帰り路をなくして(未完)

□第5話【血が語る真実】
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私達が滞在しているのは、宿屋の二階にある二間続きの部屋だった。
一方の部屋を風間さんと天霧さんが、そして襖で隔てられたもう一方の部屋を私が使わせてもらっていた。

「これに着替えてこい。」

私は風間さんに差し出された着物を受け取り、着替えるために開け放たれていた襖を閉めた。
寝たきりだった時は寝巻きだったけれど、起きられるようになってからは宿のおかみさんの着物を借りていた。
宿を出るなら返さなくてはいけない。
その着物を脱いで、丁寧に畳む。
そして、風間さんが用意してくれた着物に着替えるため、改めてそれを手に取って私は驚いた。

………これって!

渡されたものをよく見ると、上から下まで一揃え、全て新しいものだった。
しかも一目で上質だと分かる品々に、私はくらりと眩暈を起こしそうになった。

田舎の宿場町で、どうやってこのような着物を手に入れたのだろう。
古着や、もっと普段着のようなものだったらまだしも、こんなに高そうな着物を身に着けるのは、どうにも気が引ける。
私は着替えを中断し、襖を二寸ほど開けて風間さんに声をかけた。

「風間さん。私が今まで着ていた着物はどこでしょうか。」
「………その着物が気に入らんのか?」
「そ…そうではなくて、ですね。私は今、無一文ですので、このように高価な物を用意していただいても返せる宛がないといいますか、分不相応といいますか…。」

すると襖の向こうから、風間さんの小さな溜め息が聞こえてきた。

「お前が着ていた物は、煤だらけで所々破けていた上に、血を吸って黒く変色していた。それ故、処分した。その着物は、お前の私物を勝手に処分した詫びだ。」
「…え?お詫び、ですか?」
「そうだ。」

修復不可能なほど、ぼろぼろになった着物を処分したお詫びに高級品を一揃えって訳が分からないんですけど…。

「それでは、風間さんが割りに合わないと思います。」
「構わん。」
「でも…。」

構わないと言われても…。
風間さんて、お大尽様なのかな。
夫でも、おそらく恋仲でもない男性からの高価な贈り物を、ほいほいと身に着けていいのだろうか。
でも、これ以外に着る物はないし…。
何と返答していいか分からず困っていると、天霧さんのコホンという咳払いが聞こえた。

「ここで押し問答していても仕方ありませんよ。その着物は、この近くの寺の住職から譲って頂いたものです。娘さんのために誂えたものの、色が気に入らないとかで袖を通してもらえなかったんだとか。」
「そうなんですか?」
「ええ。その娘さんも随分前に嫁に行ってしまい、長いこと住職の家の箪笥の肥やしになっていたそうです。ようやく日の目を見ることができるようになった着物ですから着てあげてください。」

私は、着物を手に取ってみた。
長いこと箪笥の肥やしになっていたというけれど、虫食いなどはなく傷んでもいなかった。
おそらく時折、箪笥から出して手入れをしながら大切に保管されてきたのだろうと思った。

落ち着いた藤色の着物。
嫌いではない色…ううん。むしろ、好きな色だ。

「分かりました。では、ありがたく着させていただきます。」

縁あって私のもとに来てくれた着物と風間さん達の気づかいに感謝しながら、私は襖を閉めて着替えを始めた。

髪を下ろしたままというのも何なので、くるりと団子のように纏め、着物と一緒に添えられていた藤の花飾りが付いた簪を挿した。

着替えを終えて襖を開けると、窓際で風間さんが私の小太刀を手に取って眺めていた。
そして私の姿を見ると、ほう、と言いながら僅かに口角を上げた。

「少しは見られるようになったではないか。」

…風間さんなりの褒め言葉なのだろうか?
それとも、中身は不細工だけど着物が綺麗だと言いたいのだろうか…。
褒められているのか、けなされているのか分からない言葉を貰ってしまった…。

「ありがとうございます。」

素直によい方に捉えることにして、そう答えてみる。
その答えに満足したのか、風間さんがほんの少しだけ目を細めた。

「天霧さんは、どちらに?」
「舟の手配をしに行った。」
「舟、ですか?」
「あそこに川が流れているのが分かるか?」

風間さんが視線を窓の外に移したので、私も窓辺に近づき、外を見た。
広々とした青田の向こうに堤防が見える。
水面は見えないけれど堤防があることから、その向こうに川があるのだと分かる。

「はい。」
「これから、舟で一気に利根川との分岐まで下る。そこで舟を降りて河岸で一泊。明日の朝一番に、利根川を下って銚子まで出る。」
「銚子からは、どうするのですか?」
「海路を使う。陸路ではお前の体に負担がかかるだろう。頭の傷が癒えたばかりだ……お前をあまり動かしたくない。」

確かに、頭に怪我をした場合は動かさない方がいい。
蘭方医である父様も、頭に怪我を負った患者さんにそうしていた。

風間さんは言葉が少ない上、表情が豊かではないので何を考えているのか分からない。
どことなく尊大な空気を纏っているので、どこかのいいところのお坊ちゃん(という歳でもないけれど)なのではないかと思う。
そんな風間さんが、私を助け、着物を施し、体の心配までしてくれている。

夫婦ではないと言っていたけれど、私達は恋仲だったのだろうか?
ううん。
記憶がなくても分かる。
私と風間さんの間に恋情がもたらす甘やかな雰囲気は、ない。
なら、どうして一緒に行こうと言うのだろうか。
謎は深まるばかりだった。

「風間さんは、どうして私を一緒に連れて行こうと思ったんですか?」
「ふ。共に行くのに理由が必要か。」

私が頷くと、風間さんは腕を組みながら瞳を閉じた。

睫毛、長いなぁ…。

目を開いている時は鋭い眼光に気を取られて気づかなかった。
髪の毛と同じ色をした色素の薄い睫毛を綺麗だと思って見ていると、風間さんの瞳がゆっくりと開かれたので、私は慌てて目を逸らした。

「お前は、自分が人ならざる者だと感じたことはないか?」
「…え。」

宇都宮城で私は、頭に大きな怪我を負った。
お医者様の話では頭の骨にヒビが入ったのではないかということだった。
そんな大怪我をしたというのに、たった数日で普段通りの生活ができるほどまで回復している。

「傷の治りが異様に早いと感じたことはないか?」
「それ…は。」

なぜ、こんなにも回復が早いのかと風間さんは訝しんでいる?
私は、傷の治りが早いという体質を人に知られてはいけないと父様に言われ、子どもの頃からそれをひた隠しにしてきた。
自分の体質について風間さんに話せば、おそらく奇異な目で見られるだろう。

「お前は、鬼を知っているか?」
「鬼…?桃太郎や一寸法師の中に出てくる、あの鬼ですか?」

すると風間さんが、くくく…と声を出して笑った。

「かなり歪曲して伝わっているが、その鬼だ。」
「はあ…。」

話が見えてこなくて、私は気の抜けた返事をした。

「鬼は優れた身体能力を持っている。古来より、その力を利用しようとする人間と度々諍い事を起こしてきた。だが鬼は、争いを好まぬ性質ゆえに普段は人里離れた山奥などに住んでいる。」
「それは、お伽話の中のお話…ですよね?」
「そうではない。」

風間さんが私の小太刀の鯉口を切った。
そして、鞘から刀身をスラリと抜く。

「この小太刀は、小通連といって雪村本家に代々伝わるものだ。そのことは知っているか?」
「母の形見だと聞いてます。風間さん?何を…!」

私が言い終わる前に、風間さんは躊躇うことなく小通連の刃を自分の左手の甲にスッと押し当てた。
傷口からじわりと血が溢れ、畳の上にポタタっと音を立てて垂れ落ちた。

「風間さん!」

私は慌ててそれを止めようと柄を握った。

「どうして?やめてください!」
「慌てるな。よく見ろ。千鶴。」

風間さんが傷を負った左手の甲を私に向けた。
みるみるうちに傷が塞がっていく。

「!」

驚きで言葉を失った私の隣で、風間さんが懐紙で刀についた自分の血を拭った。
そして、刀身を鞘に収めてから私を見た。

「千鶴、お前は人ではない----------鬼だ。そして俺も。」

…鬼?
人ではない?

「嘘…。」
「鬼は嘘はつかん。雪村家は、かつて東国を束ねていた鬼の一族だ。同じ鬼として俺は、お前を助けたい。それが、お前を俺の里に連れて行く理由だ。」

私が………鬼?
私は、ただ呆然と風間さんの深紅の瞳を見つめたのだった。







多分、これからも1ページずつの亀更新となります。
のんびりで申し訳ありません。

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