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□独夜
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昔、星空を見上げるのは胸が踊るようだった。星座を探し、知らない星を見つけようと目を凝らして、隣に立つ赤毛の親友に夢を語った。小さな手を夜空に向けて、濃紺色の闇に煌めく星々を掴むかのように手を握り締めた。

今は、同じ色を見上げるのも寂しく虚しい。心の奥底にあいた穴が塞がることは無く、風が吹きぬけていくような寒さに自分の腕で体を抱き締めた。
窓を閉めて、明かりを落とした室内に戻る。

火を入れられた部屋は温かく、窓硝子は曇っていく。だというのに寒さは残っていた。体の奥底に氷塊が居座ってしまっているのだ。
それを取り除ける人物は一人だけで、その方法は永久に喪われてしまっている。胸元に下げたペンダントを握り締めた。

赤々と燃え盛る炎と同じ色をした髪の、彼を瞼の裏側に思い出す。彼と語り合った話は、一言一句忘れることはない。そんなことは出来ないのだから。
幼子のように泣くことも、平然を装うのも、自分はできずにいる。
失った片翼。血も流せぬままに飛翔して、自分が辿り着く先は、終着点は何処にあるのだろう。いつ失速し、失墜してしまうのだろうか。寒々しい空想に、嘆息した。
駄目な方向にばかり気が向いてしまうのを叱咤してくれやしないかと、馬鹿馬鹿しい甘えを頭を振って打ち消した。

もう居ないのだ。彼はヴァルハラへ旅立ったのだ。そうさせたのは、紛れも無く自分だった。
部下達はそれは違うと諌める。陛下の所為では御座いませんと。かの軍務尚書の為と口を揃える。確かにあれは自分に、彼を特別扱いしてはならぬと進言した。だが受け入れたのは己だった。子供のようなつまらぬ意地のためだ。些細なことで意見を食い違えて、自らの非を謝罪せぬままに彼を逝かせてしまった。言われるまでもない、己の手は血の色をして、その鉄錆の香りが纏わりついて決して離れることはない。死ぬまで。

そして、汚れていくことはあってもそれが清廉に戻ることは無いのだと理解していた。

扉をノックする音に、顔を向けて了と伝える。控えめなそれは、エミールのものだ。予測は当たり、兼ねて彼が用意すると言っていた紅茶が運ばれてきた。疲れたときは甘いものを、という論文的な根拠は無いにしても多くの者に有効な言葉を用いて、すっかり食が細くなった自分に差し出された、砂糖を多めに入れてあるだろうミルクティー。
優しい味は、いれてくれた者の性格を示すのかもしれない。

礼を言って、それから夜も遅い時間なのだからと下がらせた。渋々、というのが見て取れて苦笑する。引き下がったあと、もう一度窓辺に凭れて星を眺めた。

煌々と幾千万年も地上を見渡し、輝く星のどれかひとつにも及ばぬ長さの腕で、それでも何かを成し得るために、生き続ける。


ENDE.

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