NOVEL(別設定2)

□「運命の恋」
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「こちらです。」



「足元にお気をつけて。」



「はい。」





夜目に目立たぬ男物の暗褐色の着物に着替えると



真行寺・駒澤の先導に従いながら託生は,城までの暗い道のりを走る。



二人は,託生をやさしく守りつつ,常に神経を研ぎ澄ませ辺りへの警戒を怠ることなく歩を進めているようだった。





城の天守閣が見えてきたところで,託生は辺りの異様な雰囲気に漸く気づく。





「ううむ。」



「やはり,そうか。」



「まあ,予想通りだな。」





託生を守る男二人は,この状況にもかかわらず,のんびりとした口調を崩さない。









城は,囲まれていた。



無数の篝火に。



森閑とした漆黒の闇の向こうから,カシャカシャと武器の擦れ合う音が微かに響いてくる。



武装した軍勢が,無言で城を取り囲んでいた。





どうして・・・?





一体何が起こったのか?



将軍家の権威は安泰だったはず。



抵抗勢力の存在を聞いたことなど,託生はなかった。











「ともかく城に入りましょうか。」



「え?」





何の問題もないように,真行寺が笑うので託生は戸惑った。



これだけ敵に包囲された城に,どうやって入るというのだろう?





「私ども一族は,戦国の世から将軍家にお仕えしてまいりました。

 この城は築城の折より一族が関わっておりますので,細部までよく存じております。

 私達だけが通ることを許された道筋がいくつかございますので,そこを参りましょう。」





真行寺は,託生の皇かな手をとると,小さく微笑む。





「お方様は,上様のためにも,城におられなければならぬ大事な御身です。」





駒澤も穏やかな笑みを浮かべ,託生に手を差し伸べた。



二人に勇気を得たかのように,託生は静かに立ち上がる。





「参りましょう。」





あと一刻もすれば,夜が明ける。



その時,何が起こるのか,託生には全くわからなかったが,今は城に帰ることのできない将軍のために



自分にできる何かをしたい,そう切実に思っていた。







翌日



四つ半時





大奥蔦之間に主だった女達が集められている。



前将軍の縁を持つ女性達(勿論剃髪している者もいる)



現将軍付きの御中ろう



美しく装った女性達が広間に集められ,そこだけ花が咲き乱れたように艶やかな空間となっていた。





大奥取締役の三洲,そして現将軍のただ一人の側室である託生も勿論



その場に呼び出されていた。







一体何が始まるのか・・・





託生は,朝早くから衣装を調えこの場に臨んだ。



病と闘っているであろう将軍を思うと,心中穏やかではいられなかったが,



気の乱れが表に出ぬよう,心の中を無にし,凛とした佇まいで正面だけを見据えている。





隣にすわる三洲。



こちらはいつもと変わらず静かな微笑を湛えていた。







正面の襖戸ががらりと開き,老中の吉井が姿を現した。



「皆のもの大儀である。」



「吉井様。大奥は上様以外は男子禁制。勿論,ご存知でいらっしゃいますね。」





穏やかな笑みを浮かべながらも,三洲の口調は氷のように冷たい。



だが,吉井はそんな三洲の態度も意に介していないようで





「緊急の事態でございますれば,ご容赦くだされ。」





ずかずかと部屋に上がりこみ,将軍だけが座ることの許される上座にどっかとその腰を下ろした。



三洲は,ぴくりとその美しい眉を動かしたが,それ以上表情は崩さない。





「して。ご用向きは?」





吉井は,部屋に集められた女達をぐるり見渡すと厳かに言い渡した。





「本日を持って,皆様方の任を解く。ご自分の実家にお帰りいただく。」





集められた女達からどよめきがもれる。







「次期将軍は,御三家筆頭保科家の広信さまと内定した。」



「次期将軍・・・?」





このお方は,何を言っているのだろう?



上様は,まだ生きておられるというのに。





「上様は,病篤くご危篤の状態が続いておられる。今日明日が峠とのこと。

 将軍家存続のためにも我々家臣は次の手を打たねばなりませぬ。」





託生の言わんとしたことを感じ取ったのか,吉井は重々しく己の見解を述べた。





「上様には,残念ながら御世子がございませぬが,幸い御三家筆頭保科家には嫡男広信さまが成人しておられる。

 先の将軍様が病に倒れられた折も,お世継ぎとして名が挙がっていたほど優秀なお方じゃ。」



「・・・・。」





「民の間によからぬ噂も広がっておるようでのう。」





よからぬ噂・・・?





「上様が,将軍職に就かれて日も浅いが,既に常陸の洪水,此度の流行り病と不幸続き。

 天変地異は,時の為政者の行いを映すものと言われるのが常じゃ。」



「上様のせいだと・・・?」





託生は呟いたが,得意げにまくし立てる吉井の耳には届かない。





「広信公が将軍として入城されれば,大奥も一新されねばならぬ。

 広信公のお世継ぎを設けるための人選も急がねばのう。」





赤ら顔を綻ばせ,これからの算段をつけながら,つらつらと話し続けるこの男は,



保科家から将軍の後見役という旨味のある大役を仰せつかっているのにちがいない。







保科家の老当主は,頭の固い強硬な尊皇攘夷派



異国の血をひく現在の将軍を快く思っていないことは,明らかだった。



三洲は,小さく舌打ちを洩らす。





「・・・・・る・・。」





シンと静まり返った部屋に低い呟きがもれた。





「なに?」





吉井の眉が,不快気にぴくりと動く。





「上様は・・・必ず・・もどられる。」





託生は,顔を上げると,まっすぐ吉井を睨みつけた。



その瞳の色の激しさに,吉井は一瞬たじろぐ。







天変地異は自然の理



己の努力不足を棚に挙げ,政情不安なる事を上様お一人のせいにするなど卑怯千万







上様は,骨身を削り民のため最前線に立ち,民が真に必要とするものは何かを探り,



己の目で確かめながら対応しておられる。





国内が危機的状況の今,城の中で胡坐をかき安穏と過ごしているこの男とは,器が違う。





吉井は,黙ったままの託生を鼻で笑うと,持っていた扇子で顎をくいと持ち上げた。





「鼻っ柱の強い娘よのう。上様の回復を信じるのは,そなたの勝手じゃ。

 だがの,上様は思った以上に重篤で,すでに医師達も見放しておるのだぞ。」





「上様は・・・麻疹になどかかるはずが・・・ないっ。」





唇をきりりと噛み締めると,燃える瞳で吉井を激しく睨む。





「ほう。怒ると頬が桜色に染まって美しさが際立つのう。」





吉井はくつくつと笑う。





「そなたは身寄りがない女子(おなご)じゃったの。

 どうじゃ?わしの館で世話をしてやろう。」





男のどんよりと濁った瞳に粘りつくような欲望の光が見えた。





「吉井さ・・・。」





蛇のような男の眼つきから三洲が託生を庇おうとしたその時



ピシリ



託生は,吉井の扇子を払い落とす。



「そなたの世話になどならぬ!上様は戻ってくるっ!」





気がつくと,目に涙を浮かべ託生は叫んでいた。





「ぶっ・・無礼なっ。この女を捕らえよ!」





激高して立ち上がり,見苦しく喚き散らす老中を苦々しく見詰めながらも



三洲は,外の者には気づかれぬよう,その口角を僅かに上げて微笑んだ。


か弱い華かと思うていたが,なかなかどうして。


やるではないか。





「その必要はない。」




俯き,悔し涙にくれる託生の耳に


懐かしくも愛おしい声が届いた。







「待たせたな。託生。」
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