NOVEL(別設定2)

□百花繚乱 第2部 
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穏やかな年明けだった。


昨年,大きな疫病が流行ったことなど忘れてしまうかのような

静かな年越し


託生の人生においても,つらく悲しいことの多い一年だった。

今,こうして生きていること自体が奇跡に近いのだと思う。

唯一の肉親であった兄を失い,悲嘆にくれるままこの城へと連れてこられた。

そこで出会った美しい権力者

兄の仇と信じ,その死を願っていたはずの男が

実は,自分たち兄弟を救おうとしてくれた恩人だったのだと知り

託生の生き方は大きく変わった。



元武元年

深刻な疫病や災厄に悩まされた年と決別し

新たな将軍の新たな時代の始まり

その意味を込めての改元だった。


義一は,改元の必要を特に感じなかったが,章三や大老島田の勧めもあり

民衆の不安を取り除き,人心の掌握を図るうえでの手段として了承したのである。



比較的穏やかな一月が過ぎ

しんしんと寒い二月の半ば

託生は,十六歳の誕生日を城内で迎えた。

三日とあけず奥通いを続ける将軍の託生への寵愛の深さを疑うものなどなかったが

二月も終わりを迎えるころになると城を包む空気が少し重苦しいものになってきたのは

冬空を覆う灰褐色の分厚い雲のせいだけではないだろう。


「兼満」

「はっ」

「三洲さまがお呼びじゃ。」

「新さまが?」


兼満は,襖をそっと開けると,寝具に包まれ深く眠り続ける託生の顔を見詰める。

将軍は,昨夜も奥で託生と同衾した。

だが,このところ彼は奥で朝までを過ごすことがない。

託生が寝入ると夜明けを待たずに部屋を出ていく,それを兼満は知っていた。

以前は,託生が目覚めるまで側にずっとついていたと思うのだが。

将軍の行動に変化が現れたのは,一体いつのころからだったろうか?



兼満が対面の間へ赴くと,そこにはすでにおもだった上臈たちが集められていた。

「鷹司家の御姫君が,間もなく京を出立される。」

大奥総取締役三洲の凛とした声が響き渡った。

鷹司の御姫君・・・・?

兼満は,三洲の言葉を心の奥底で何度も反芻してみる。

「・・・って,誰でしたっけ?」

ついつい声に出してしまった兼満に

「一月後,何があるかを忘れたのか?真行寺。」

三洲の容赦ない声が飛んできた。

一月後の・・・今日・・・あ・・・

顔を上げて三洲を見ると,恐ろしいほどの無表情が顔の表面に張り付いていて

兼満は自分の身体を自然にふるりと震わせた。

「あの男が,これまでどんな手を打ってきたのかは知らぬが,もはや婚儀は避けられぬらしい。」

「・・・・。」

「おい,真行寺。あの男は,愛しい者にその事実を伝えていたと思うか?」

将軍を「あの男」呼ばわりできるなど,三洲以外には存在しないであろう。

「あ・・・いえ・・・まだかと存じます。」

託生は,今,穏やかな日々を過ごしている。

ただ,今は知らずとも,一旦事が動き出してしまえば,すぐ知れることとなるのは間違いない。

そうなれば,やはり心は平静ではいられないだろう。

「ならば,お方さまには,余計な雑音を入れぬように。よいな。」

「はい。」


知らぬ方が幸せということもあるのだ。


仲睦まじい二人の様子に思いを馳せながら

兼満はひっそりとため息をつく。


よくないことが起こらねばよい・・・


消しても消しても,押し寄せてくる言いようのない不安に押しつぶされぬよう

兼満は自分の拳を強く握りしめた。
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