帰り路をなくして(未完)

□外伝【鬼火の路】
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【語り手:千草】



もし人間だったら流れてしまった子と共に儚くなっていただろう…と医師に言われるほど、私の容体は危なかったらしい。
そう言われてみれば意識が混濁している間、何度も水辺の夢を見たが、あれは俗に言う“三途の川”というものだったのかもしれない。
それにしても鬼の回復力とは凄まじいもので、桃の花が咲き始める頃には以前とほぼ変わりない生活を送ることができるようになり、水辺の夢も見ることがなくなっていた。





三日前に床払いは叶ったものの、まだ血が足りぬようで時折くらりと眩暈を覚えることもあったため、屋敷の外に出ることは医師にも千速にも固く禁じられていた。
しかし、風間の家の敷地内であれば伴の者をつければ問題ないということで、寝間着から着物に着替えた後に侍女であるフユを連れて風間家自慢の庭園をゆっくりと散歩するのが床払いしてからの私の日課になっていた。





フユは雪村の里から連れて来た3つ年上の侍女で、とても気が利き頼りになる存在だった。
仕事一本槍だったフユが、いつの間にやら風間の里の若者と恋仲になっていたのを知ったのは、私の懐妊が分かった時だった。
懐妊すれば雪村の里に戻るというかねてよりの約束通り、桜の開花を目安に私とフユは風間の里を去ることに決まったのだが、それを知った相手がフユを嫁に欲しいと私のもとへ直談判しに来たのだ。
フユはその若者と別れて私と共に雪村の里へ戻ると言い張っていたが、私は、その必要はないとフユに告げた。

「あの方とは別れます。私は一生、千草様のお傍に…。」
「フユには十分、尽くしてもらった。フユはフユの道を行け。」

実は、私にも風間の里に残るという選択肢があった。
この先、私と千速の間に子ができなかったとしても風間家には千景という立派な後継ぎがいるので風間家としては何の問題もない。
正式に風間家に輿入れするつもりはないかと千速に問われたのは、床払いをする少し前のことだった。
千速が真剣に求婚してくれているのが分かり、嬉しく思った。
だが、私は雪村家を継ぐ者だ。
私は、どうしても千速から差し伸べられた手を取ることができなかった。

昨日、フユの婚礼に必要なものが雪村家から届けられた。
フユの幸せを願って雪村家から贈られた花嫁衣装を見て、フユは涙を流しながら私に何度も何度も頭を下げた。

「泣くな、フユ。」
「ですが…。嬉しくて。ありがとうございます!」

私は、泣き笑いのフユをぎゅっと抱きしめた。
フユには幸せになってもらいたいと心の底から願った。





今朝も、東西に長い池の周囲に巡らせてある園路を歩くことにした。
ピリリとした朝の空気が気持ちいい。
つかず離れずの距離でフユがついてきてくれるのが嬉しかった。


こんなふうに歩いている時も、つい流れてしまった腹の子のことを思い出してしまう。

“風間の頭領の子を流すとは何たることだ”
“良血の女鬼でも子を産まねば価値はない”

見舞と称してやって来た長老達が吐いた言葉が胸に刺さった。
……確かに長老達の言う通りだと思った。

雪村と風間の血を引く子なのだから、元気に生まれてくるものだと信じて疑わなかった。
しかし、多くの者に祝福されて生まれてくるはずだった我が子は、たった一人で旅立ってしまった。
冷たくなった我が子を抱いた時のことは、おそらく一生忘れることができないだろう。
石女(うまずめ)になってしまったかもしれないのは、きちんと産んでやれなかった自分に課せられた罰なのかもしれないと思った。


…おや?
池の中央にある中島へと架かる石橋の上で何かが動いている。
何だろうと思い、足早に近づいてみると……スッポンだった。
滋養にいいと雪村家から届けられたものの、悪阻が酷かったために食することができなかったため、千景によって池に放たれたのだと聞いていた。
日光浴をしようとしているのか、日向に向かってヨチヨチと進む様子に心が和んだ。

しかし。
急に動いたのがいけなかったのか、不意に眩暈を覚え視界がぼやけ始めた。
……まずい。
ここで、倒れるわけには…。

「千草様!」

焦ったように私の名を呼ぶフユの声が聞こえたところで、プツリと意識が途切れた。





目を覚ますと布団に寝かされていた。
どれくらい寝ていたのだろう…。
外へ目をやると、やわらかな春の日差しの中、濡れ縁に座る千速の後ろ姿が目に入った。
もしかしたら心配してついていてくれたのだろうか…?

短く切り揃えられた黄金色の髪。
スッと伸びた後ろ姿。

千速のような頭領になれたらと憧れる。
私は、決して忘れたくないその背中を瞼の裏に焼き付けたのだった。
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