NOVEL

□空より花のちりくるは
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「託生。起きろよ。」

「うーん。」

「ほら,早く。」

うん・・ギイわかってるよ。

わかってるけど・・・目が開かないんだ。

それに・・・今朝は,なんだか寒いし・・・

ぼくは,布団をもう一度抱きなおしてから,はたと矛盾に気づいた。

ペントハウスは全館空調だ。

朝,寒さで目覚めることなど,なかったはずだ。



ぼくが,重い瞼をゆっくり抉じ開けると,目の前に白いシャツを着た見慣れた後姿があって・・・

「利・・久・・・?」

「あ,やっと起きた〜。」

にこにこ近づいて来る片倉利久は・・・あれ?何かすごく若い?

だって,先月日本で会ったときの利久は,お父さんの鉄工所を継ぐための見習い中で

らしくなく,ビシッとスーツを着て,

「こんなものも作ってみたんだけど。」

と,恥ずかしそうに名刺を取り出して,見せてくれたりもしたのに・・・。



「ほら!早くしないと遅刻するだろ?」

「遅刻・・・?」

「授業っ!託生,今日は日曜じゃないんだぞ。ねぼけるなよ。」

「・・・・。」

利久の姿を改めてよく見てみる。

紫紺のネクタイ,ブルーグレイのジャケット,エンブレムにはSのマーク,赤の校章

間違いなく,ここは,あの懐かしい祠堂の学生寮に違いなかった。

でも・・・どうして・・・?

昨日は,ペントハウスの寝室でギイを待ちながら,眠ってしまったはずなのに・・・。

「ほらっ。制服。さっさと着ろよー。」

受け止めきれない現実に戸惑うぼくにはお構いなし

利久は,シャツとズボンとネクタイを抛ってよこす。


なぜ・・・こんなことになっちゃったんだろう?

今,ペントハウスはどうなっているんだろう?

不安ばかりが胸に押し寄せてくる。

でも,こうして部屋の中にばかりいても,解決の糸口は見つからないだろう。


自分でなんとかしなきゃ。


寒さに身を縮めながらも着替えを始めたぼくを,

利久はちょっと離れたところから優しい表情で見守ってくれている。

ああ、そうか。

このころのぼくは,接触嫌悪症なんだっけ・・・。

ん?

そこで,ぼくは気づいた。

ということは・・・ここには,15歳のギイが・・・いるってこと?



ぼくは,緊張しつつある自分を意識し始めていた。









懐かしい学食で少し遅めの朝食をとる。

そう。利久は,他人との接触を苦手とするぼくを慮って,

込み合う時間帯を避けて学食に同行してくれることが多かった。

そんな利久の正面に座って,ぼくは今人参の甘煮と対峙している。

「好き嫌いはダメだぞ。託生い。」

すかさず彼の説教じみた声が目の前から飛んできた。

この歳になると(今,ぼくは26歳だ)多少の好き嫌いは克服して

それは,もちろん,ギイによるところも多いのだけれど

嫌いだったものも何とか食べられるようにはなっていて・・・。

ぼくが,嫌いな人参に手を付け,食べると

「おっ,すごいじゃん。えらいっ!!」

親友は,自分のことのように満面の笑みで喜んでくれる。

この明るさに支えられて,ぼくは祠堂の1年目を乗り越えることができたんだと今はわかっている。

「利久。」

「ん?」

おかずのアジの開きとご飯を口いっぱいに頬張ったまま利久はぼくを見上げた。

「ありがと。」

いつも、さりげない優しさで,ぼくを守ってくれていた。

ギイとは違った意味で,君のことが大好きだ。

大切なぼくの親友。



利久は,目を白黒させながら口に入ったものを何とか咀嚼し飲み込むと

「何だよー。いきなりい。」

ちょっと照れたように笑った。

ぼくも,一緒に笑うと,

「そろそろ行く?」

と席を立つ。


あと15分で始業だ。


「オーケー。」

彼は手元にあった湯呑からお茶をグイッと飲むと

「行こ。託生。」

トレーをもって立ち上がった。

二人で,食器の返却口に向かい,食器を湯の貼られたシンクに沈め,トレーを棚に返すと

入口に向かって歩き出そうとした。

その時,

「おーっと・・・」

振り向いた瞬間,別の学生が目の前に立っていて,ぼくは危うくぶつかりそうになった。

いや,腕がその学生のトレーを持つ腕に一瞬触れた。

「あ・・・ごめんな・・・・・。」

謝罪の言葉を口にしようとしたのだが,不意にせり上がってくるものを堪えようと

口元を手で慌てて塞いだ。

猛烈な吐き気と,背筋を駆け上がる悪寒。

しまった・・・

ぼくは・・・嫌悪症だったんだっけ・・・・

結果,ぼくはあたってしまった学生の腕を払いのけ,床に座り込んでしまった。

トレーと食器が派手な音を立てて転がり,

持っていた学生の罵声が聞こえたような気がするけれど

胸を圧迫するような息苦しさに,そちらを見ることすらできなかった。

「託生」

利久が,慌てて駆け寄ってきたのは目の端でとらえることができたけど

・・・気分・・・悪い・・・

ギイ・・苦しいよ・・・

胸が・・・苦しい・・・



ぼくの意識は,そこでシャッターが閉まるように閉ざされた。
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