歳三くんと私(未完)

□長月の章
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長月の章【1】


✻ ✻ ✻ ✻ ✻


9月になったけれど秋の訪れはまだまだ先のようで、クーラーが効いた電車から降りた途端にモワっとした暑さに包まれた。
改札を出てギラギラと照りつける太陽の下を10分ほど歩くとバイト先である定食屋さんの看板が見えてくる。
吹き出す汗を拭いながら従業員専用のドアを開け、厨房を覗くと店主の劉さんが料理の下ごしらえをしていた。

「おはようございます。」

いつものように劉さんに挨拶をして控え室に入ろうとしたら、

「チヅル!」

劉さんが作業する手を止めて私に近づいてきた。
なんだか不機嫌そう……どうしたのかな?

「オハヨウ。さっきチヅルのお母サンから電話があったよ。チヅルが出勤してきたら電話くださいって。チヅル、住むところ変えた?何でお母サンに言わない?お母サン心配してたよ。早く連絡してあげて。」

劉さんは矢継ぎ早にそう言うと、私に電話の子機を手渡した。

「すみません。電話お借りします。」
「そうやって、すぐ謝らない。日本人、すぐ謝る。」

劉さんは中国からやってきた料理人で年の頃は50歳くらい。
オブラートに包まずにハッキリ物を言う人だ。

「すみません……っあ!すみません。」
「チヅルは気を使いすぎだね。」

劉さんが呆れたように笑って厨房に戻って行った。

控え室に入り、しばし電話機と向き合う。
袋小路の家に引っ越したことは誰にも話していない。
もちろん親にも。
でも……バレたんだろうなぁ。
鈴木さんと“友達”になって以来、私達の間に体の関係はなくなっている。
けれど奇妙な同居生活は継続中で……。
私は何と説明すべきか迷いながら自宅に繋がる10桁の番号を押した。

『もしもし。』
「お母さん?」
『千鶴?ああ、よかった。無事なのね?女子寮に食料品を送ったら宛先不明で戻ってきたから吃驚しちゃったわよ。女子寮に電話したら退寮したっていうし……。バイト先の電話番号聞いておいてよかったわ。』
「ごめんなさい。心配かけて。」
『今どこに住んでるの?』

うっ……早速きた!
ど、どうしたら…………そうだ!
鈴木さんとは“友達”なのだから同棲じゃなくて同居ということで話を進めよう。

「今ね。鈴木さんっていう方のお宅に住んでるの。」
『鈴木さんて?』
「え……と。鈴木三樹さんっていう方が大学の近くの一軒家に住んでてね。部屋が余ってるから使っていいって言って下さって……。」
『ミキさんて方は大学の先輩?ルームシェアみたいなものなの?』

お母さんは鈴木さんのことを女の人だと思ってるんだろうなぁ……多分。

「鈴木さんは違う大学の院生でね。うん。そうだね。ルームシェア……みたいなものかな。」

違う。
ルームシェアなんて嘘ばかり。
だって私はお金を払って袋小路の家に住んでいるわけではない。
水道光熱費や食費は鈴木さん持ちなので、せめて家賃を取ってほしい……と交渉している最中ではあるけれど未だにお金を受け取ってもらえずにいる。

『まったく……住所が変わったのなら連絡しなさいよ。千鶴が消えたかと思って肝が縮んだわ。』
「ごめんなさい。」
『次は、いつ帰ってくるの?』
「今週末に帰ろうかと思ってたんだ。大学が始まるまで1週間くらい居候してもいい?」
『居候って……千鶴の家なんだから、いいに決まってるじゃない。何か食べたいものある?用意しておくわよ。』
「うーん……ナポリタンかな。お母さんが作った素人っぽい味のナポリタンが食べたい。」
『素人っぽいって失礼ね。』
「ふふ。あと……帰ったら携帯ショップに一緒に行ってほしいな。やっぱり携帯がないと何かと不便だね。」
『そうね。また行方不明になられても困るしね。』
「うぅ……。お叱りはごもっともでございます……。」
『まあ、今回は無事だったからいいわよ。劉さんは近くにいらっしゃるの?ご挨拶したいからお手すきだったら代わってほしいんだけど。』

控え室のドアを開けて厨房を覗くと、中華鍋で何かを炒めている劉さんの後ろ姿が見えた。
お店が始まるのが11時。
その前に劉さんと奥さん、そして私の3人で賄いを食べるのが通例になっているから、おそらく賄いを作ってくれているのだと思う。

「今、厨房で料理作ってるけど……代わろうか?」
『忙しいならいいわ。よろしく伝えておいて。』
「分かった。じゃあ、またね。」

電話を切って、溜息を一つ。
私……お母さんに嘘ついちゃった。
お母さんは私がルームシェアをしていると信じちゃったわけで……本当は違うから罪悪感を感じてしまう。
お母さん、嘘ついてごめんなさい。
私は、もう一つ深々と溜息を吐いたのだった。
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