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□カラフルデイズ
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「今日はこの色にしようかな」


キュ、とコルクを引き抜くと、その中の一つを摘まんでプカリと浮かべる。

するとその周辺から溶け出したベビーピンクが小さな波紋と共にほわりほわり、と広がり始めた。
ほのかに舞い散る花の香りと合間ってなんとも幸せな心地だ。


「んー…。いい香り」


小さい割に極上な香りを放ちつつ今尚プカプカと漂い続けるそれをツン、と指で弾いたルーシィはうーん、と湯の中で伸びをした。

不意に浴槽の角からつぶらな瞳を向けてくる黄色と目が合って、困ったように微笑みを返す。

ーーいつの日だったかどっかの誰かさんが置いていった、黄色いアヒル。


「あんたの持ち主は、今頃なにしてるのかしらね」


ポツリと零した呟きは広くも狭くもない浴室の壁を静かに反響させて、また自分へと返ってきた。


「会いたい、な…」


口をついて出てきてしまった言の葉に、バッ!と一瞬扉の方を振り返るも、そう言えば今日は執筆に没頭したいから来るな!と釘を差していたことを思い出してほっと胸を撫で下ろす。

大きく動いたことでいつの間にか自分の近くまで流れてきていたアヒルをまた元の位置に戻すと、ルーシィははぁ、と息を吐き出した。

こんなことを思ってしまうのもきっとこの色のせいだ…と内心でぼやきながら。



思い出すのは、数日前のことーー。









あれは、看板娘から言付った買い出しの途中。
とある一軒の店先の前を通りかかった時のことだった。


「あれ?」


なにやら見覚えのある桜色がしきりに桜頭を掻きむしっている後姿を見つけて、ふと足が止まる。


「なにやってんのかしら?あいつ」


持っていたメモをポシェットに仕舞いながら近付いて行ったルーシィは、未だぐしゃぐしゃと後頭を掻き回しているその背中へと声をかけた。



「ナツ?」
「うわっ!?」


こちらとしてはいつも通りに呼びかけたつもりだったのだが、その途端、大きく跳ね上がった肩越しに驚いた顔が振り返る。


「…なんだ、ルーシィか」
「なにそんなびっくりしてんのよ?」
「や、お前が急に声かけるから」
「急に…て、気付かなかったの?」
「おう」
「へぇ、珍しいわね」


気配に敏感な彼のことだから、てっきりこちらが近付いた時点で気付いているものだとばかり思っていたけれど、そうではなかったらしい。

マフラーを緩めながら「ルーシィに驚かされるなんて…」と呟く横顔が、いかにも“悔しがってます”という心の内を全面に押し出したような膨れっ面だ。

どうやら場所が場所なだけに自慢の鼻も効かなかったようだ。

それに。


(……まったく、こんなに散らかして)


近くに来てみて分かったが、そこを陣取るように立つ彼の前に置かれた陳列台の上が見るも無残に散乱している所を見ると、余程この店先に並んでいるコレに集中していたーーというのも見て取れた。


(何をそんなに…)


呆れはしたがそれ以上に、このメルヘンチックな外観にナツーーという、やたらミスマッチな情景がどうにも笑いを誘ってしょうがない。
しかしそれでは、珍しくーー明日は槍でも降ってくるのではないか…というくらい本当に珍しく真剣に吟味していたらしい今の彼に対して失礼だ。


ーーと、一瞬のうちにそう判断したルーシィは込み上げてくる笑いを小さな咳払いでなんとか誤魔化しつつスイ、と彼の隣りへ肩を並べた。

先程いた場所より一層香ってくる花やフルーツが混ざり合った香りに、うっとりと目を閉じつつ。
そう言えば推測するに、随分と前からここに居たらしい彼の鼻ははたして大丈夫なのだろうか…などとちょっと心配にもなりながら。


「てか、どうしたの?あんたがこういうお店来るなんて珍しいじゃない」
「んや……うん、まぁ、な」


横から見上げるようにして聞くとおそらく本人もそれは思っていたのだろう。
切れ切れに語尾を濁すーーという、イタズラがバレて落ち着きがなくなった時のような表情をして、曖昧な返事が返ってきた。


「ここ、入浴剤の専門店よ?」
「う…。うん…」


更にそう付け足すといよいよ落ち着かなくなったのか、その目が彼方へ此方へと泳ぎ出す。

そうして暫く、あー、だのうー、だの唸っていた彼だったが、うっし!と一つ頷くと意を決したように隣りのルーシィを振り返った。
同時に「これっ!」と右手に持っていた物を彼女の目先に突き出す。


「え?…なに」
「…これ、やろうと思って……ここ来たんだ」
「へ?あたし、に?」
「ん。色々見たけど、これが一番いい」
「…くれるの?」
「ん」


ほれ、と渡されたそれを、慌てて受け取る。
両手を開いた次の瞬間、ルーシィはただでさえ大きな琥珀の瞳を更に大きく見開いてキラキラと輝かせた。


「わ…あ!」



そこにあったのは、片手の平に収まる程の小さな小瓶。
中にはこれまた小さな薔薇の形をした色とりどりの入浴剤がびっしりと詰められている。


「可愛い!」
「だろ?お前こーゆーの好きだったよな」
「うん!大好きっ!」


斜め上から降ってきた声に思わず満面の笑みで顔を上げたはよかったが。


「っ…!」
「っ…!」


どうやら相手もこちらの手元を覗き込んでいたようで、危うく互いの鼻と鼻がぶつかりそうな程の至近距離に両者が同時に息を飲んだ。


まるで金縛りにでもあったかのように、固まる両者。
引くことも…ましてや間違っても(考えられないが)進む…などすることもできずに刻一刻と時間だけが過ぎていく。


「…あー」


しかし、突然ショートしたように動けなくなってしまったルーシィよりも先に我に返ったのはナツだった。
明後日の方角に目線を走らせながらポリポリと頬を掻く。


「えと…き、気に入ったか?」
「へ…?あ、…う、うん!とっても!」
「そか…そりゃよかった。…じゃ、じゃあ俺、ちょっとコレ会計してくるな」
「う、うん…お願い、します」


わたわたと体制を立て直すルーシィの手からこちらもわたわたと小瓶を取り上げると、ナツはクルリ、と踵を返してそのまま店の中へと足早に消えて行った。





「っし!んじゃルーシィ、また明日な」


鼻歌交じりに帰ってきた彼から手渡された小花柄の紙袋を嬉しそうに眺めていたルーシィはうん…と頷きかけて、はた、と動きを止めた。


「…あれ?今日は来ないの?」


しかし、言い切ってから気付く。


(しまった…!これじゃ、あたしの方から誘ってるみたいに聞こえちゃうじゃない!)


一気に顔が熱くなるのを感じてパッ、と目を逸らしたルーシィだったが、それでも相手の反応が気になってチラリ、と目線だけで隣りのナツを伺う。


そんな彼女に彼は申し訳なさそうに眉を下げた。


「あー…悪ぃな、今日は行けねんだ」
「そ、そう……てか別にそれ、謝らなくてもいいわよね」
「今日は俺、実家な気分だから」
「…や、そこはせめて自分ちって言いなさいよ」


一人で赤くなっていた数秒前までが馬鹿らしく思えてくる程のいつも通りな返答っぷりに、溜め息が出る。


(わかってた…ちょっとでも期待した自分がバカだったわ……って、期待って何よ!?あたしは別にっ…)


ーーなどと心中穏やかではないルーシィを他所に、ナツの方はと言うと。


「とにかく、そゆことだから。……じゃな!」


と、妙にあっさりと、ともすれば逃げるようにして片手を上げたまま、あっという間に走り去ってしまった。


「あ、ちょっ…って、早!もう見えなくなっちゃった」


彼が走って行った先に目を凝らして見るも、すでにその桜色はなく。

その場に一人ポツンと取り残されたルーシィは暫くしてからはぁ、と脱力したように肩の力を抜くと両手で包んだ小さな紙袋へと改めて目線を落とした。


「……まったく、どういう風の吹き回しかしらね」


そうイタズラっぽく呟いたものの、彼女の表情は柔らかい。


何故なら、これは多分、アレだろう…というはっきりとした心当たりがあったからだ。



そう、これは多分、先日の……。


ーーボディソープ事件だ。


日頃頑張っている自分へのご褒美に……と人が折角大事に大事に少しづつ少しづつ使っていたちょっと値の張る高級ボディソープをあろうことか全て泡風呂にされて使いきるーーという、ルーシィにとっては極悪非道極まりない悪夢を味わったーーあの事件。

帰宅した際、やたら風呂場からはしゃぎ声が聞こえるな…とは思ったが、それを発見した瞬間、勝手に不法侵入して勝手に風呂を使われていたことよりも何よりも頭に血が上って、そこから泡まみれ、タオル一枚のまま引きづり出した一人と一匹を正座させて延々二時間はこっぴどく叱り倒したーーあの事件。


きっとこれはその、罪滅ぼしのつもりなのだろう。


だとしたら、疾風の如く逃げるように走り去ってしまったのにも頷ける。
あの走りは、またあの時の説教をぶり返すまいとした見事なまでの逃げ足っぷりだった。


(でも正直、もう怒ってないんだけどなぁ)


“慣れ”とは恐ろしいもので、あれから幾日か経つにつれて薄れてきたこともあり自分の中ではもうすでにあの事件は許容の範囲内に達しつつある。

そうは思いつつ、もう少し言葉が欲しかったな……などと考えてしまうのはまだ多少の未練が残っているからなのかもしれないけれど。


「ま、今回はこれに免じて許してあげましょう」


脳裏に浮かぶのは、走り去る背中とは別に、小瓶を突き出してきた際目に焼き付いてしまった彼の真っ赤に染まった顔。

理由はどうであれ自分のために選んでくれたこと自体が、ルーシィには飛び上がりたい程嬉しかった。


「……と、そうだ!買い物!」



ひとしきり幸せを堪能したあと、すっかり忘れていた頼まれごとを漸く思い出して慌てながら入浴剤の専門店前を後にしたルーシィだったが、その足取りは羽根が生えたように軽やかだった。





ーー以来、ルーシィのバスタイム時にはその日の気分によって毎日違う色の小さな薔薇が湯船に浮かぶようになった。










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