NOVEL

□バイブル
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『どこでもドアを開発中だ。』

「へ?」

どこでもドアってさ・・・あれだよね?

日本の国民的アニメの主人公である猫型ロボットの持つ超有名アイテム。

冗談・・・だよね?

ぼくは,黙ったままパソコンの画面を見返した。


「どこでもドア開発中」と書かれたホワイトボードを持つ

ギイはにこりともしない。


『理論的には可能なはずなんだ。ただ分子レベルになると−−−−−云々』

物凄いスピードでホワイトボードに書き連ねられるどこでもドアの構造理論

途中までは必死に目で追っていたけど

あまりに専門的すぎて,途中であきらめた。


これは,本気らしい・・・。



「こら!ちゃんと読め!!」

上の空だったのがばれたみたい・・・

ギイの目がちょっと怒ってる?


でもね

読んでます

意味は全然わかんないけど(苦笑)


というか,なんで今,どこでもドア?


「ねえギイ。」

「あ?」

「仕事ちゃんとしてる?」

「勿論。」

「本当?」


「なんだよ。疑うのか?」

「だって・・・・」


ただでさえ忙しいはずだよね。

確か,今は取締役になって,たくさんの新規プロジェクトを抱えていたはずで

ぼくが,耳の治療のために,ここスイスに居を移してから半年以上たつけど

ギイと直接顔を合わせるのは

このスカイプのみだ。


「こうでもしないと・・・」

ギイの顔が不機嫌そうに歪む。

あ・・・やっぱり・・・・なんか・・・怒ってるよね・・・



その時,画面の中のギイが振り返った。

そのまま,一言二言誰かと言葉を交わすと

小さくため息をつき,ぼくへと向き直る。

『ちょっと待っててくれ。』


ぼくが頷くと同時に,目の前のスペースからギイが消えた。

主を失った執務室のモノトーンの壁と書棚の一部が見える。


ここで,毎日仕事をしているんだな。

ぼくは頬杖をついて,ぼんやりと彼を思った・・・・が

ん?

左端から,ひらひらとふられる手

あれ?ギイ,もう戻ってきたの?

訝しむぼくの目の前に,ひょいと現れた突然の笑顔

思わず声を上げてしまった。

「島岡さん?」


『こんにちは。託生さん。』

彼も耳の聞こえないぼくのためホワイトボードに書き込んでくれている。

『お元気でしたか?』

「はい。」

耳の治療のためスイスに来てから,全く会えていなかったから

とても久しぶりに感じる。



彼は出ていったギイがしばらくは戻ってこないようだと確認すると

『今,彼は,すねているんです』

ボードを見せて,にこりと笑った。

すねる?

ぼくが首を捻ると

『ギイの休暇ですが・・・』

29日の彼の誕生日に合わせて休暇をもぎ取るのだと彼は公言していた。

『取ることが厳しくなりまして』

「・・・そうですか。」


なんとなくそんな気はしていたんだ。

スカイプで顔を合わせたのも三週間ぶりで

あとはメールばかりだったから・・・。

忙しさに拍車がかかっているように思ったんだよね。


「ぼくなら大丈夫ですから。」

ちょっと寂しいけど,我慢しなくちゃ。

すると,島岡さんは,大きく手を振った。

『いえいえ,ギイは諦めていませんよ。』

「え?」


『これ』

「?」

彼が示したのは,どこでもドアのボード

『表現の仕方で誤解を生みそうですが,より迅速な移動手段の開発プロジェクトといったところでしょうか?』

「はあ。」

仕事の一部なんだ。そうか。

『とにかく何が何でも誕生日には,あなたのもとに駆け付けたい。そう思っているのに,肝心の恋人がつれないとすねているのです。』

つれない?ぼくが?

島岡さんは,苦笑いをする。

『このところ,スカイプで話す機会が減っていますよね。』

「はい。」

『ギイが言うには,何回かは託生さんがつかまらなかったとか。』

「・・・・。」

確かに。3回ほど,タイミングが合わなかったことがある。

ちょうど治療や検査と重なってしまったから。

もちろん彼からアクセスがあったことはわかってたけど

ぼくから連絡することは躊躇われた。

だって,それが彼の貴重な休息を妨げてしまったり,仕事の邪魔をする結果になるのではないかと思ったから

『託生さんはギイを心配されているのですよと伝えたんですけどねー。』

島岡さんは笑った。


そうか・・・だから,つれない・・・か。


彼の不機嫌が少し理解できた。


『お?帰ってきたようですね。それでは。』

島岡さんはひらひらと手を振ると,画面からフェードアウトした。


それから間もなく,ギイが画面の中央に戻ってくる。

『島岡から聞いたか?』

「え?」

『今度の休暇の件』

「あ・・うん。でも気にしないで。」

『託生?』

「ぼくなら大丈夫だよ。」

中途失聴した耳の再生医療を受けるため,その道の第一人者であるラング教授がいる

スイスの研究所に単身移り住んで,まだ1年もたたないのに

ギイ,君の側を離れたことを,ぼくはもう後悔し始めている。

先の見えない将来

そして長時間にわたる検査と

苦痛を伴う治療

大きな不安に押し潰され,挫けてしまいそうな夜はいつも

君のぬくもりが恋しくてたまらない。

でも,今更ギイにそんなこと言えるわけがない。

早朝から深夜まで,寝る間も惜しんで精力的に仕事をこなしている彼に

これ以上,ぼくのことで負担をかけるわけにはいかない。

何よりも,スイスでの検査と治療は,ぼく自身が望んだことなのだから。


「本当に,大丈夫だから・・・。」

『あのなー。』

ボードではなく,ギイの口が大きく動いた。

『オレが大丈夫じゃないんだって!』

今度はギイの両手が動いた。

え?手話?

ギイ,いつ手話を覚えたの?


『オレが寂しいんだよ!!』

ギイ・・・

『おまえは,違うのか?』

ぼくは・・・

『会いたい。託生。』

ギイ

『会って,抱きしめたい。』

ギイ・・・

『おまえのぬくもりを思い出せなくなっちまう…』

・・・・

『答えて・・・託生。』




「・・・・いよ。」

「え?」


「・・・会・・いたい。」

『託生。』

「君のもとへ帰りたい・・・・」

今まで我慢していた想いが,堰を切って流れ出す。




二人の間を隔てるものは

学生の頃は太平洋

そして今は大西洋だ。

距離は短くなっても,おいそれとは行き来できない。


ネットで相手の表情を見ながら会話ができるような便利な世の中にはなったが

ディスプレイに手を伸ばしても相手に触れることはできない。

その唇の甘さ

抱き合った時の体温

甘やかな匂い

見えているのに触れることのできないジレンマ


想いは募るばかりだ。



「会いたいよ。ギイ・・・」

「会いたい」

「会いたい」



会いたい・・・・・・



不覚にも,涙が一粒零れ,

濡れてしまった頬を慌てて拭った。



『会いに行く。』

「ギイ?」

『必ずだ』

『待ってろ。いいな。』

「・・・うん。」


『今月の29日だ。』

7月29日。

君がこの世に生を受けた日

神様に感謝する日



『どこでもドアでそっちに行くからな。待ってろ。』

「うん。」

『ケーキと食い物用意しておけよ。』

「うん。」

『身体も磨いておけよ。』

「う・・・ん。」

うわ・・・顔が熱い・・・。


ギイは有言実行。

どこでもドアを使って

君がどこから現れるのか楽しみにしてる



君のぬくもりを

君の懐かしい香りを

全身で感じたいんだ。













そして,今日

7月29日


ラング教授からいただいたブラックティの花束を大きな花瓶にさし


中央の丸いテーブルには清潔なブルーのクロス

その真ん中には,大きなデコレーションケーキ

チーズとハムのバジルサンドにミモザのサラダ,ミートパイ

ローストチキンにフルーツグラタン

ワインも料理に合ったものをセレクトしてもらい


いつでもパーティは始められる。





ぼくは,ギイが選んで送ってくれた涼しげな服に身を包み

彼の到着をドキドキしながら待っている。



5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・


ほら,リビングのドアが微かな音を立てて

もうすぐギイ

君の笑顔がそこに


さあ,パーティを始めよう。





Happy Birthday Gie 
 
生まれてきてくれてありがとう





いつまでも

いつまでも


君の側にいられますように











           FIN

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