NOVEL

□秋思譜
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「やめさせたほうがいいか?」

「いや,全部落ちるまで,あと少しだろう?曲も終わりそうだし。」

「自分でやめられるか?」

「葉山くんの気が済めばね。」

野沢政貴は,にこりともせず,さらりと言ってのけた。





よく晴れた晩秋の夜明け

濃い藍色の天空には明けの明星が皓々と煌めく。


休日だというのに,いつもより早く目覚めてしまった。

早々に身支度を整え,同室の殿尾を起こさないよう自室から廊下へと,そっと抜け出す。

と,そこで偶然目にした光景に,僕は目を疑った。

「葉山?」

電話ボックスの前を横切り,玄関へと向かう葉山託生の後ろ姿がちらりと見えたのだ。

はっきりとはわからなかったが,上着はなくシャツにジーンズの軽装

そしてバイオリンのケースらしきものを手にしていたようにも思える。

確か先日,幼いころのバイオリンの恩師に受験のため貸してもらったとか言ってたよな。

「それにしたって,なぜこんな時間に?」

急いで部屋に戻り,カーディガンをひっかけると,手には制服の上着を持つ。

今朝は,初冬を思わせるような冷え込みだ。

後から葉山に着せないと・・・

風邪をひかせたとあっちゃ,あいつに後から何を言われるかわからない。

「全く・・・。」

僕は,ドアを背に小さくため息をついた。


「あれ?」

顔を上げると,階段から野沢政貴がひょいと顔を覗かせている。

「見た?」

「ああ。」

それだけで通じ合う。

お互い,あいつが姿を消してから,葉山の動向には注意を払っていたからな。

「どうしたんだろうね。こんな時間に。」

「・・・・・。」

「葉山くんって朝活派だったっけ?」

「いや。それはない。」

首を捻る政貴に,きっぱりと言い放った。

どちらかというと朝はすこぶる弱かったはずだ。

いつも同室のあいつに無理やり起こされて,眠い目を擦り擦り部屋から出てきていたことを思い出す。

「今まで,こんな時間に外へ出ることはなかったはずだ。」

話しながら,葉山が辿ったであろう道のりを進む。

てっきり温室へ向かったと思っていたのに,そこに葉山の姿はなかった。

「一体・・・どこへ・・・。」

「待って。聞こえる。」

政貴は小さな声で僕を遮った。

温室へ向かう道からは少し外れた林の奥から届く,微かなバイオリンの音色が葉山の居場所を知らせてくれる。

「こっちだ。」

聞こえてくる旋律を頼りに,二人林の中を進み

祠堂の庭では最奥にあたる音楽堂を右手に見て

さらに道なき道を辿る。

徐々に葉山の奏でるバイオリンの音色が近くなる。


鬱蒼とした木々の群れが突然切れ,ぽかりと小さな空間が現れた。

その中央に立つのは,一本の銀杏の巨木。

「赤池・・・。」

そのまま政貴は絶句し

そして,彼の指さす方向を目にした僕もまた,一瞬言葉を失った。


巨木の正面で,葉山は一人,バイオリンの弓を弾いていた。

そして

彼の演奏に合わせるように,無数の銀杏の朽葉が乱舞する。

金銀の光彩を放ちながら

きらきらと音もなく

それは,美しいというより凄まじいといった表現がぴったりで

身ぐるみ剥がされていく銀杏の木の下には,厚み10センチほどの金色の絨毯が

みるみるその面積を押し広げていく。

風もなく憑かれたようにしんしんと葉を落とし続ける巨木は

この世の全ての柵から解脱した釈迦の姿を想像させた。


「やめさせたほうがいいか?」


朽葉の乱舞に応えるかのように

目を閉じたまま無心に演奏する葉山の姿

僕は一抹の不安を覚え,隣に立つ友人に意見を求めた。

葉山の心が壊れることはないのだろうか?

僕には,それが気がかりだった。

「いや・・・。」

政貴は,その必要はないと目で伝えてくる。


やがて,葉山の演奏は終末を迎え,それと同時に大銀杏は,最後の一葉を名残惜しそうに地に落とした。



「あれ?赤池くん。野沢くんもどうしたの?」

顔を上げ,僕たちに気付いた葉山はきょとんとした顔をしている。

思いがけない反応に,呆気にとられた。

葉山の心理状態が,もっと深刻な状況にあると思っていたのだから。

「いや。葉山が朝早くから出ていくのは,珍しいと思ったからさ。」

「ああ。そうか。」

葉山はにこりと笑った。

「ぼく,朝寝坊だもんね。」

くすくすと笑う。

「でも,葉山くんのおかげで,凄いもの見たなあ。」

「ああ,これ?」

葉山は,自分の後ろに立つ銀杏の巨木を振り返った。

「去年,ギイに教えてもらったんだよ。」






「すごい。」

「な?来てよかったろ?」

「・・・うん。」


凍てつくほどに冷え込んだ11月のある朝

外出を渋るぼくを宥めながら,ギイはこの銀杏のもとへと連れてきてくれた。


「今日あたりだと思ってたんだ。」

降りしきる雪のように,はらはらと無限に降り積もっていく金色の朽葉

NYでも何度か,この落葉の風景に出くわしたことがあるのだとギイは笑った。


「偶然見つけたんだ。」

音楽堂から少し外れた空き地にひっそりと立っていた銀杏の大木

「去年は,一人で見たんだ。」

去年・・・ぼくは,彼との接触を頑なに拒んでいた。

どんな想いを抱いて,恋人はこの落葉を一人で眺めたのだろう。

胸がきゅっと引き絞られるように痛かった。

「今年は,託生と一緒だ。」

「うん。」

背中越しに抱きしめてくれた彼の温かさが,ぼくの心を満たしていく。

音もなく散り続ける黄色い宝石

しんしんと

しんしんと

誰もいない

ぼくたちだけの世界

ただただ無言で,その凄絶な光景を二人眺めた。



「潔いな。」

彼の小さくつぶやく言葉が胸に響いた。




「潔い・・・か。」

「ギイらしいな。」

「こうして一斉に散るのは,母なる木からの旅立ちなんだって。」

「旅立ちか。」

寂しいばかりの光景を,そんな表現もあるのかと思う。

ポジティブなギイらしいと言えばらしいが。

「寂しく・・・ないかな・・・。」

ぽつりと小さく呟いた葉山は,かさりと音を立てて黄色い絨毯を踏みしめ,

再び目の前の木を見上げる。

裸になってしまった寒々しい銀杏

その姿を見つめる物憂げな瞳にどきりとする。



「ぼくは・・・生き急いでいるみたいだなって・・・。」



生き急ぐ


それは,この銀杏の木のことなのか

それとも,突然何も言わずに姿を消してしまったあいつのことなのか・・・


「空が青い・・・ね。」

葉山は,ふっと遠い目をした。

葉を全て落とした大木の枝が,すっきり晴れ渡った薄水色の空にくっきりと映える。

この空は,あいつのいる空へと繋がっている。


なあ,ギイ。

おまえ今,何してる?



葉山は,今もここで

おまえのことを想っている



おまえも

今いる,その場所で

葉山を想い続けているのか?




なあギイ




※章三視点のお話です。
 銀杏の一斉落葉の記事を読んで
 想像してみました♪
 朝晩本当に寒くなりました。
 冬は確実に近づいていますね。

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