小説倉庫4

□何時かまた此処で
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がたり、ごとりと揺れる。ぼんやりと灯る橙色の瓦斯洋燈。今では随分と珍しい、古めかしくアンティークのような其れが照らし、白い頬を染めている。ふと気が付けば、ラインハルトは見慣れぬ場所に座っていた。深い紺色の天鵞絨のようなシートに腰掛けて、周囲を見渡す。乗客らしい者は見えない。ただ、前方には車掌と思わしき、帽子を深く被り襟を立てて顔の見えない人影が突っ立っている。影法師も、本人も、ずば抜けて丈が高かった。

四角い窓に切り取られている景色は、黒々とした闇の中に綺羅星が細かく散りばめられて眩い光を放っている。それは小川のように幾筋も幾筋も連なった細かな星たちが、集まり、離れて、天の川のようになっているのだった。川岸には、青い竜胆が揺れている。銀色の芒の穂も、さらさらと揺れていた。少しだけ開けた窓の隙間から吹いた風が、鬣のような金糸を揺らして頬を撫ぜる。

目蓋を少し下ろし、烟るような睫毛に星たちの光を反射させるようにさせながら、どうしてこのような場所に居るのかと彼は思考を探ってみた。が、なんの手掛かりも思い出せない。確か、何かしていた途中ではあったと思われるのだが、それが何だかは不明瞭で霧の彼方にでもあるように輪郭を見せてくれない。諦めて息を吐けば、車掌らしい者が手袋に包まれた手を差し出していた。

不可思議ではあるが、電車に乗っている以上は切符を見せねばなるまい。そう思ったが、何処かで買った記憶など無かった。手探りでポケットを漁れば、指先に紙切れが引っ掛かる。ええいままよ、と差し出せば受け取られ、繁繁と眺められた。丁寧に返されて、「良い旅を」と、何処かで聞いたような声で言われて、曖昧に頷く。

何処からか聞こえる細い声での讃美歌。それに混じる甘酸っぱい香りに、窓を大きく開けた。透き通る水晶の漣が焔を吹き上げて、ちかちかぎらぎらと輝いた。

飛沫をあげる其れに指先を浸すも、水素より透き通ったかのようなそれは温度も濡れている感触も無い。ただ浸した手首だけ、一瞬、水銀のような色に光って、直ぐに消えた。
肩を叩かれて、差し出される籠。たっぷりと盛り込まれた林檎は、美しい黄金と赫い色をしている。

パイにすれば、きっと美味しいだろうとラインハルトは思った。姉が作る菓子は絶品で、頬が落ちそうな程。思い出し、口元が緩む。しかし、姉の姿も声も此処では聞こえない。残してきた。遠い、遠い場所へ。

(何処へ?)

振り返り、誰もいない車内で急に不安が彼を襲った。握り締める林檎の馨しい匂いが、辺り一面に漂っている。

車掌に、此処は何処かと尋ねようかとも思った。が、彼の姿は消え失せて、一人で残されている。がたり、とまた箱のような車内が揺れた。

膝の上に林檎を置き、指先を強く握りしめる。

「・・・キルヒアイス、」

ぽつりと呟いた声は、存外、大きく響いて空気を揺らした。ぼう、と洋燈の明かりが揺れ動き、壁に映る影法師も同じくして震えた。

「キルヒアイス・・・・ッ!」

ぽとぽとと、膝の上に落ちては布地に染み込む水滴。眦から止めどなく零し、拭うこともせずにいると白い手袋に包まれた指先がそれを優しく撫でた。弾かれたように顔を上げる。

目深の帽子と、立てた襟元。しかし、微かに覗く深い深い海の色の瞳に、燃えるような赤毛。

「まだ、このような場所に来てはなりませんよラインハルト様。どうか、お泣きにならないでください。」

制服に強く指で縋り付くが、やんわりと開かれて、離された。

「アンネローゼ様も、諸提督もエミールも・・・皆、貴方を彼方でお待ちしているのです。だから、まだ来てはなりません。」

「何故だ?!もう、いいじゃないか。これ以上、何をしたらお前のところへ行けるんだ?何をしろと、おれに言うんだ。」

「ラインハルト様。」

くしゃりと顔を歪めて、涙を頬に伝わせる彼に、そっと言う。

「何れ、お迎えに参ります。ですから、それまでお待ちください。」

「いやだ。おれは銀河を手に入れた。皇帝になった。それでもまだ、おれはお前のところに行くのに足りていないのか?」

赤くなった鼻先。すん、と啜る。困ったように眉尻を下げて、キルヒアイスはその旋毛に鼻先を埋めた。そっと抱きしめる。薫る、林檎。

「お願いですから、泣かないでください。目が腫れてしまいますよ。」

「構うもんか。」

「まるきり、子供のようですね。」

苦笑の混ざった彼の声色に、ラインハルトは子供のように駄々を捏ねても、一緒に居てはくれないのだと知る。未練が尽きずに、額を肩口に押し付けた。

「連れていってくれないなら、どうして会いに来たんだ?」

「私が会いに来たのではなく、貴方が来てしまわれたのです。だから、まだその時期でないと戻すため、こうやって参りました。出来れば、気づかれたくなかったのですが・・・。」

「駄目だ、駄目だ。お前の変装はなっていない。すぐばれるに決まっているじゃないか。喩え爺さんになって白髪になってしわしわになっても、お前だと一目で分かるぞ。」

「どうしてですか?」

「お前だからだ、キルヒアイス。」

深々と息を吸い、吐いた。背をあやすように撫でる手が、ぽんと軽く叩く。

「何時の間に、口説き文句を覚えたのですラインハルト様?」

「知りたいなら、はやくあわせろ。」

「それは駄目だ、と言っていますのに。」

困った方ですね、とキルヒアイスは微笑んだ。

「私も、貴方が白髪になって背骨が曲がったとしても、きっと見つけ出しますよラインハルト様。そうなっても、貴方はきっと輝くように美しいのでしょうね。そのときに、また会えると嬉しいです。」

無言で頷き、強い抱擁を返した。当たりに漂う香りも、景色も、溶けて、消えた。


***


微睡みから目が覚めて、身を起こす。まだ夜半を過ぎたばかりのようで暗い。窓辺に置いた蘭を手にとって、唇を押し当てた。

窓の外から漂う林檎の香りに、先程の夢のことを思い返して、目蓋で瞳を覆う。

何時か、また二人で揃って宇宙を旅する。そのことを夢見て、眠りに落ちた。


Ende.


あとがき

宮/沢/賢/治が大好きで、中でも好きな例の作品をどうにかパロにしたかったのですが敢無く轟沈。0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_

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