Chasing! ブック
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今日は土曜日。休みだからとゆっくり眠っていた私を起こそうとする機械音に眉を顰めた。
誰だ、と携帯を手に取れば荒北靖友とディスプレイに表示されている。と同時に時間を見ればまだ八時前。
なんだかデジャヴを感じつつも通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てた。
「もしもし…」
「はよ――空ちゃん。やっぱ寝てたァ?」
「寝てるに決まってんじゃん、土曜日なんだから」
未だ眠気が取れない為、ベッドの中に入ったまま寝起きの掠れ声で答える。
「アレ?今日部活来ねーのォ?」
「今日は…昼からバイトだから」
今の時期はまだ部活も活発化していない為、休日はバイトに行っているのだ。これがインターハイ前になってくると部とバイト先の往復で忙しくなるのだが。
「終わんの何時ィ?」
「四時だけど…、」
「じゃあその後空けといてネ」
「え、あ…うん」
「んじゃ部活行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
プツリと切れた電話をボーッと見つめながら、ふと思ったのは待ち合わせや何の用事かくらい聞けば良かったな、という事。
ただ掛け直すのも面倒だし時間的にもう部活が始まる時間の為、また連絡を寄越して来る迄待とうと決めた。
その時予め設定していた携帯のアラームが鳴りそれを素早く止める。…ある意味靖友の電話で目が覚めたと自身に思い込ませながらベッドを出てバイトの準備を開始した。
店は休日という事もありお客さんは途絶える事なく、結局終わったのは四時を三十分も超えてしまった後だった。
慌てて携帯を見れば四時になる十分前に靖友から店の前で待ってるとメールが入っていた。既に四十分も待たせてしまってるので、即座に帰り支度をしてスタッフルームを出た。
「お疲れ様でした!」
「悪いな、過ぎちまって」
「いえ、大丈夫です!また明日来ますね〜!」
カウンターにいる店長に走りながら挨拶して店を出れば、
「遅ェ」
「ごめん!長引いたッ!」
ロードに跨る靖友がやっぱり不機嫌な顔で待っていた。
慌てて顔の前に手を合わせて謝れば、「忙しかったんだから仕方ねーヨ」とそっぽ向きながら言う靖友に、靖友用に買っていたベプシをお詫びの印と言って渡せばあっさり許してくれた。
「ほんと簡単だね、靖友は」
「るっせ、って冷えてんなコレ」
「ああ、バイト入る前に買って店の冷蔵庫に入れてたから」
部活お疲れ様の意を込めて渡そうと思っていたのに、まさか待たせてごめんになるとは…。
「あんがとネ」
目を細めて笑った靖友は蓋を開けてぐいっと喉に流し込む。
「プハー、うめェ」
「それなら良かった。午後は自主練だったの?」
「そォ。んでちょっと走んの付き合ってくんなァい?」
お誘いの内容は自主練だったらしい。それならばと私もロードに乗って二人でいつものコースへと向かった。
上り坂になった頃、追走しながら靖友の背中を見つめてみた。
一年の時に比べれば、だいぶ大きくなった靖友は、クライムも呼吸を大きく乱す事なく登っている。
初めて自転車部に来た時は福富から言い渡された練習メニューをこなした後、よく気絶してぶっ倒れてたのになぁと一人思い出して笑った。
そんな靖友に着いて自主連に付き合ってた私もかなり走りは洗練されたと思う。いつか男女混合のレースに出れたらいいな、なんて靖友と話した事もあった。
高校の間はインハイに向けての練習だからと結局その夢は叶ってはいないが、いつか……、
「昨日東堂と仲良さそうにしてたよなァ」
「うぇ!?」
ふと、振り返った靖友に言われた言葉に虚を突かれ奇声を発してしまった。
「ぼーっとしてっと危ないぞォ」
「ああ、ごめん。で、何だっけ?」
スピードを落として私に合わせて並走する靖友に聞けば盛大に溜息を吐かれた。「いや、考え事してる時にいきなり話しかけるから」と言えば、一瞬間を空けて、
「昨日東堂と何話してたの」
そっぽ向いて言った靖友に、昨日東堂と話していた内容を思い出す。と言ってもそれを靖友に言える訳がない。お前の話だよ、なんて口が裂けても言いたくない。
「ちょっと今まで東堂の事ちょっと勘違いしててさ。いい奴だよね、アイツ」
そう本音を誤魔化して言えば何故かムッとした顔が返ってきた。
「靖友、どーした?」
「…ちょっと休憩」
道路沿いの拓けた場所を見つけ、二人で脇に反れた。ロードから降りて体に支えながら箱根を一望できるそこは汗ばんだ体に気持ちの良い風がそよいでいた。
ボトルを取りスポドリを飲めば、登りの疲れが吹き飛ぶようだ。隣の靖友も同じようにしていたと思えば、名前を呼ばれて見上げれば、少し苦しそうな表情をする靖友とかち合った。
「なァ、空ちゃん。もしかしてさ、断わる理由とか考えてたりする?」
「………ん?」
「だから、ん?じゃねーヨ!二度目だぞこの会話!ッオレより……チッ、」
そこまで言って頭を掻き毟る靖友に一つの案が浮かんだ。
「…さっきの答えだけど、東堂が破壊的なレベルの空気読めない人間だと思ってたけど案外そうじゃなかったんだなって考え直しただけだよ」
「ハイ?え、何話してそーなったの?」
「うーん、色々相談してたら、かな?」
「んだヨそれ…、焦ったオレがすっげーバカみてェじゃんか…」
尻すぼみになる声を誤魔化すように掌を口に当てて顔を背ける靖友。
焦ったって、やきもちって事だよね?顔背けてるけど赤いの見えてるし…。
鞄の中に入れていた補給ゼリーを差し出せば、無言でひったくり開ける靖友に自ずと笑顔が漏れるのはなんでだろう。
心なしか胸も高鳴ってる気もする。
背中に続き、横顔の靖友をマジマジと見つめてみた。気怠そうな切れ長の目には長い下睫毛。通った鼻筋に綺麗な顎のライン。
腕も私よりも筋肉質でやっぱり靖友は男の子なんだよなと痛感する。
この前はあんな状況だったとはいえ、胸に支えられた事もあった。それに、
「…空ちゃ――ん、何オレの事見つめてんのォ?」
「な、なんでもない!」
「ほんとかよォ」
いつの間に回復したのか笑顔でけらけら笑う靖友に目を見開く。
―――――この笑顔だ。口を横に引き伸ばし、目を細めるこのくしゃっとした笑顔に、私は今堪らなくドキドキしてる。
ああ、もうヤバそうだ。
私の目には靖友を格好良く見えるような何かが貼られてるらしい。
※一週間宣言四日目。荒北靖友が新井空に無自覚で決定打を放つ。さらに新井空に美化フィルターを自覚させ、荒北靖友が優位に。