帰り路をなくして(未完)

□外伝【鬼火の路】
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【語り手:千草】



父と広足が風間の里に到着したのは、うららかな春の午後のことだった。
父は3年前よりも髪に白いものが増え、広足は幼さが消えて精悍な顔立ちになっていた。
千速への挨拶を済ませて東の対の屋に戻ってきた広足が、頭上を気にしながら私の部屋の鴨居をくぐった。

「広足は随分と背が伸びたのだな。」
「5尺9寸ってとこかな。敷居から鴨居まで5尺7寸で作られてる屋敷が多いから、こうやって、ちょっと頭を下げて鴨居をくぐらないとぶつかるんだよね。」

いつの間にやら見上げる程の身長差がついてしまったことに、離れていた月日の長さを感じた。

「父上は?」
「千速サンと頭領同士の話をしてるよ。俺は、堅苦しい話は苦手だから逃げてきちゃったけど。」

広足が肩をすくめながら悪戯っぽく笑った。
笑うと見える八重歯や、黒目がちな瞳は健在で相変わらず仔犬のようなのだが…。
前よりも低くなった声や話すたびに上下する喉仏を見て、可愛いかった弟が急に大人の男に変身してしまったような気がして寂しいような、それでいて落ち着かないような妙な気分になった。





今宵は新月。
新月は新しいことを始めるのに適した日ということで、風間の里では嫁入りは新月の夜に行うという習わしがあるのだという。

フユの祝言は日暮れと同時に始まった。
花嫁衣装に身を包んだフユは、世話になった雪村・風間両家の頭領に深々と頭を下げた後、新郎の待つ家へと向かった。
満開の桜の下、花嫁行列の提灯の灯りがゆらりゆらりと揺れる様は、この世のものとは思えないほど幻想的で、夕闇の中で連なるように光る提灯の列が連なって光を放つ鬼火のように見えた。
無数の鬼火に見守られるように、一歩一歩、歩いて行くフユ。
雪村の里に降り積もる雪を連想させるような綿帽子と白無垢に包まれたフユの姿を美しいと思った。



東と西の鬼の和合ということで宴は大いに盛り上がり、日付が変わる頃まで酒盛りが続いた。
広足と千速は意気投合したらしく、差しつ差されつ酒を酌み交わしていた。
宴がお開きになって風間の屋敷に戻ってからも、飲み足りない、話し足りないということで千速の部屋で飲むことにしたらしい。

一方、酒が入って上機嫌な父に久々に親子水いらずで一緒に寝ようと誘われた私は、侍女に頼んで私の布団の隣に父の布団を敷いてもらった。

「千草…まだ、起きているか?」
「はい。なんだか眠れなくて…。」
「私もだ。」

宴の余韻で興奮しているのか、なかなか寝付けずにいたのだが、どうやら父もそうだったらしい。

「千草の隣で寝るのは、何年ぶりだろうなぁ。」
「広足が雪村の屋敷に来る少し前に、母上が病で伏せっておられて、しばらくの間、父上と一緒に寝ていた記憶があります。」
「ああ…そうだった。あの頃の千草は暗闇が恐いと言って、いつも母上と一緒に寝ていたんだったなぁ。私と一緒に寝ようと誘っても“母上と寝る!”と泣いて…。私と一緒では駄目かと聞いたら“父上は、お髭が痛いから嫌!”って言われて途方に暮れてなぁ。今となっては懐かしい思い出だが。」

そんなこともあったのか…と幼い日々に思いを馳せていると、しばしの沈黙の後、父が静かに語り始めた。

「実は、あの時……。母上の腹の子が流れてしまってなぁ。男の子だった。生きていれば…いや、亡くした子の年は数えるものではないと分かっているんだがな。もし…もしも、無事に生まれていれば今年で13……千景殿のような少年に育っていたかもしれんなぁ。」

亡くした子の年を数えるともなく数えてしまうという父の気持ちが痛いほど分かった。
きっと私も亡くした子……千鶴の年を数えてしまうだろうと思うから。

「千草が危篤だという報せを受けた時、お前に謝らなければならないと思った。」
「謝る…何を、ですか?」
「親の敷いた路を無理矢理に歩かせたことを、だ。強い鬼の子を孕んでこいなどと、よく言えたものだと。生きていてくれるだけでよいと…。お前の弟が流れてしまった夜、泣き疲れて私の腕の中で眠るお前の顔を見て、そう思ったはずなのに。」
「私は……。千速に会えてよかったと思っています。雪村の里にいたら井の中の蛙でしかなかった、と。だから、父上が謝る必要はありませんよ?」
「お前…男前だなぁ。そういえば、千速殿を袖にしたそうだな。よかったのか?」
「千速は私にとって尊敬する師。これからも変わらず。私は雪村の里に帰って父上の後を継ぎます。子は産めぬかもしれませんが…。」
「子は…もう、よい。養子を貰えばいいだけの話だ。」
「…申し訳ありません。」
「謝るな。堂々としていろ。お前は私の誇りなのだから。」

穏やかな父の声を心地よいと思った。
風間の里で過ごす最後の夜は、静かにやさしく更けていった。
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