初夜だけは抱くことができたとしても、性に対して淡白な自分が嫁の体にのめり込むとは思えず、その後の夜の生活を想像するだけで気が滅入った。
「あーあ。気が重いな。」
沖田は、盛大に溜め息を吐いた。