ホビット

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ホビットという映画を見たのだけれどもとてつもなく面白かった。戦闘シーンが多彩で見ているものを飽きさせず魅力的な登場人物によって描かれた人間模様は物語をドラマチックにさせた。自信を持ってお勧めできる作品だ。

本当に素晴らしい物語だけれども最後のシーンには泣かされた。主人公の一人であるトーリン・オーケンシールドが宿敵アゾグと相打ちになり死んでしまったのだ。

あんなに勇敢で気高い人が死んでしまうなんてあんまりだと思う。物語だとわかっていてもやるせなさが残る。

トーリンに死んで欲しくない。彼が作る王国を見てみたかった。

と思ったらその日のうちに私が車にはねられて死んでしまった。いや、私が死んでどうするんだよ。

死んだらどうなるのかと思ったら目の前に女神さまが現れて私が死んでしまったことはこちらの不備だからお詫びに好きな世界に転生させてくれるという。

なんというタイミング。こんな願いをかなえてくれるのなら車にはねられたのは幸運だったのかもしれない。勿論希望する世界はホビットの世界だ。中つ国にいって私はトーリンと死んでしまったドワーフたちの運命を変えてエレボールの再建を手伝いたい。

そう願うと女神さまが目を閉じて『それが望みなら叶えます。貴女はその世界で最初に目覚めた種族に生まれ変わるでしょう』といった瞬間あたりが輝いて気付いたら私は全く見知らぬ土地にいた。

目の前には白く輝く氷が一面に広がり氷の中に立っているというのに不思議と寒さを感じない。あの女神さまのいうことを信じるならば私は中つ国にきたはずだ。でもこんな氷に覆われた場所に見覚えはない。私は今どこにいるのだろう。

それからもうひとつ疑問がある。女神さまは最後に『貴女はその世界で最初に目覚めた種族に生まれ変わるでしょう』といっていたということは私が人間以外の種族になることもあるということだ。いや、現時点でその可能性が非常に高い。人間ならこの極寒の地は3秒で死んでしまいます。

寒い土地ならエスキモーかな?毛むくじゃらになるのは好みじゃないけどドワーフと似た姿になるのは悪くないなーと思って自分の姿を見ると銀色に光る鱗と鋭い爪の生えた手足が見えた。ちょっと待ってくれ。まさか人型ですらないのか?なんなら私はなんの種族になったというのだ?

まわりを見渡して姿の写るものを探す。鏡のような日用品はまったくなかったので地面にある水が凍ったのかのように透き通った氷に自分の姿を写してみる。そこには金色の瞳に鋭い牙、そして大きなトカゲのような造形の生き物が写っていた。うん、これドラゴンじゃない?トーリンの故郷を滅ぼしたスマウグさんと同じ種族の竜ですよ。女神さまはわたしのことが嫌いなんでしょうかね。なんでよりにもよってトーリンに最も嫌われている種族に転生させるんだよ。

いや、落ち着いて考えよう。ドラゴンにもいいところがあるはずだ。まずわかりやすい特徴として他の種族よりも力をもっている。うん、これはいいね。トーリンを助けるのに力は絶対に必要だ。戦力になるというのは最大のメリットかもしれない。

次に空を飛べることができる。今軽く背中に力をいれてみると肩の後ろにある翼を動かすことができた。これなら居場所の分からないトーリンたちを見つけるのも容易になるだろう。

おお、こう考えるとドラゴンも結構にいい感じですね。じゃあ次はデメリットについて考えてみようか。
まず、トーリンに嫌われる。うん、はい、では終了ですね。一つ目のデメリットがすでに致命的すぎる。トーリンを助けたいのにすでに蛇蝎のごとく嫌われているとかどうしようもないじゃん。近寄った瞬間弓矢を浴びせられる予感しかしないわ。

次にしゃべることができない。いや、スマウグがしゃべれていたのだし構造的にはしゃべれるはずなのだがさっきから口から洩れるのは『グガァ』とか『グルルッ』とか意味のない音だけなのだ。見た目で嫌われていて話して事情を説明することもできないなんてもう絶望的すぎて泣きそう。それでもトーリンを助けたいから行動することにする。

取り敢えず外に出て情報収集をしよう。ここがどこかも大事だけれどももうひとつ今の時間軸も知る必要がある。せっかく中つ国にきたのにもうスマウグ倒してトーリンは死んでいましたとかになったら目も当てられない。

まだドラゴンになったばかりで慣れない身体を動かしながら出口を探す。だがこの氷に囲まれた洞窟には出口はないのでいつまでも白銀の光景が続くばかりだ。うん、私どうやってここに来たんだろうね。なんかいつまでも出られなくてイライラしてきたぞ。

同じくドラゴンのスマウグは口から火を吐くことができた。なら、私も口からブレスみたいなものを吐くことができるのではないだろうか?

せっかくなので試してみる。できたら無事脱出できるし無理だったら次は体当たりでもしてみることにしよう。

口を開けて息を吸い込む。ブレスを吐こうと意識したら口の周りから白い息が舞い上がる。うん、何が出てくるんだ?

そのまま息を吐き出すようにブレスを吐くと冷たい息が勢いよく吐き出され空気の塊が壁に穴をあけガラガラと氷の塊が落ちていく。局地的な猛吹雪に見舞われたような破壊力だ。おお、これはすごいな。どっかの青龍の必殺技を思い出すよ。私も『粉砕!玉砕!大喝采!』と叫んだ方がいいのかね。

取り敢えず無事外に出られたので翼を動かし空を飛ぶ。空は灰色の雲で影っており時々白い氷が落ちていく。後ろには暗い空が続き前方には遥か遠くだが緑の森が見える。うん、向かうなら前方だね。この白い氷山にエレボールがあるとは思えないから森を目指そう。

空を飛ぶのは初めてのことだったけど不思議なことに呼吸をするのと同じように自然にすることができた。森伝いに飛んでいると途中でお腹がすいたので何度か森に降りて鋭い爪と牙で森の動物を狩ってみたんだけどこの身体じゃ当たり前だけど料理とかできないんだよね。仕方ないので生でいただきました。意外とおいしかったわ。

そのまま飛んでいき彷徨いながら山の連なりを3日ほど超え進んでいくと遠くの岩山で煙が上がるのが見えた。確かドワーフは鍛冶が得意で火の扱いに長けているという。じゃああの煙が石炭や燃料を燃やす煙である可能性もあるよね。何処に行けばいいのかもわかっていないことだし取り敢えずあの煙のもとに行って何かを確かめてみようと翼を動かす。近づけば近づくほど喧騒が増していく。どうやら私は正解したらしい。連なる山々からひとつ離れたところにそびえたつその岩山から沢山の毛むくじゃらの小人が出ていく。遠目だから確信はもてないけれどもおそらくドワーフたちだ。何という幸運、さっそくドワーフたちを見つけられましたね!

ということでトーリンのいるはなれ山のドワーフたちを見つけれたのはいいことなんだけどどうにもこうにも様子がおかしい。みんな着の身着のまま必死にはなれ山から逃げているし建物の奥からは赤い熱が漏れでいるように見える。

うん、どう見てもスマウグ様がいらっしゃっているようですね。タイミングが悪いのかよいのか今はトーリンが故郷を奪われる真っ最中らしい。正直まだ心の準備はまったくできていないのだけれどもここまできたならばやるしかない。わたしは翼をはためかせながらエレボールに入るために入口に向かって飛ぶ。するとちょうどそこから立派な黒い髭を持った男が駆けだしてきた。

あれはトーリン!?トーリンだ!本物のトーリンだ!映画で見た時よりも白髪もないし若く感じる。本物のトーリンを見ることができて感無量である。ここ世界に来れて本当によかった。

だけれども今はそんな感動に浸れる状況でもない。トーリンが出てきた建物内部がまた赤く光り始めたのだ。これってひょっとしてスマウグがまた火を吐こうとしているんじゃない?今内部から外に向けて火を噴いたらトーリンが焼けてしまうんじゃないか?そんなことは絶対にさせない!

すぐさまエレボールの入り口に降り立ち逃げていくドワーフを背にするように立ちふさがる。その場に立つと中の様子がよくわかった。中は岩でできたであろう柱が崩れ去り石と炎に埋め尽くされている。そしてその中に赤々と輝く竜の姿があり今まさに口をあけ炎を吐き出すところだった。いくらドラゴンの身体といえあの骨をも溶かすと噂の炎を食らったら絶対にやばいよね。私も息を吸い込むブレスを放つ。


『グオオォオオッ!!!』


『ギャアアアァォオン!!!』


スマウグの吐き出した炎と私の氷の息がぶつかる。それは見事相殺され私の吹きかけた息吹の余波で周りの火も消えた。

ドワーフたちが私の脇を通り抜けていくのを横目に見ながらスマウグに意識を向ける。目が合うとスマウグは目を見開いてそしてノシノシと私の方に向かって歩いてくる。


「これは驚いた。北の大地の白銀竜、アイリスではないか。何故ここにいる?」


「グルル、ギャウグッ!(ドワーフたちを助けに来た。彼らを殺させないぞ!)」


スマウグの言葉から私の名前が『アイリス』ということを知る。自分の名前を他人の口から聞いて知るとはなんか変な感じだけれどまあ言われなければ一生知れなかったのだからプラスに捉えよう。

それよりも気になるのは私の口から出てくる言葉が意味のない音ばかりということだ。スマウグにここにいる理由を問われ威勢良く返したつもりが口から出たのは獣の叫び声だったのだ。うわっ、恥ずかしい。相手が話しかけてきているのに唸り声をあげるだけとかコミ障か。

だがスマウグは『ふむ、アイリスがドワーフと交流があるとは知らなかった』と眉を寄せているのでどうやら言葉は通じたらしい。え、あの唸り声で言葉って通じるの?私この世界の言語喋れるの?と思ったが後ろでトーリンが『もう一体のドラゴン?しかも我等を庇った?』と驚いた顔をしているのでおそらく通じてないのだろう。というかトーリン、君はさっさと逃げなさい。君を助けるために私はここまできたのに死んでしまったらどうしようもないではないか。


「俺様はドワーフなどどうでも良い。貴様と戦うのも面倒だし逃がしてやってもかまわない。さっさと行け!!」


スマウグがまた咆哮をあげる。その衝撃で空気が揺れ建物の1部が崩れた。私は降り注ぐ石の雨からドワーフを庇うように身体を広げ彼らの通り道を確保する。

スマウグはそれを飄々とした顔で見ていた。本当ならここでスマウグを倒してトーリンの故郷を取り戻してあげたいのだけれどさすがに竜生3日の私では勝ち目がないので諦める。この時代だとバルドも生まれていないんだろうな。竜殺しの栄誉は彼に取ってもらおう。

やがて全てのドワーフが外に逃げ出しスマウグは宝物庫へと去って行った。私はそれを睨みつけながら外へ出る。そこにはたくさんのドワーフがいて皆エレボールを見て泣いている。

胸が締め付けられる光景だ。今すぐ戻ってスマウグと戦うべきなのだろうか。だけれどもきっと私は勝てないだろう。


「アイリス、」


ふと名前を呼ばれ視線を下げるとそこにはトーリンが立っていた。映画で見たときよりも若くてハンサムで格好いい。実物のトーリンに私の心はズキュンと奪われました。もうなんでもしてあげたい。

しかし今の私にはやるべきことがある。彼が13人のドワーフと小さなホビットとともにエレボール奪還を目指す前に私にはどうしても必要なものがあるのだ。

それは、きちんと喋れるようになること!せっかくトーリンの力になれるのに意思疎通できねばなんの意味もないわ!トーリンと楽しく言葉を交えるどころか今のままだとおのれドラゴンめ!と弓矢浴びせられそうだもんね。そんな展開はごめんある。

こちらを見上げるトーリンをよくよく目に焼き付けて私は空に飛び立った。後ろで『アイリス!』とトーリンが私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど今は振り返らないぞ!私は話せるようになるのだ!

そのまま三日三晩空を飛び私は北の氷山に戻ったのだった。




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