NOVEL(別設定2)

□百花繚乱 第2部 
2ページ/19ページ


「何も心配はございませんよ。」


わたくしが何を心配するというのだろう?


「わたくしどもが,側におりますからね。」


だから・・・何を?





「心配せずともよい。」

ああ,主上も同じことを仰ったのでしたね。



わたくしには・・・もう・・・なにもないのに・・・












「何も心配することはない。」

「愛しているのは,そなた一人だ。」

「オレを信じておればよい。」


昨夜も,その前の晩も,上様に抱かれた。

わたしを抱いている間,上様はうわごとのように繰り返し仰る。

わたしは,何と答えて良いのかわからなくなる。

「信じております」なのか

「信じたい」なのか・・・

何か答えをと,目覚めると,そこに彼の人の姿はない。

昨夜のことは,夢だったのではないか?

と訝しむことも,一度や二度のことではなかった。




けれど

忙しい執務の合間を縫って,こうして逢いに来てくださるだけでも,

幸せなことなのだ。



託生は,今ある幸福に素直に身をゆだねる。



そして

ふと気が付くと,枯れ果てた周りの景色の色に,ところどころ薄緑の色が目立ち始め

生温かな土の香りが確かな春の訪れを人々に感じさせるようになっていた。




託生は,全ての命が萌え出ずる準備に入るこの時節の到来を

いつも心待ちにしていたと思う。



よもぎでしょう?

それに・・・つくしにタラの芽,ふくじゅそう


「託生は,食べるものばかりだね。」

笑い出しそうになるのを堪えながら,兄が優しく頭をなでる。

「えー?そのようなことはありませぬ。」

託生は,子ども扱いされたことが不満で,ぷうっと頬を膨らませると,下を向いてしまう。


「今日は,与平がたくさんよもぎを摘んできたから,託生の好きな蓬餅をつくるとしよう。」

「本当?」

「ああ。」

目を輝かせる自分に,兄は優しく微笑みかけてくれたっけ。

暮らしは楽ではなかったけれど,素朴で穏やかな日々

「兄上・・・・」


わたしは,幸せだ。

この奥で,大切にされ,上様に愛されている。

けれど,心の奥底に渦巻くこの暗い想いはなんなのだろう。

託生は,言葉にできぬ想いを抱えたまま,抜け出せぬ迷路の中で

立ち竦んでいる・・・そんな自分を自覚していた。







それから

暫くの時がたった




「三洲さまっ!」

託生付きの侍女である茜が血相変えて飛び込んできた。

震える手によってくしゃくしゃに握り潰された薄茶色の紙片を目にした

三洲の眉が心もち上がったように見える。

「いかがしたのじゃ。騒々しい。」

「申し訳ござりませぬ。」

茜は,三洲の前で自分の頭を床にこすりつけた。

「昨日奥に入りしばかりのお端が・・・お方様のお部屋の前にこれをっ・・・」

三洲が顔を上げると,茜の後方,小さい体をさらに小さくして震えている

幼い少女のおかっぱ頭が見えた。

茜から手渡された瓦版と思しきものに目を落とすと,

将軍家と鷹司家の婚礼の儀が間近であるという事実をまずは大きく取扱っており

だがそれだけでは,売り上げることができないと考えたのだろう。

将軍と御台所となった鷹司家の姫君が,婚礼の儀でどのような儀式を行うのか

その夜の床入れまで,わざわざ図入りで微に入り細に入り面白おかしく描きつけてあった。

あまりいい趣味のものとは言えないが,

売るためにはこれくらいのセンセーショナルな記事は必要なのだろう。

「江戸城下では,このようなものが数多く横行している由,すでに庶民の間では婚礼の話で持ちきりとのこと。」

「そうか。」

三洲は表情をかえぬまま,その瓦版を握りつぶした。

茜の身体に隠れるように座っていた幼い端女は,怯えたように廊下にひれ伏している。


「あの・・・どうか・・その子を叱らないで・・・。」

「お方様・・・」

託生が,突然姿を現したことに,女中たちが狼狽えていると

託生は,廊下に頭を擦り付けている幼い端女の頭を優しくなでながら

「婚礼まで,一月を切ったとか。」

「・・・・・。」

「よいのです。いつかは知ることですから・・・。」

部屋の中が,波を打ったようにシンと静まり返った。

「わたしのことは気にせず,ふるまってください。」


儚く微笑む託生に,集まった女中たちは何も言葉を返すことができなかった。






「お方様。少しよろしいですか?」

「・・・はい。」

三洲の声に多少驚いたものの,託生は手にしていた紙片を文箱へと戻すと

すぐに返事をした。

カラリと開いた襖戸。

艶やかな袿姿の三洲の後ろに思いもかけぬ人物の姿を認め

託生は驚き目を見張った。

「赤池・・・さま?」

「元気そうで何よりだ。」


初めて会った時と変わらぬ口調

凛とした涼やかな顔立ち


部屋に招き入れると,赤池はすぐに話の口火を切った。


「上様は,この度の婚儀について,そなたに何かお話になられたか?」

「・・・いえ。」

「そうか。」


赤池は,難しい顔のまま一つ小さな溜息を漏らした。


「赤池さま?」

「わたしは納得がいかない。」

「は?」


憮然とした表情の赤池に託生は戸惑っていた。


「上様は,この度の婚儀を白紙に戻すと仰せだったのだ。」

「白紙に?」

「うむ。」


ー 愛している −

優しく微笑む義一の顔が託生の脳裏に浮かんですぐ儚く消えた。


「三月ほど前,お忍びで京に上られ,江戸に戻られると,上様の態度は変わってしまった。」

「・・・・」

「婚儀を進めると仰せになったのだ。」


託生の胸がズキリと疼いた。


「だがな,御意志をかえられた訳を誰にもお話にならぬ。」

「・・・」

「秩序を重んじる大老の島田様や古参の重臣たちは,婚儀は世事の安定に欠かせぬとの判断。」

「だが,私は,婚儀の形を取らずとも安定した御代を築く術はいくらでもあると考える。」

「赤池様。」

「私は,反対だ。」

「・・・・」

「公家は気位ばかりが高くて鼻持ちがならぬ。」


ピシャリと言い放った赤池の前で託生は俯いた。

自分も無名に近い家系とはいえ,貧乏貴族のはしくれだ。


「それに・・そなたが,また辛い思いをするのかと思うと・・・な。」


託生は,首を横に振った。

これまでがあまりに幸せすぎたのだ。

本来なら,自分の命は今ここになかったはずだ。

兄や,上様,赤池さまのおかげでこうして命長らえている。

そして,畏れ多くも上様の情けを受け,この奥で何不自由なく暮らしている。


「これを上様から預かった。そなたに渡してほしいとのことだった。」


託生は,黙って差し出されたものをじっと見詰めた。


薄桃色の五枚の花片をつけた一枝


それは,先日の託生の誕生日に贈られたものでもあった。



ー 託生 −

一輪だけ咲く薄桃色のかりんに頬を寄せると,優しい彼の声が聞こえたような気がした。



上様が婚儀をあげられようとも,わたしが上様を愛する気持ちに何も変わりはない。




託生は,淡い色の花をつけたその一枝を文箱の中にそっと納めると

静かに微笑んだ。



− 唯一の恋 −



義一がそっと教えてくれた,かりんの花言葉




将軍家と鷹司家との婚礼の儀は,もはや五日後に迫る。



赤池にも,三洲にもできることは何もない。



日は早くも西へ傾き,暮れなずむ居室にある三人の影だけが


ゆらゆらと頼りなげに揺れていた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ