物語の欠片

□始まりそうな恋の予感
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「優花が熱を出したって保育園から電話があったんだけど、これからどうしても外せない会議があって帰れないの。お願い、総司!優花を迎えに行ってくれない?」

バリキャリかつシンママの姉から電話があったのは、就業時刻を知らせるBGMがオフィスに流れている最中のことだった。

「いつも頼んでる送迎シッターさんは?」
「巷で大流行してるインフルの波に飲まれたみたいで自宅療養中なんですって。」

今日は週に一度のノー残業デーだから家でのんびりしようと思ってたんだけどな。
とは言っても自他共に認める姪バカな僕が発熱で苦しんでいる姪っ子を放置する……なんてことはできるはずもなく。

「いいよ。迎えに行ってあげる。」
「ありがとう、総司!恩に着るわ。近いうちに美味しいものを奢るから!」
「期待してるよ。で?優花は姉さんのマンションで寝かせておけばいいわけ?」
「そうしてもらえると助かるわ。鍵は優花のカバンの中に入ってるから開けて入っててちょうだい。仕事が終わったらすぐに帰るから。」
「了解。」

そんなわけで、僕はサッと帰る準備して姪っ子が待つ保育園に直行したのだった。



ところが。



僕は今、保育園で門前払いを食らいそうになっている。

「だーかーらっ!さっきから言ってるけど、僕は沖田優花の叔父なんですってば。」
「ですが……優花ちゃんのお母様から連絡をいただいてませんので、優花ちゃんをお渡しするわけにはいかないんです。」

姉さんは僕が迎えに行く旨の電話を保育園に入れずに会議に向かってしまったようで……まったく。
おっちょこちょいにも程があるんだけど。
おかけで僕は、かれこれ10分ほど優花を渡す渡さないの押し問答をピンク色のチュニックみたいなエプロンを身に着けた若い保育士と繰り広げている。

「あのさぁ。優花、熱があるんでしょ。早めに帰って家で休ませてやりたいんだけど。特例でどうにかならないわけ?」

僕は、イライラしながら保育士に詰め寄った。
彼女の大きな瞳がみるみる潤んでいく。
彼女は唇をきゅっと噛みしめると、僕に頭を下げた。

「それは……できません。申し訳ありません。」

おそらく彼女はクレーム慣れしていないのだろう……声が震えている。
あーあ、これじゃまるで僕が彼女を虐めてるみたいじゃないか。

「いいよ、分かった。」

とは言ってもここで引き下がるわけにはいかない。

「じゃあ、早めに姉に連絡つけてよ。連絡つくまで僕はここで待ってるからさ。」
「分かりました。」

彼女は僕にペコリと頭を下げ、姉と連絡を取るべく慌てた様子で園内に戻っていった。
僕は保育園の門柱にもたれ、はぁっと溜息を吐きながら空を見上げた。
寒い。
そういや今夜は雪の予報が出てたっけ。
この分だと優花だけじゃなく僕も風邪をひいちゃいそうだよ。

「あの……これを……。」

10分ほど経った頃だろうか……先ほどの保育士が戻ってきて僕に紙コップを差し出した。
紙コップの中にはチョコレート色をした液体が入っていて、そこから甘い香りが立ち上っている。

「すみません。まだ、優花ちゃんのお母様と連絡が取れなくて……。これ、ホットココアです。よろしかったら……。」
「……ありがと。」

僕は彼女からそれを受け取ると一口、口に含んだ。
久しぶりに飲むココアは胸やけしそうなほど甘ったるくて……でも、とても温かかった。
早々にココアが持つ鎮静作用が効いたようで、尖っていた心が丸くなっていくのを感じた。

「寒いですよね。室内でお待ちいただければいいんですけど……規則で……すみません。」

申し訳なさそうに頭を下げる彼女を横目に見ながら、僕はまた一口、ココアを飲んだ。

「規則なんでしょ。だったら君が謝る必要ないんじゃない?今の時代、どこに不審者いるか分からないからね。もしかしたら僕は誘拐犯なのかもしれないし?」
「そんなこと……っ!私、思ってません!」

さっきまでおどおどしていた彼女が顔を上げてまっすぐに僕を見た。
へぇ……?
よく見ると、この子けっこう可愛いかも。

「君、名前は何ていうの?」
「……え?」
「それも規則で教えられない?」

イタズラっぽく笑うと彼女の頬がほんのりと赤く染まった……ように見えた。
外灯の下にいるけど辺りは暗いからよく分からない。

「ゆ……雪村です。雪村千鶴です。」
「ふぅん。雪村千鶴先生ね。覚えておくよ。」
「あ……あの、あなたの名前は?」
「僕は沖田優花の叔父の沖田総司。ときどき優花のお迎えに来るからさ。覚えておいて?」
「……はい。」

決めた。
今度から週に一度のノー残業デーは、姪っ子のお迎えの日としよう。
姉さんも助かるだろうし、優花も喜ぶだろうし、僕もこの子に……千鶴先生に会えるから一石三鳥だよね。





【fin】


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