桃色の愛
□幸か不幸かU
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「フフッ、そう身構えるな、お前はもう奴隷でも何でもない」
ドフラミンゴさんの第一声に、少しだけ肩の力が抜けた。
この人はお金で私を買ってくれたけど、買ったからといって奴隷扱いはしないんだ。
「あの、どうして私を買ってくれたんですか?」
「ん?フフッ!そんな事は決まってる、お前のような貴重な存在があんなクソみてェな連中の手に渡るなんざ勿体ねェからだ。それ以外に何がある?」
「いや、それにしても8億は…高すぎるんじゃ」
高すぎるどころではない。
むしろそんな大金をポンっと出せる人が信じられない。目の前にいるけど。
「安心しろ、払っちゃいねェ」
「え!?」
「ウチは闇取引が専門でね、お前はその交渉の際に向こう側が律儀にプレゼントしてくれた前金だ」
「は、はぁ」
「あの“人間屋”で出される商品のどれか気に入ったものがあれば、無償で差し上げますって言うんで、お前を選んだ。それだけだ」
「もし、気にいる人がいなかったら、どうしてたんですか?」
「その時は金で解決する、何も問題ない。どっちに転ぼうがな、フッフッフ!」
末恐ろしい人だ、そう直感的に感じた。
これから私はこの人の下で、海賊として生きていくんだろうか。
できれば…空島にもう一度帰りたい。家族やみんなの安否を知りたい。
「…あァ、そうだシア、ひとつ情報をやろう」
「?」
「お前の故郷はもう、壊滅しちまったらしい」
「!!?」
「さっきウチの船員から連絡が入った。お前が攫い屋に狩られてから数日の間に、残りの“天源族”も狩り尽くされ、村はご丁寧に焼き掃われ消滅。気の毒にな」
窓の外を眺めながら話すドフラミンゴさんの声がすごく遠くに感じ、全身から力が抜けた。
ガクリと膝が折れてその場にへたり込む。
少しだけ、期待した。
天竜人ではない人間に引き取られて、もしかすると故郷に帰れる日が来るのではないかと。
また、母さんと父さんに会えるのではないかと。期待してしまった。
一度狩られた奴隷は、奇跡でも起こらない限り、自由の身になる事はない。
そうだ、そう思っていれば、期待などしなければ良かったんだ。
そうしていれば、こんな…
ポタポタと、俯いた私の目から涙が零れ、握り締めた手に落ちていく。
もう会えないのかと思えば思うほど、自分の無力さに腹が立った。
☆
声を押し殺して泣き続けるシアを、ドフラミンゴは黙って見つめた。
小さな肩を震わせてただひたすら、何かを必死に抑え込んで泣いている。
現実を突きつけた事に何の後悔もない。ましてや自分の配下になる者は皆、この程度では壊れはしない。
いや、壊れるようなら使い物にならない。
ドフラミンゴは目元を隠すサングラスを人差し指で軽く押し、再び窓の外へ目をやった。
その向こうに見える景色に目を細め、振り返る事なく口を開く。
「シア」
応答はない。けれどシアの息を飲む音が微かに聞こえた。
「こっちに来い」
少しの沈黙の後、おぼつかない足取りでゆっくりと自分の後ろまで歩いて来たシアを確認する。
まだ俯き加減で目元を擦るシアを見下ろし、その頭に手を置いた。
ドフラミンゴの大きな手で、シアの頭はすっぽりと収まる。
「見てみろ、その目で」
言われた通りに顔を上げ、窓の外へ目をやったシアが、大きく息を吸い込んだ。
窓の外にあったのは、一面真っ青に澄み切った広い海。
シアが見てみたいと願っていた本物の海だ。
もちろんドフラミンゴがシアの願いを知っている訳がない。
ただ、気持ちいいくらいに晴れた空と堂々と向き合うように波打つ海を見せて、気持ちを落ち着かせようとしただけだ。
けれどシアには、そのドフラミンゴの行為が自分の願いを叶えてくれたように感じた。
「キレイ…」
「海は広い、どこまでも果てしなく続いてる。この大海原は、野望や欲望に満ちた猛者共が集う戦場だ」
「戦場、こんなにキレイなのに」
「この大海原を駆けていれば、いずれお前の家族や大事な故郷を襲った攫い屋にも会えるだろう」
「!」
ドフラミンゴのその言葉に勢いよく顔を上げ、シアはさっきまで潤ませていた瞳を彼に向ける。
予想通りの反応に口角を吊り上げて、ドフラミンゴは続けた。
「水の声が聞こえるんだろう、お前には。ならこの海の声を聴け、そして利用しろ。そうすれば、欲しい情報も自ずと手に入る。復讐もできる」
ただひたすら自分の言葉を聞くシアの視線を引き付け、ドフラミンゴは至極楽しそうに声を荒げた。
「フフッ!フフフフッ!!憎めッ奴らを!呪えッ運命を!足掻けッ人生を!怒れッ己自身を!」
まるで洗脳のように、ドフラミンゴの言葉はシアの心を犯していく。
じわり、じわりと、黒い何かが支配していく。
「そして憎め!――世界を!!」
高らかに、何の躊躇いもなく放たれる言の葉がシアの心を揺り動かす。
「俺はお前を歓迎する、このドンキホーテ海賊団(ファミリー)に」
音もなく差し出された手を、じっと見つめて、シアはもう一度ドフラミンゴを仰ぎ見た。
そこには、ただニヒルな笑みを貼りつけた悪のカリスマが立っている。
自分をあの屈辱の場所から救い出してくれた、唯一無二の命の恩人。
シアは願った。
二つ目の願い、みんなの仇を執ると。例えこの両の手が血に塗れたとしても、刺し違えてでも、必ず。
シアはゆっくりと手を上げて、ドフラミンゴの手を取った。
ドフラミンゴはにっこり笑う。
「ようこそ、ドンキホーテ海賊団へ。フフフ、フッフッフッフッフ!」
☆
彼の言葉が悪魔の囁きだとしても、この手が導く先が地獄だとしても、必ず生き延びて復讐してみせる。
必ずッ!
――幸か不幸か
END