NOVEL(別設定2)

□「人形(ひとがた)の恋」
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「待っててくださいね。兄上。」


久しぶりに川で捕らえた大きな鱒を麻袋に入れ,ウキウキとした足取りで託生は兄の待つ山寺を目指す。


「与平は釣り名人だもん。一緒に行ってもらって大正解だ。」


このところの暑さで食の細くなっている兄に食べさせてやりたい。

急ぐ託生の眼前に200を超える急な石段。

これを上りきったらどっしりとした構えの山門が見える。

あと3段・・・・あと2段・・・・あと・・・1段。

息を切らして駆け上がった託生の目に重厚感のある山門が見えた。


「よしっ。」


勢いのまま,中に飛び込み兄の待つ奥の間へと急ぐ。


「兄上。今帰りましたよ。」


大きな声で、自分の帰宅を知らせるものの返事がない。


「兄上。見てください。今日は,こんな大きな魚を手に入れましたよ。」


魚を手に,今度は寺のお堂へと早足で向かった。

お堂も人の気配はない。


「兄上?どこですか?」


俄かに不安になり,寺の長い廊下を走り出すと・・・・


「あれ?」


それまで,晴天だった空が,みるみる厚い黒雲に覆われていく。

それまで光に照らされていた明るい室内が見る間に闇に包まれていく。


「な・・・何・・?」


一瞬であたり一面,真っ暗闇に包まれ,目がなれぬ託生は,その場で立ち往生してしまった。

カラスの不気味な鳴き声と羽音が一層の不安をかきたてる。


「・・・兄上・・・?」


その時


激しい稲光とともに叩きつけるような大音響が轟いた。


「ひっ・・・」


真っ暗な外からはめりめりと生木が裂ける音,そしてきな臭い匂いが立ち込めてくる。


「兄上っ・・・兄上どこにいらっしゃるのですか?」


大声で叫び,暗闇の中,あちこち身体をぶつけ青痣だらけになりながら

兄の姿を求め彷徨ううち,厚く重なった雲が一瞬途切れた。

切れ間に浮かぶ淡いオレンジ色の月。


「・・・・・っ・・・・・」


月灯りの下,焼け焦げて原形をとどめない,あの日の寺の残骸が見えた。


「い・・・やだ・・。」


託生は逃げる。

これは,夢だ。現実なんかじゃない。嘘だ。こんなことは嘘だ。

瓦礫の山を掻き分け,闇雲に走る託生は,足元に転がる何かに躓いてしまう。

もんどりうって倒れ込んだ託生は振り向きざま,全身を強張らせた。


「あ・・・う・・。」


そこにあったのは,物言わぬ黒焦げの人形らしきもの。

既に炭化し,小さく折れ曲がった異物を恐ろしくて正視することができぬ。

辺りには,肉と髪の毛の焦げた饐えた匂いが立ち上る。


「嘘っ・・・嘘だっ・・・・。」


声の限りに叫び,目をきつく瞑った。







「あ・・・。」


託生はぽっかりと目を覚ます。

頭上にある淡い月の光は静かに波打つ閨を照らしていた。

柔らかな白い寝具に横たわる自分の身体を見て,託生は現実へと立ち返った。

身体中に散りばめられた鮮やかな朱と身体の奥底に残る鈍い痛みが,嫌でも先ほどまでの激しい行為を思い起こさせる。

軋む体をゆっくり起こし,隣を見遣ると,自分を陵辱した男が健やかな寝息を立て,深く眠っていた。

託生は,腕だけを伸ばし,敷布の下に隠していたものをそっと取り出すと,自分の懐へと導く。

それは,護身用のあの小さな懐剣。

託生は息を殺し,音を立てぬよう鞘をゆっくりと抜いた。

兄を・・・里のみんなを手にかけた男は,こちらに背を向け規則正しい寝息を立てている。


託生は両手で刀を握ると,男の首筋に照準を定めた。


その時,ふわりと吹き抜けた涼やかな夜風が,男の栗色の髪の毛を優しく揺らし,

微かに甘い花の香りが鼻腔を擽った。


「託生。」

呼びかけられる声は穏やかで愛おしさに満ちていた。

添えられた掌は温かく優しく

強引ではあったけれど,決して乱暴ではなかった。

苦痛に耐える自分を見かねて,受け入れる痛みを和らげようとしてくれていた。

意識を失っていた間,妖の鬼が里の子守歌を口ずさんでいたのは,

あれは,幻聴だったのだろうか?


いや


託生は,我に返った。



躊躇っては・・・いけない。

この男は,仇。

そう。仇なのだ。



今しかない。

短刀を握る掌に力を込める。

一つ息をつき,目を静かに瞑った。




 − だめだよ。託生。 −



脳裏に突然響いてきた兄の声。

託生はぴたりと動きを止めた。

握り締めた懐剣に,ふわりと何かの力が加わる。


「ど・・・・して?なぜに止めるのですか?兄上・・・。」


託生は困惑した。




「どうした?」


背中越し,ぐっすり眠っているとばかり思っていた男の声に,託生はびくりと身体を竦ませた。


「そのまま頚動脈をかき切ればよい。」

「・・・・あ・・・・。」

「ちゃんと狙えよ。急所を外されるとさすがのオレも苦しいからな。」


どうしよう・・・・どうすればいい?

託生は懐剣を握ったまま,身動きすることができない。


「それとも,ここをねらうか?」


男は,くるりと向き直ると,託生を真正面から見つめた。

自分の胸の左側,心の臓を指差しながら。


「どちらにせよ,かなりの返り血を浴びるはずだ。そなたは,これを巻いておけ。」


託生の肩にふわりと白い敷布がかけられた。


「事が終わったら,オレの手にその懐剣を握らせ血を拭え。ああ,足元に黒の袷を布に包んで置いてあるから,
 それに着替えることを忘れるな。夜目に白装束は,さすがに目立ちすぎるからな。」

「・・・・・。」

「庭に出れば,後は章三がそなたを逃がす手筈だ。何も心配することはない。」


この人は・・・この人は・・・一体何を言っているのだろう?


戸惑う託生の目を,男は真っ直ぐに見返してきた。


「そなたは,生きよ。」

「どう・・・して・・・?」

「オレの命を本気で惜しむ奴などいないからな。」

「そんな・・・・・。」


絶対的な権力と富を持ち,願って叶えられぬことなど,きっと何一つない。

光に透けて蜂蜜色に見える髪の毛と薄茶色の眸は確かに物珍しくはあるけれど,

西洋の絵草子に出てくるような類稀なる美しい容姿は

きっと相対したもの全てを虜にすることだろう。

女も男も・・・全て・・・・。

なのに・・・・


「この世に信ずるものなど何もない。」

「・・・・。」

「そなたの手にかかるなら本望だ。」


凛とした潔い態度

薄茶色の眸の中に,微かに揺れる孤独の影を見た。

頬に添えられた掌からは仄かな温もりが伝わってくる。


この人が・・・

なぜ,兄を,里の者達を手にかけねばならなかったのだろう?



自分がこの懐剣を手に,彼の懐に飛び込めば

全てが終わる。


頬に添えられた温かな手は力なく褥の上に落ち

見詰めている深い海のように澄んだ穏やかな眸は硬く閉ざされ

自分を情熱的に抱いたその身は,物言わぬ骸となるのだ。


「あ・・・・。」




命とは全うするもの

それが自然の理

自然の理を人が断ち切ることは許されない。



たとえ,それが罪人であっても

たとえそれが憎むべき人間であっても


憎しみは何も生み出すことはないのだよ

わかるね

託生




兄上・・・兄上・・・

わかりたい

わかりたい・・・・でも・・・・





「優しいそなたに人を殺めることはできぬか。」

「・・・・・できるっ・・・・。」


絞り出した声は,悲壮感に満ちている。

大粒の涙がぱたぱたと堰を切ったように頬を零れ落ちた。

憎いのに・・・憎くて仕方がないのに,自分にはこの男を手にかけることができない。

兄上・・・与平・・・おみよ・・・正太・・・

それならば・・・・



ごめんなさい

ごめんなさい・・・

ごめんな・・・



空ろな表情のまま,託生は自分の首に冷たい刃を当てた。




「馬鹿っ!やめろ!!」


激しい叱責とともに,手から懐剣が叩き落された。

そして,託生はそのまま相手の腕に絡め取られ,気づいたときは温かく広い胸にきつく抱きしめられていた。


「一度ならず二度までも,院主の教えに背くのか?」

「・・・・・。」


「生あるものは必ず終わりが来る。それ故,今生を大切にせよ・・・辛くとも今を誠実に生きよと
 院主は常に里の者達に説いていたであろう。」

「・・・っ・・・・。」


優しかった兄の面影が脳裏に浮かぶ。

里の者達に慕われていた誠実な兄。


「託生は,いい子だな。」


いつも頭をなでてくれたちょっとひんやりとした美しい手。

忘れられない温もりが,想い出が・・・心の奥底から溢れ出てくる。

もうもどらない日々

愛おしい日々

胸いっぱいの悲しみが託生の心を押し潰す。

堪えきれない涙が頬をとめどなく伝い流れ落ちていく。




「すまない。そなたの大切な兄を・・・里の者たちを救うてはやれなんだ。」

「・・・・。」

「致し方なかったのだ。許せ。」


仕方なかった・・・・?

人の命を奪うことが仕方のないこと・・・・?

託生は,もがきながら,広い胸を押しのけた。



「・・・・許・・・さない・・・・。」


絞り出した声は,自分でも驚くほど低く地を這うような冷たいものだった。


「絶対に・・・許さない・・・。」


託生は,無表情のまま男をにらみつけると吐き出すように言った。


「あんたなんか,嫌いだ。」


すっくと立ち上がると


「・・・っ・・・。」


内腿を伝う濡れた感触に顔を歪めた。

が,

何事もなかったかのように,脱ぎ捨てられていた白い袷を拾うと,ゆっくり身に着けていく。


「どうするつもりだ?」

「帰る。」

「どこへ?」

「どこでもいい。ここから出る。里へ帰る。一人で暮らす。」


踵を返そうとして,託生は顔を顰めた。

男の手が左手首を鬱血するほど強く掴んでいる。


「放してください。」

「だめだ。」

「放せっ・・・。」


どれほど暴れても,一回り線の細い託生には,男の腕を振り払うことはできぬ。


「そなたを城から出すわけにはいかぬ。」

「なっ・・・・さっきは逃がすって・・・・。」


「それは,オレがいなくなった時の話だ。」

「・・・あっ・・・・。」


託生は,再び褥に引き倒された。

すかさず,男が圧し掛かり,呆気なく組み伏せられてしまう。


「卑怯なっ・・・。」

「なんとでも言え。」


中途半端に身に着けていた袷が乱暴に取り払われ

逃げようとする腕を取って押さえつけられた。


「嘘つきっ・・・鬼っ・・・・。」


声が枯れるほどの叫びも空しく

激しく合わされた唇に全てを飲み込まれ

再び彼の熱へと巻き込まれ同化していく自分を,どこか他人事のように感じていた。





もう再び里に帰ることはない。

この城から二度と出ることはないのだ。

逃げられない・・・・。

もう逃げられない。




託生は,自分で意識を閉じた。

身体が暗く深い海の底へと沈みこんでいく。

奈落の渕へと・・・・







「章三。」

「はっ。」


仄明るくなった閨の向こうに忠実な臣下の影が見える。

ぐったりと横たわる託生を庇いながら年若い将軍は行動を起こした。



「三洲を呼べ。」
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