NOVEL

□雪の栞
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「義一さん。」

「ん?」

「すぐに自宅にお戻りください。」

「は?」

商談用の資料に目を落としていたオレは,驚き顔を上げた。

「何があった?」

島岡の顔色から,何かよからぬことがあったのだと理解する。

「託生さんが・・・」

オレは,話を聞くか聞かないかのうちに,部屋を飛び出していた。




「義一さま。」

「託生は?」


エントランスに迎えに出ていた執事の顔に微かな疲労の色が浮かぶ。

冷静で何事にも動じない男だが,今回は困惑している様が見て取れた。


「お部屋に。」

「そうか。」


オレは急いだ。

早く託生の顔を見なければ落着けない。

二人の寝室のドアを開くと,全てのカーテンが引かれ,中は薄闇に包まれている。

それでも,サイドテーブルの横に小さくうずくまる人影が見えた。


「託生?」


オレの声に応えるように,おずおずと顔を上げた恋人の表情に違和感を感じる。

なんだ?この感覚は・・・?




託生は,オレを見ると震える声で小さく呟いた。


「・・・・崎・・・くん・・・。」

「・・・・葉山?」


そこにいたのは

15歳の葉山託生だった。









「ここって・・・」

「オレの家。」

「崎くんの・・・?」

いや,お前の家でもあるんだぞと言いたくなるのをぐっと堪える。

「すごい・・・」

もの珍しそうにきょときょと見回すしぐさが可愛らしい。

「あの・・・」

「ん?」

「どうして,ぼく・・・」

そのまま,ふっつりと黙り込んでしまう。

それはそうだろう。

昨夜は,寮の421号室で片倉とともに眠ったはずなのに

目覚めてみたら,見も知らぬベッドの上にひとり寝ていて

わけもわからず部屋を飛び出してはみたものの,出会う相手は全て言葉もわからぬ外国人

窓から見える景色は,見たこともない異国の風景

一人ぼっちの心細さから,パニックを起こしても仕方がない。


「あの・・・」

「ん?」

託生は,オレの顔を見ている。

何かに気付いたようだ。

「なんだか,違う・・・」

「あ?」

「大人みたい・・・」

「大人?おまえも同じ27歳だぞ。」

託生は,驚いて大きく目を見開いた。

「27歳?ぼくが?」

「そうさ。」

オレは,ウィンクするとクローゼットの扉を開き,託生に手招きをする。

「こっちにおいで。」

託生は恐る恐るクローゼットへと近寄ってきた。

「ほら。」

託生の手を取り,クローゼットの正面にある鏡の前に恋人を立たせてから

はたと気づいた。

「ごめん!」

オレは,慌てて託生の手を離した。

15歳の頃であれば,接触嫌悪症真っ只中だ。

側に他人の体温を感じただけでも体調が悪くなっていたはずだ。

「え?」

託生はというと,オレが離した手を宙に浮かべたまま,きょとんとしている。

「大丈夫か?」

「えっと・・・」

「人間接触嫌悪症。」

「ああ・・・。」

託生は,やっと思い至ったようで,自分の手をじっと見たまま考えていたが

「大丈・・夫・・。」

自分でも不思議そうに首をかしげている。

そうか。心は15歳でも,体は27歳の託生のままなのか。

納得したが,それでもオレは託生を気遣い,少し体を離した。

「ここで自分を見てごらん。」

託生は,オレを見て,そして鏡の中の自分を覗き込んだ。



鏡の中は,27歳の託生。

高1の頃より,ずいぶんと身長も伸びた。

丸みを帯びた少年の面差しは薄まり

顎のラインもほっそりとして青年らしくなり

大人の色香まで漂わせ,今ではオレの悩みの種になりつつある。

本人は,「やっと女の子に間違われなくなった。」と喜んでいたが

東洋人の悲しさか。

今でも「また子どもに間違えられた!」と憤慨して帰ってくることもある。

(東洋人は,その面差しと髪の色から,実年齢よりは若く見られるが,
託生の場合マイナス10歳で見られることが多々あった)

「これが・・・ぼく?」

「そう。27歳の葉山託生だ。」

後ろから,笑いかけると,託生は複雑そうな何とも言えぬ表情でオレを見た。


「信じられないかもしれないが,27歳のオレと葉山託生は,今ここでいっしょに暮らしている。」

「崎くんと・・・・?」

託生には,意外すぎることだったのか,言葉が出てこない。

くっと息をのみこんで,オレの次の言葉を静かに待っている。

「託生は,ここでバイオリンの勉強を積んで,今は音楽を自分の生業としている。」

「バイオリン・・・」

託生は,唇を噛んだ。

まだ,兄との過去を昇華していない15歳の託生としては尤もな反応だった。

「元に戻る方法は,いつかわかるさ。このままってことはないだろう。」

「そう・・・かな。」

託生が不安にならないよう,努めて明るく言ってはみたものの

オレにも先が見通せているわけじゃない。

ただ,今は別の世界に行っているのであろうオレの託生が

心配ないよと言ってくれているように感じる。

感性で物事を図ることなどナンセンスだと思うが,託生との関係は理屈じゃない。

今回のことだって,二人にとってはきっと意味のあることだと思えるのだ。

それならば・・・

オレにできることは?




「葉山は,ニューヨークは初めてだろう?」

「・・・・。」

2年の春休みが初渡航。

それまでは,パスポートもなかったはずだ。

「外に出てみるか?」

「外?」

託生は,窓から見える異国の風景へとゆっくり視線を移した。
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