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□離さないで、ぎゅってしてて。
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氷のように冷たいドアノブを捻る。
極力外の空気を招き入れない様にとギリギリ通れるくらい開けたドアの隙間から中へと滑り込むも、吐いた息の白さにルーシィはげんなりしながら赤くなった両手を擦り合わせた。


「う〜…」


部屋に入ったのにこの寒さ。
外との温度差などまるでない。
吹きつける風がないだけまだマシなのだろうけどこんなに寒くては外に居るのと対して変わらない気がする。


「早く、だんろに…火を」


身を縮こませながら回らない舌でそう呟くと部屋の奥からボッと何かが燃え上がる音が聞こえて思わずルーシィはひっ、と短い悲鳴を漏らした。
恐る恐るそちらを見たルーシィの目が驚きに見開かれる。


「え…」


部屋の一番奥。
そこに鎮座した、最近では毎日お世話になっている暖房器具ーー暖炉に火が灯っているではないか。


「な、なんで…」


この部屋に居るのはたった今帰宅したばかりの自分一人だけ。
その自分は未だ玄関先に突っ立ったままだし、第一ここから暖炉に火を付ける、なんて荒技絶対にできない。
暖炉がひとりでに火を灯してくれたのなら分かるけれど生憎と我が家の暖炉にそんなタイマー機能などついていない。


(やだ……怖い)


目の前で起こった突然の怪奇現象は唯でさえ冷えきっていたルーシィの全身を更に総毛立たせた。
寒さだけではない震えが関節の動きを鈍くする。
それでもなんとか動かして腰の鞭に指をかけると、ぎこちなく伸ばした反対の手は壁へと這わせた。

人間相手なら容赦しない。
見つけ次第、あーしてこーして…。
乙女の部屋へ忍び込んだ罪は重いのだ、ということをこの星の大河でたっぷりとわからせてやる。

ーーけれど。
もしも相手が、お化けの類だったら?


(即行…脱出!)


状況に応じて組み立てた幾つかのパターンを頭の中でシュミレーションしながら息を殺して暗闇の向こう側を睨む。
あと少しで照明のスイッチに手が届く、という所でふいにルーシィの動きがピタリと止まった。


(待てよ…。いるじゃない一人。あたしよりも先に暖炉に火を灯せる人物が!)


気付いた瞬間、張り詰めていた糸が一気に緩む。
重力に任せて顎を引くと、落ちた溜息が胸の辺りで白く煙った。

何の事はない。
こんな不可思議な現象を引き起こせるのは自分が知る限り一人しかいない。


(…道理でマッチを擦る音が聞こえなかった訳だ)


それもそうだ。
マッチに限らず火を付ける際用いるアイテムなど、奴にとっては必要ないのだから。

とりあえずこのままの体制で深呼吸。
一拍置いてスーと息を吸い込むと、ルーシィは目の前の暗闇に向かって静かに語りかけた。


「ナツ。明かりちょーだい」





**************




うらめしや〜、というなんともありきたりな台詞と両手の炎で下から照らされた顔が仄暗い部屋の中央に浮かび上がる。
それを頼りに廊下を進んで部屋へと入ったルーシィの目は難なく照明のスイッチを見付けることができた。

パチン、とつけてゆっくりと振り返る。


「ただいま。あんた…居るなら居るって言いなさいよ。怖いじゃない」


分厚い書籍を二冊も入れた鞄は流石に重い。
ヨイショ、とベッドへ降ろしてからストラップを外すと驚く程軽くなった肩に、知らずルーシィの口からふうと小さな溜息が漏れた。

その横で指に絡めた炎をくるくると弄びながらナツが答える。


「おかえり。やー、俺も最初はそのつもりだったんだけどさ。あんまルーシィがビクビクするもんだからこれは期待に応えないとなって」
「期待した覚えもないし応えてくれなくてもけっこうよ」
「んだよー、せっかく楽しませてやろうと思ったのに」
「楽しむどころかもっと寒くなったわ。…けどまあ、暖炉点けてくれたのは有難かったかな。ほんとに寒かったから。ありがとね」
「おう。それはお安い御用なんだけど」
「けど?」
「そんなに寒いか?」
「え?」


本当に不思議そうな顔で首を傾げるナツを映して、ルーシィの瞳がパチクリと瞬いた。


「ああ、そっか。ナツは寒さにも強いんだっけね」
「んー。だからあんま分かんないんだよな」


腕を組みながら、勝手に体が調節してくれるし、との独り言には羨ましすぎて左様ですか…としか返せない。

暫く視界の隅でプラプラと揺れるナツの足をぼう、と眺めていたルーシィだったがふと思い付いた名案にニンマリと口角を上げた。
組まれた腕の袖がない方をロックオンしたまま、ジリジリと隣りのナツとの距離を詰める。


「ねえ、ナツ」
「ん?なん…」


振り向かせてから、間髪いれずに両手を伸ばした。


「どわぁっっ?!」
「えっへへー!どう?冷たい?」
「っ冷、やめっ!」
「寒さのお裾分け」
「こ、こんなお裾分け…いらね…っ」
「あたしの手、まだ冷たいままだから氷みたいでしょ……てか、ナツ…」
「にゃ、にゃんだよっ」
「あったかぁい!」
「っ!?ひっつくなー!!」


抱え込むようにして抱きしめた腕の中で剥き出しの腕が悶える。
ポカポカを通り越してアツアツなその体温は氷のように冷たかったルーシィの両手と左頬をあっという間にいつもの薔薇色へと戻した。


「わぁ、すごい!もうぽっかぽか!やっぱりナツって便利ね」
「うう…、散々弄んどいて…人を物みたいに…」
「ちょっ、人聞きの悪い言い方しないでよ!あたしはただちょこーっと寒さを分けてあげようとしただけで」
「だからって…いきなりはやめろ。あとひっつくのも。…心臓痛くなる」
「え、そんなに?!」


確かにナツを見てみると余程びっくりしたのか額にうっすらと汗をかいている。
胸の辺りを掴んだ拳からは何故か湯気のようなものが立ち上っていて、シューだかジューだか…なんとも不穏な音が聞こえていた。


「あ…」


やり過ぎたかもしれない。
即座にそう悟ったルーシィは素直に謝ろうとした。

けれどーー。


「いきなりとか…ドキドキしすぎて痛ぇんだよ、ココが」
「っ…」


聞こえた言葉は、出る筈だったごめんの一言を喉の奥へと突っ返した。
ぎゅう、と左胸を鷲掴む姿に、一瞬にしてこちらの心臓まで鷲掴みにされてしまう。

速すぎるドキドキの対処法を必死に探していたルーシィの耳が微かに息を吸う音を拾った。


「っだから、ほれ」
「え…?」


促されるまま顔を上げると、何故かこちらに向かって両手を広げるナツ。


「いきなりじゃなかったら、いい。どーせまだ寒みぃんだろ?」


仏頂面でそっぽを向きながら。

その横顔に、ルーシィはおずおずと尋ねた。
正直な所、体や足はまだ氷のように冷たい。


「い、いいの?手とかは温まったけど…他は、ほんとに冷たいよ?」
「俺を誰だと思ってんだよ。これしきの氷、俺がすーぐドロッドロに溶かしてやんよ!」
「や、あたし氷じゃないし。ドロッドロはちょっとかんべっ…んぷ!」


そろそろと近付いた瞬間、グイッと腕が引かれる。
思いきり打ち付けた鼻の痛みを感じるよりも先に襲った全身を包む温かさが、ルーシィをどうしようもなく幸せな気持ちにさせた。


「あったかい…」
「…だろ」
「ん。なんか…落ち着く」
「…そうか」


普段よりも数段低い低音を耳のすぐ上で聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。
段々と安定してきた心音に耳を傾けていると、頭の上でナツが動く気配がした。


「あ、雪」
「ほんとだ。道理で冷え込むと思った」
「積もったら雪合戦しようぜ!あと雪だるまさん!」
「そうね。みんなでやったら楽しそう」


クス、と笑って、でも…と続ける。
ちょっとくらい、素直になってもいいよねーーなんて思いながら。


「今はもう少しだけ、このまま。…離さないで、ぎゅってしてて…」
「…おう」




抱きしめられた腕の熱が、上がった気がした。


ーーそんな寒い日の、ある夜の出来事。






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