小説倉庫4

□夢見るコッペリア
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迷い込んだ森の奥深く。見つけた館は随分と古びていた。雨風に曝された壁は所々塗装が剥げ落ち、煉瓦が剥き出しになっている。蔦が多く絡みつき、窓を覆い隠していた。そのためか、入ってみると薄暗い。長い年月を経て変色した壁や絨毯。埃が積もった床を踏みしめて歩く。羽毛のように軽いそれらは、足音を吸い込んだ。

外は雨がごうごうと風に叩きつけられている。雷がさっと闇を切り裂き、一瞬室内は眩い光に包まれた。反瞬遅れて、腹に響く轟音。
溜息をついて、濡れて張り付く髪を掻き上げた。
火を灯されていない館は、当然のごとく寒い。

人気の全く感じられない荒屋に等しい場所へ、何も好き好んで入ったわけではない。狩りの最中に、こんな突然の天候のいたずらでもなければ、歩き回ることも無かっただろう。熟熟、ついていないと何の功績も上げられなかった銃を肩から外した。

野宿をするのに、雨ざらしになるよりは多少ましだが火の気も無ければ食糧も無い。そもそも、それを狩りに来ていたので成果が無ければそれも当然だった。どうしたものか、と止む気配も無い雨を見つめる。いや、そればかりか益々強くなっている気がしなくもない。

改めて溜息をついて肩を落とす。

髪から滴る雫をそのままにしていると、不意に油の切れた蝶番が軋む音が聞こえて、思わず飛び上がった。見れば、目の前に続く廊下の向こうにある扉が微かに開いている。人の姿は、矢張り無い。
風の悪戯か幽霊とかそういった類なのか。雰囲気も相まって、常には笑い飛ばすようなことも空想が及んでしまう。立ち上がり、その扉に手をかけて、唾を飲む。それから、ゆっくりと開いた。

部屋の中は暗いが、目を凝らすと荘厳な作りなのが見て取れる。天蓋付きの寝台は、楽に大の大人が三人は寝そべることが出来るような代物だし、洋燈も凝った装飾が施されている。しかし所々破けたり、埃が積もったり、蜘蛛の巣が張り巡らされてあった。柱時計が、ごぉん・・・と鳴る。

鐘はそれから四回鳴って、今が夕方の五時であることを告げた。だから、どうということでもないが。
天鵞絨のような天幕が隙間風のためか、ひらひらと揺れた。

と、寝台の上に何かがあるのに気がつく。

ある、というか居る、というか。近付いて覗き込み、あっと息を飲んだ。そこだけ埃が避けたようになっていて、白い肌と金の髪を持つ人間が眠っていたのだ。長い睫毛に、すっと通った鼻梁。唇は薄く、全体的に色素が薄い。とても綺麗な人だった。どうしてこんな場所にいるのだろう。自分と同じく、迷い込んだのだろうか。それにしては随分と大胆で剛毅だ、と思った。

手を伸ばし、頬に触れる。するとぱちりと目が開いた。驚きに固まっている自分に、白い腕が伸ばされる。

ひやりと冷たい指先が頬を撫でた。

「誰だ?」

それは此方の台詞だったが、口から言葉がでてこない。真正面から見据える薄い蒼の瞳に引き込まれた。無言の此方を訝しげに見つめて、彼は起き上がる。

「野盗の類では無さそうだな。」

「雨を凌ぐ場所を探していて・・・此処に貴方は住んでいるのですか?」

「此処で生まれた。終わる時も、此処で終わる。」

それにしては、家族らしい者も侍女も見当たらない。

「独りで暮らしているのですか?」

「暮らす、というか。今まで機能停止していたから、ずっとその間のことは知らぬな。」

長く伸びた髪を鬱陶しそうに掻き上げ、柱時計に目を向ける。それから、また此方へ視線を戻した。

「その所為か、些かデータも壊れているようだな。」

「貴方は、まるで自分を機械のように言うのですね。」

「機械だからな。」

さらりと言われて面食らう。ほら、と彼は髪をどけて項を見せた。白い肌に不釣合いにも見える、コード。蛇のようなそれが繋がっている。

「“フランケンシュタインの悪魔”が生み出した作品のひとつだ。世界に、どれほど残っているか知らぬがな。」

唇を三日月のような形にさせて言い、笑う。あまりに精密な細工は、人間と変わりなく見えた。動作に不自然さの欠片も無い。だが、それならばあの皮膚の冷たさも肯けた。長い年月で、ずっと此処にいて朽ちていない理由としても。

なんと言おうか悩み、黙っていると沈黙を破ったのは自分の腹の虫の抗議だった。

情けなさに赤面し、もう穴があったら入りたいぐらいの勢いで落ち込んでいると“彼”は立ち上がる。
コードを引き抜き、素足のままで歩きだした。部屋の隅にある本棚のうち、一冊を動かす。

絡繰になっているらしく、壁の一部が動いて倉庫のようなものが出てきた。

「不便だな、食べねば生きれぬというのは。」

なかにあったのは缶詰やら保存食の類だった。そのうちひとつを放って寄越す。

「好きなだけ持って行くがいい。どうせ、私は必要のないものだ。」

「いいんですか?」

「置いて腐らせるよりいい。それに、腹を空かせたままで居座られるのは、“夢見が悪い”というのだろう、お前たちに言わせれば。」

自分は夢を見ないが、と言って寝台に腰掛けた。

「雨が上がったら出ていくのだろう?それまでは好きにすればいい。暖炉は其処にある。」

「火種が、」

「・・・・・本当に面倒だな。」

ずぶ濡れで湿気ったマッチを見せれば、呆れたような物言いをする。寝台の横に手を伸ばして、棚の中からマッチを出した。ようやく暖かな光が部屋に溢れる。

「ありがとうございます。」

缶を温め、一息つく。食べている間、彼は窓をぼんやりと眺めていた。

「・・・貴方の、名前は?」

不意の問いに、彼が振り向く。

「どうしてそんなことを聞く?」

「どうして、というのは、あまり思いつかないのですが。一緒にいる間だけでも、こうして会話をすることもあるでしょうから。」

「―――ラインハルト。」

「そうですか、私はミュラーといいます。」

きょとん、と。驚いたような顔をして見返してから、彼は頷いた。表情が豊かなのは作者の手腕によるものだろう。喩えそういう仕組みであったとしても、あまりに自然すぎて、彼が機械ということが益々信じられなかった。


***


翌朝も雨は降り続いていた。ラインハルトは薄汚れた館を好きに歩いていいと言ってくれたが正直どうしてよいかも分からない。部屋はたくさんあったがどれも使われていないために酷く黴臭い。ラインハルトがいる部屋が一番装飾も豪華で、比較的綺麗だった。暇潰しに掃除し、埃を拭い取る。
水道はかろうじて使えたので、壊れかけのバケツを探してきて水を貯め、使っていなさそうな布で拭えば嘗ての輝きを取り戻したかのようだった。

そうしていると、テーブルの上に日記らしいものがあるのに気がつく。ラインハルトはまた寝台に横たわって目を閉じていた。そっと、頁を捲る。

それは、この館の主の手記のようだった。研究のことが書かれているのでさっぱり分からない単語もちらほらあった。幾つか捲ると、ようやく成功作品が出来たことの喜びが綴られている。しかしその後は頁が破かれ、幾つか飛んでいる。最後のページは文字が乱れていた。

“私が生み出したのは戦闘兵器と呼ばれてしまった。彼らは何の罪悪感も無く、躊躇せずに人間を殺すことができる。悪魔と呼ばれても仕方がないだろう。しかし、私は彼らを希望のために生み出した。最後のひとつだけは軍に渡さずに此処に隠す。何時か、彼に相応しい主が訪れるまではスリープし、起動しないようにプロテクトをかけているがどうなるかは分からない。こればかりは、神に委ねるしかない。願わくば、彼に幸多からんことを。”

「読み終わったか?」

後ろから声が掛かって驚く。寝台の上に座り、彼が此方を見ていた。

「すみません、勝手に読んでしまって・・・。」

「別に構わない。事実しか書いていない。隠すつもりもない。」

ラインハルトはゆったりとした足取りで歩み寄り、喉首へ両手の指を絡ませる。

「例えばもし、お前が望むのであればその首をへし折るのも容易い。」

「ですが、そうなさらないのでしょう?」

「お前はそれを望んでいないからな。」

冷たく輝く双眸。ゆるりと弧を描く唇。どこかそれが自嘲しているようにも見えた。

「では、他に望めば貴方は従ってくれますか?」

「ほう、なにかあるのか。」

腕組みし、首を傾げる。

「此処から出て、暮らすとか。」

「それは出来ない。此処が私の揺り篭で、棺だ。此処で生まれ、此処で死ぬ。機械に“死”があるとすれば、だがな。」

彼はそう言って、また寝台に座りコードを項に繋げて目を閉じた。


***


三日ほどして、雨は弱まった。霧雨に包まれ、先の景色もよく見えない。これでは帰り路も分からないなと思っていると、肩を叩かれた。

「ミュラー、館から出ていけ。」

抗議を言う暇も、理由を言われることもなく手首を掴まれて引っ張られる。痛いくらいに。
外へ締め出され、荷物と幾つかの缶詰も放り投げられた。扉を叩いても、反応もない。

「何か、気に障ることをしましたか?」

扉の向こうにいるであろうラインハルトに声をかけた。沈黙のあとで、「目障りになった」と微かに聞こえる。それならば仕方ないと諦め、霧が深い森をどうにか歩いた。やっとのことで街道に出て、息をつく。ここまでくれば、帰り路も分かった。

その細長い、舗装されてもいない道を、何台かの車が走っていく。丁度、自分がいましがた来た道を辿って。

何か嫌な予感がして、荷物を置いて走る。

泥が跳ねたが気にかからなかった。

車は館の前で停止させられて、扉が開いている。明かりがひとつだけ部屋に灯っていた。階段をのぼり、廊下を進む。部屋の前で、中をそっと伺った。
ラインハルトと、対峙している数人の人影がある。

「博士の作品の最後のひとつ。いや、一人と言うべきでしょうか。」

「好きに言えばいい。どうせ卿らにとっては消耗品のひとつでしかなかろう。」

「そのようには思っていませんよ。貴方の兄弟たちは、非常に優秀でした。ただ、博士がお亡くなりになってからは故障しても直せる者が居ない状態でしてね。残念ながら、倉庫で眠っています。」

「亡くなった、だと?殺したの間違いだろうが!」

峻烈な光を宿した瞳で睨む。いく人かが怯むほどだった。先頭の男だけは、静かに見下ろしている。

「軍に関わるのを拒み、作ったものを奪われまいとした。それにお前たちは強行策をとった。命からがら此処まで戻り、私を眠らせて隠した。・・・再び起動したことで、それを感知してやってきたのだろうが。無駄足だと知れ。私は此処から出ていく気は無い。」

「流石は博士の作品。それも最後の一つというだけあって、一番美しく感情も豊かだ。機械とは思えん。」

男が周囲の部下に視線で合図を送ると、一斉に銃が構えられた。

「弾丸で挑むか?愚かだな。」

「それでも、多少は効果もありましょう。」

引き金に指がかかる。それと同時に、風が吹き荒れた。一蹴りで手から武器が蹴り飛ばされ、床に落ちる。呻く彼らを殴り飛ばし、それから司令官らしい男に駆け寄った。
男は小さく笑い、胸元から拳銃を出す。

「止まりなさい。あの扉の向こうにいる民間人を犠牲にしたくないのであればね。」

ぴたりと動きが止まる。ラインハルトは忌々しそうに眉間にしわを寄せ、男を睨んだ。

「貴様、っ!」

「飛んで火にいる夏の虫、とはこのことですな。我々にとっては、よい味方となってくれた。そのことに感謝しましょう。さて、では御一緒に来ていただきましょうか?」

勝ち誇った声に、怒りが沸き上がる。しかし手持ちらしい武器も無い。
どうしたものかと辺りを見渡し、見つけたものを手にとった。男とラインハルトが出てくる際に、それを男の頭に振り下ろす。ごん、と鈍い音がして男は倒れた。
燭台を手放して、唖然とした様子のラインハルトの手を掴んで走り出す。

一台だけ、不用心にも鍵がかかっていなかったので拝借し、アクセルを一気に踏んだ。

「・・・・・・大馬鹿者め。」

「すみません、でも貴方を放っておけなかったんです。あの日記を見たら。」

幸せになって欲しい、と我が子を思う親そのものの心境で書かれてあった。たとえ彼に暖かな血が通っていなくても。
それに、先程激昂した姿は、データをインプットされた機械には思えなかった。

ラインハルトは助手席で黙っていたが、銃声が聞こえてきたので表情を引き締める。それからサイドミラーで追跡してくる車を確認し、積んであった武器のひとつを掴んで窓から身を乗り出した。危ないというよりも早く、腕が振られている。

後ろの車のフロントに、恐らくはドアとかを蹴破るために積んであるであろうトマホークが突き刺さり、爆発、炎上する。続く車もそれに巻き込まれた。

映画か何かのような光景に、冷や汗が流れる。

「幸せ、か。考えてみたこともない。戦うために作られた以上、それ以外に生き方を知らない。」

だが、と付け足す。

「お前が教えてくれるのだろう、ミュラー?」

「はい。」

ところで、と彼の項に手を触れた。接続部は、綺麗に閉じられて皮膚の境目も見当たらない。長い髪で隠れてしまえば、彼が人間ではないと気付く人もいないだろう。

「燃料とか、そういうのは大丈夫なんですか?」

「ああ、あれか。つけていればほぼ永久的に稼働できるが、なくても数十年は動けるぞ。それに、お前の後で新しく主を貰う気もないからな。」

「そうですか。」

思い返せば、それはラインハルトなりの告白だったのかもしれない。が、この時は気付かず、ただ一緒にいられるのが嬉しかった。
数日後、言われた言葉を振り返り、これは一生かけて幸せについて努力せねばなるまいと決意した朝に彼が――――生まれて初めてだったそうだが――――料理に手をだして、コンロを爆発させるのは、また後日の話。


Ende.

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