帰り路をなくして(未完)

□第1話【最初で最後の…】
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慶応4年4月。



俺は、旧幕府の先鋒軍の参謀として佐幕派の象徴である会津を目指していた。
新選組副長としての経験と実績から参謀に起用されたようだが、俺は腰抜けの旧幕府軍のために働くつもりはさらさらなかった。
俺が守りたいのは、近藤さんと共に築き上げてきた新選組だけだ。

だが。

鳥羽伏見の戦いで源さんを亡くした。
総司は、千駄ヶ谷で療養している。
新八と佐之は離隊した。
そして、流山で投降した近藤さんの行方は未だに掴めてねぇ。

新選組の鉄の結束はどこへやら。
志を同じくしていたはずの試衛館の仲間は皆、バラバラになっちまった。
俺が守りたかった“新選組”とは何だったのか…。
こんな迷いは、初めてだった。
俺は目標を見失ったまま、流されるように宇都宮へ向かっていた。



宇都宮に入る前に、蓼沼にある満福寺に本陣を置くことになった。

宇都宮城は構造上、巽の守りが弱い。そこから攻め入ることを作戦会議で決定した後、俺は千鶴と共に住職の部屋の近くに宛がわれた部屋で休むことになった。
野営では体は休まらねぇ。
昼夜の別なく続く行軍に、羅刹となった体が悲鳴を上げていた。

「夜が明けきる前に宇都宮に向かう。少しでも体を休めとけ。」

俺は千鶴にそう声を掛けた後、倒れ込むように布団に横になった。
そして、あっという間に眠りに落ち、泥のように眠った。



どれくらい眠っていたのだろうか。
ふと、目を覚ますと傍らにいたはずの千鶴がいない。
厠にでも行ったのか?
しかし、隣に敷かれた布団に入った形跡がないことに気づき、俺は慌てて部屋を飛び出して千鶴の姿を探した。
そして、ようやく。
寺の境内にある大きな銀杏の樹の下でそれを見上げている千鶴を見つけた。

「休んどけって言ったろ?」

俺は、千鶴に気づかれないように安堵の吐息を吐きながら声を掛けた。

「すみません。眠れそうになかったので、少し外の空気を吸おうと思って…。」

千鶴は、柔らかく微笑みながら俺に視線を移した。

「西本願寺にも大きな銀杏がありましたが、こちらの銀杏の樹も立派ですね。」
「そうだな…。」

天に向かって枝を広げる銀杏の大樹を千鶴の隣で見上げながら、西本願寺にいた頃に思いを巡らす。
あの頃は、近藤さんを押し上げること、そして新選組をでかくすることしか考えていなかった…。

「あの頃は、賑やかでしたね。」

千鶴がくすくすと笑った。
おそらく、千鶴の脳裏には楽しげな思い出が描き出されているのだろう。
その姿を見て俺も、煩いくらいに賑やかだった試衛館の面々を思い出した。

「私、鹿沼宿で久しぶりに永倉さんにお会いできて、嬉しかったんです。永倉さん率いる靖共隊も会津を目指してらっしゃるんですよね。会津には、斎藤さんもいらっしゃいます。だから、会津に行けば、きっと…。」


----------きっと?


会津に行って…そして。
その先に何があるんだ?


俺は、生きる場所を探しているのか。
それとも、死に場所を探しているのか。


しばしの沈黙の後、千鶴が口を開いた。

「うまく言えないんですけど…。今は土方さん御自身が新選組の旗印なんじゃないかって思うんです。」
「俺が旗印?」
「誠を貫く旗印です。だから、亡くなった大勢の仲間のためにも、土方さんは生き抜かなきゃならないんだと思います。」
「………重てぇな。」

ぽつりと漏らした弱音。
それは、俺の本音だった。

「重いですよ。だから、そんな腑抜けた顔をしていては駄目です。」
「…言うようになったじゃねぇか。」

ガキだと思っていた少女が、いつしか己にとってのかけがえのない女だと気づいたのはいつだったか?
俺は、手を伸ばして千鶴の頬を撫でた。
そして、親指の腹で千鶴の唇をなぞる。
千鶴が驚いたように目を見開いた。

「ひ、土方さん?」
「おまえには、紅の一つも買ってやれなかったな。」
「わ…私は男装してますしっ。だから、紅は必要ないかとっ。」
「娘盛りに男の格好させて。しかも、こんな所にまで連れて来ちまって、すまなかったな。」
「そんな…謝らないで下さい。」
「こうやって俺に触れられるのは、嫌か?」

でかい目をさらにでかくして、千鶴がふるふると首を左右に振った。

「嫌じゃねぇんなら、俺は調子に乗るぞ?」
「あ、あの。土方さん?」

俺は、千鶴の唇に自分のそれをそっと押し当てた。
至近距離で栗色の瞳が揺れているのが見えた。

「………!」
「目ぐらい瞑れ。」

僅かに唇を離して囁く。
すると、千鶴が困惑したように潤んだ瞳で俺を見た。

「こういうこと…したことねぇのか?」
「あるわけない…です。」

みんな牽制し合ってたからな…。
結局、誰も千鶴に手を出せなかったというわけか。
俺は、心の中で苦笑した。

「目ぇ瞑れ………千鶴。」

耳元で名を囁くと体をふるりと震わせながら、千鶴は静かに瞳を閉じた。
千鶴の体を掻き抱いて唇を甘く食むと、それに応えるように千鶴が俺の背に手を回した。
角度を変えて、何度も唇を合わせていく。
千鶴の魂に、深く俺を刻み付けたかった。


----------この女が愛しい。


戦が始まる前に千鶴を千姫に託すべきだった。
しかし、俺は千鶴を手放したくなかった。
手放したら、多分……二度と会えない。
それが分かっていたから、手放せなかった。

「死ぬなよ。」
「…はい。」
「俺から離れるな。」
「……はい。ずっと、お傍に!」

視線を絡めて、そして、もう一度。
俺達は唇を合わせた。
それが俺達の最後の口づけになるとは知らずに。







宇都宮城の戦い前夜にようやく気持ちが通い合った2人。
土方さんと千鶴ちゃんはお互いに想い合いながらも、この時まで気持ちを伝えられずにいたという設定です。

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