小説倉庫4

□Don't say "I love you"
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愛しているとお前は言う。けれど本心からではないと思っている。おれを愛していると錯覚する、そのこと自体に酔いしれているんだ、と。笑ってやった。信じたくない。信じられないんだ。おれが誰かに愛されるだなんて夢物語もいいところだから。
こんな疫病神のような人間を、愛しているだなんて、なんて、狂気の沙汰だろう。


***


鷲の城という名を冠する要塞。その中で起こった悲劇を、カレンダーの日付を見るたびに思い出す。消しされない、血の色の思い出。
どうして、記憶から消してしまうことが出来ようか。お前の最期を。遺言と、約束を。

冷たくなった骸の傍らで、正気を失っていた。永久に、そのままで止まってしまいたかった。けれども、それを現実は許さなかった。キルヒアイスを喪った代償に、宇宙を手に入れなくてはという強烈な飢餓感で覆い尽くされていた。
飢えを満たすのは、闘うことの高揚感だけ。

グラスに注いだ酒をどれ程飲み干しても、渇きは消えず、酔うことも出来ない。
きっとそれがどれだけ高級な年代物であろうが、安物だろうが味も変わりないと感じるだろう。食事さえ、味も分からない。噛み締める度、砂でも噛んでいるかのようだ。

殆ど手を付けぬままに食器を下げさせると、不安そうに近侍が見つめてくる。それに苦笑して、何でもないのだと言った。
この大嘘つきめ、と内心で自嘲する。本当は、酷く吐き気と頭痛に襲われていた。

幼い近侍は何か言いたげにしつつも、引き下がり、部屋には独り自分だけが取り残される。緩やかに息を吐き出して、髪を掻き上げた。米神を抑えて、呻く。

机の引き出しを開けて、中に入れてあった鎮痛剤を取り出した。錠剤を水で流し込む。数時間もすれば、痛みは和らぐが一時的でしかない。あまり常用すれば体が慣れてしまう。余程、酷い時以外には使わないようにしていた。
頭痛が少しだけ和らいで、目蓋を閉じる。コン、と控えめなノックが来訪者を告げた。独りにさせて欲しかったが、そうもいかず、入れと許可する。扉が開かれ、己の冴えぬ顔色を蒼と黒の瞳が見据えた。

「御寛ぎの所、申し訳ございません閣下。」

「何用だ?」

「先程、近侍が何やら零していた話が気にかかりまして。食事も喉を通らぬほど、何かお悩みでもあるのですか。」

「・・・余計な世話だ。」

机の下、握り締めた掌に爪がしたたかに食い込む。

「睡眠と食事は、欠かせぬものです。自分を虚弱させて、自滅なさるおつもりですか?」

「食べたくないものを、食べる必要性を感じないだけだ。睡眠も同様だ。」

「食べたくないのではなく、食べれないのでしょう閣下。眠らないのではなく、眠れないだけなのでは無いですか?」

図星を言い当てられて、一瞬だけ言葉を詰まらせた。猛禽類のように、鋭い眼だ。
歩み寄って、テーブルに置かれたまま転がる薬の殻に視線が落とされる。それから、此方に再び戻った。

「以前の貴方は、焔のようだった。今の貴方は、折れそうなほど研がれた刃のようだ。」

「中々に詩的な表現だな、ロイエンタール。それで、私という劔を卿は折りたいとでも言うのか?」

「いいえ。」

僅かに口端を持ち上げて、言う。

「貴方は、折れるには未だ早い。」

「では何が望みなのだ?回りくどい言い方は止せ。」

見上げて、視線を絡ませる。挑発的に問えば、頬に手が伸ばされた。竦みそうになる身を、どうにか抑える。少し跳ねた肩を、彼は見過ごしただろうか、何もそれについては言わず、吐息がかかる距離で見つめる。

「貴方が欲しい。」

がた、と思わず身を浮かせて逃げそうになった。ぎりぎりで踏みとどまり、睨む。戯言を、と無意識に口走った。首を振り、彼は其れを否定する。
金銀妖瞳が、細まった。

「よもや、私に恋慕を寄せているとは思わなかったぞ。冗談にしては、随分と性質(たち)の悪い。」

手を払い退けて、口元に笑みを張り付かせる。努めて、そうした。だが、立ち上がろうとした身を椅子の上に押さえ込まれる。

ぎしり、と革製の其れが抗議の音を立てた。

「怖いのですか?」

「・・・・・黙れ。」

「誰かに愛され、喪うことが恐ろしいのですか?」

「黙れと言っている!」

冷静な低い声と、激情に流される滑稽な己の声。どちらが有利な立場にいるかなど、火を見るより明らかだ。

「怖くないのであれば、貴方は私を利用すればいい。信じられないなら、そのままでも宜しい。ですから、一時だけでも流されてしまえばいいのです。貴方には、休息が必要です閣下。」

胸元に下げていたペンダントが毟り取られて、床に落ちた。拾い上げる前に、体を抱き上げられる。そのまま寝室へ押し込まれて、扉を閉められた。


***


拡げられた体内に埋められる熱塊。凶暴な質量が、粘膜を掻き回す。じくじくと、疼く躰。
教えられた火種は、瞬時に広まり肌を火照らせる。

最初は拒絶し、子供のように泣き喚いていた。今は、女のように喘いでいる。愛撫する手に身を捩り、与えられる口付けに呼吸を奪われた。

幾度、気を飛ばしかけただろう。際限なく繰り返される行為。注がれた劣情が泡立ち、隙間からこぼれ落ちていく。生温い温度に、ぞわりと産毛が総毛立った。背後から抱き竦めて、頚筋に落とされるキス。獣のように荒い呼吸に、自分を呼ぶ声が混じる。

最早、「閣下」では無くなった。我が皇帝、と低く熟成した魅了的な声が譫言のように呼ぶ。まるでそれは、彼が自分を呼ぶときのような熱を孕んでいて。躰の奥底が、ぶわりと熱を上げた。

叩きつけるように、最奥を穿たれる。背を仰け反らせて、果てた。どくどくと脈打ち、たっぷりと体内を濡らして引き抜かれていく体温。乱れた息を整えて、指一本も動かせない身を転がす。

乾いた唇を潤すように、口付けられた。顔を背けると、頭上で小さく苦笑される。緩やかに弧を描く薄い唇は、何か言いかけて、止めた。

脱ぎ捨てた衣服を拾い上げて纏う。綺麗に布で体を拭ってから、一礼して去っていった。扉が閉まる。残されたのは、冷えていく己の身だけ。
顔を腕で覆い、笑う。

なんて、自分は汚いのだろう。彼が言いかけた言葉を受け取ることを拒絶し、それでも尚、彼を利用しているのだ。これが皇帝であると、知れたときどれ程人は呆れ果てるか、失望するか。
笑いが収まってから、寝台の上に身を丸めた。

一度だけ、眠った振りをして見送った。その時、彼が何といったか。事もあろうに、愛している、などと言ったのだ。熱の篭った声に、逆に体が冷えたのを覚えている。

今日も、また遠ざかっていく足音が消えゆくのを最後まで聞いて、あまりの苦しさに喉元を抑えた。


***


真夜中に、夢を見た。仕事をしている途中、微睡みに落ちていた。目の前に広がった紅色に、呼吸を忘れる。ひゅう、と笛のような音が喉から漏れた。瞬時に目覚めるも、身体は金縛りにあったようで、上手く息を吸うことができない。
慌てれば慌てるだけ、溺れたようになる。

「―――陛下、っ!」

紙束がばさばさと床に落ちた。駆け寄って、身を起こされる。獅噛みつくと、宥めるように背中を手が摩った。

「吸わずに、吐いてください。ゆっくりです。力を抜いて、」

「か、は」

失礼、と前置きしてから顎を上向かされる。唇を塞がれた。次第に、落ち着く。皺の寄った軍服から、手を離した。
床に落ちていた書類を拾い上げ、角を整えて差し出される。

まるで何事も無かったかのように。

「・・・・ロイエンタール。」

「なんでしょうか、マインカイザー?」

「何でも、無い。」

怪訝そうにはするものの、矢張り何も言わずに彼は部屋から出ていった。
おれは、何を言いたかったのだろう。

遂に、その正体が分からぬままに時間が過ぎて、そして彼は二度と自分の前に立つことは無かった。
叛逆。双璧と称えられて並んだ者との戦いの果てに、味方に裏切られ、重傷を負った。そして、死んだ。反旗を翻した理由も言わず。

狡い男だ。此方にあれ程、手をだしておきながら残していくなんて。

もう、眠れない夜は無かった。
ただ、聞こえるはずも無い低く艶を帯びた声が、誰かに呼ばれるたびに脳裏にこびりついて離れてくれない。

我が皇帝よ、と。呼ぶ、お前の声が。


Ende.

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