NOVEL(未来編)
□恋人達の海
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真夜中のフリーウェイ。
テールランプの残像のみが流れ星のようにきらきらと尾を引き緩やかに流れていく。
ぼんやりとその様を眺めていたぼくは,ある疑問をつと口に出した。
「あの,どこへ行くんですか?」
無言のまま運転を続ける高木の横顔を見つめながら遠慮がちに声をかける。
空港を出てから30分。
道をなかなか覚えられないぼくだけれど,さすがに今日はいつもと違う道を通っていることに気づく。
ヨーロッパの演奏旅行(勿論佐智さんのアシストである)から深夜戻ってきたぼくに,一人迎えに出ていた第二秘書は
「昨夜,義一様の乗られた車が交通事故に遭いました。」
と,その事実だけをあっさりと伝えた。
「は?」
咄嗟のことに,ぼくは何と答えたのかをはっきりとは覚えていない。
ただ,大きな事故だった割に乗っていたギイや島岡さん,運転手のいずれも命に別状はなく,ギイにいたっては,かすり傷程度で今は意識もはっきりしていると言うことで,ぼくはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
でも,なぜギイや島岡さんから何の連絡もないのかと少し疑問も感じたりしたのだが,大したことがないからぼくに心配をかけないようにしているのか,又は忙しい彼らのこと・・・異常がないと分かってすぐ仕事に戻ったかのどちらかだろうと,ぼくなりに解釈していたのである。
それならば,ぼくの帰る場所は,ギイの帰るペントハウスであるべきだ。
なのに,ぼく達を乗せた車は,既にニューヨーク マンハッタン島を離れ,もはや隣接する別の州へと入り込んでしまっている。
何も語ろうとしない第二秘書の固い表情に胸の中で生まれた不安がだんだんと大きくなる。
・・・・・・と,
「まだしばらくかかりますので,託生様はどうぞお休みください。」
低く優しい声と眸がぼくに向けられる。
「どこへ行くのですか?」
もう一度彼に尋ねてみた。
「崎家の別荘が,カナダとの国境近い町にございます。そちらにお連れするようにとのことでしたので。」
「ギイも,そこにいるのですか?」
「はい。義一様,島岡ともそちらでしばらく休養を取る予定と伺っております。」
「なーんだ。」
そうか。大したことないとはいえ交通事故に遭ったんだもの。
落ち着くまで二人とも短い休暇をもらったんだね。
やっと,ぼくは安堵することができた。
「じゃあ,お言葉に甘えて少し休ませてもらいますね。すみませんが着いたら起こしてください。」
「わかりました。」
優しい微笑に,それまで張り詰めていた緊張の糸が一気に弛んだ。
長い飛行時間から解放されたとはいえ,身体がまだ疲れを引き摺っている。
刹那,とてつもない眠気に襲われた。
まるで両方の瞼に重しを着けられたみたいだ。
そのままずるずると睡魔の渕へと引きずり込まれていく。
「ゆっくりお休みください。」
ハンドルを握りながら,労わるような声をかける高木の複雑そうな表情を,その時のぼくは見ることができなかった。
セピア色の夢を見た。
摩天楼の夜景を見下ろせる大きな窓に向けて据えられた,ぼく達お気に入りの革張りのソファ。
長い脚を優雅に組み,煙草を燻らせながら英字の経済誌に目を落とす最愛の恋人。
熱心に見ているのは関連企業の業績?それとも世界情勢?
彼の思考を邪魔しないよう,そっと後ろから見守る。
昨日も一昨日も帰ってきたのは夜中だった。
その前は,ロサンゼルスに5日間の出張。
シカゴ,ボストン,サンフランシスコ,毎日のように各地を飛び回って息をつく暇もない。
世界中を股に掛け常にエネルギッシュに活動する彼も,このごろはオーバーワーク気味だ。
こうして,朝ゆっくりギイの顔を見ることができるのも2週間ぶりだろうか?
そうだ。おいしいコーヒーでもいれよう。
ギイ直伝のネルドリップで。
彼の仕事を手伝うことは到底できないけれど,疲れた心を癒せるように
そして少しでも元気を出してもらえるように,ぼくにできるだけのことをしてあげたい。
そっと彼の側を離れ,隣接する部屋のキッチンカウンターで二人分のコーヒーを入れる。
色違いのお揃いのマグになみなみと注いだコーヒーを手に戻ったぼくは,目の前の予期せぬ光景に思わず息を飲んだ。
「サンキュ。託生。」
いつもなら魅惑的な微笑みを湛えぼくを迎えてくれるはずのギイの姿が見えない。
ソファの足元に転がっているのは間違いなく恋人の身体だった。
見慣れた白いコットンシャツに包まれた両腕が,力なく床に投げ出されている。
血の気の引いた頬。
固く閉じられた二つの眸。
眉間には苦悶の表情が僅かに見て取れた。
「ギイッ!」
声を限りに叫んだつもりが,声にならない。
喉はからからに渇いて,ひりひりと痛む。
早く・・・・誰かを呼ばなくちゃ。
一歩を踏み出したいのに,早くギイを助け起こしたいのに身体が竦んで動かない。
なんとかしなきゃ・・・なんとかしなきゃ・・・。