astragalus2
□ほっと一息
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「また遅くなるんですか?」
「はい。なので先に寝ててください」
夜の十一時。残業を終え鬼灯さんを残して先にあがらせてもらった私が就寝の準備中に掛かってきた彼からの電話は遅くなるとの事だった。
「手伝いに…」
「来たら明日強制的に休みにします」
「はは…、ですよねぇ」
手伝いに行こうと言おうとしたが、自身が昨日徹夜だった為に今日ばかりはそんな事をしたら即追い返されてしまうのは明白だった。
「明日は蓮華さん、朝からですよね」
「そうですけど、」
「じゃあすぐ寝てください。共倒れは良くないですからね」
では、と言って切られた電話。有無を言わせないその行動に思わず溜息が溢れる。
だが曲がりなりにも嫁。主人の心配をするのは当たり前だ。何かできないかと考えながら早々に切られた電話を見つめる。
「…どうしようかなぁ……。あ、そうだ」
鬼灯さんに怒られず、尚且つ喜んでもらえる案が浮かびすぐに支度する事に。
重たい扉を開き鬼灯さんの居る部屋まで行けば暗がりの中、机のスタンドだけを付けて仕事に耽る彼の姿を見つけた。
私が見つけたという事は鬼灯さんも気付いていて、物凄い形相でこちらを睨んでいる。
「……手伝いに来たら明日休みにすると言ったでしょう」
「手伝いには来てませんよ?これ持ってきただけです」
講義の視線を無視し、そう言って近寄り手に持つお盆を鬼灯さんのデスクに置いた。
「これは…」
「夜食ですよ。頭使ってばかりじゃお腹も減るかなと思って。といってもそんな大層な物じゃないですけどね」
私の言うようにお盆に乗せられているのは数個のおにぎりと味噌汁と漬物くらいだ。
「作ってくれたんですか?」
「当たり前じゃないですか。食堂閉まってますし」
「いや、そういう意味じゃなくて。疲れてたでしょう?貴女も」
「鬼灯さんの仕事に比べたらこれくらいなんともないですよ。ほら、冷めない内に食べちゃってください」
私がおしぼりを渡せばペンを置いてから受け取り手を拭いておにぎりに手を伸ばす鬼灯さん。そして「いただきます」とちゃんと言ってから食べだした。
「…今日は何時くらいまでかかりそうですか?」
「そうですね…、最悪四時くらいですかね」
「うわ、そんなにですか」
「本当は九時頃に帰ろうとしたんですけど、帰ろうと思った瞬間に要らぬ仕事がどっと舞い込んで来まして」
「…お疲れ様です」
他愛もない話をしながらも食べる手を止めない所を見ると、お腹が空いてたようだ。持ってきて良かった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お粗末さまです。足りました?」
見た目に反して大きい彼の胃袋に合わせて作って来たものの、あっという間に無くなったので心配になったがそれは杞憂だったようで、
「これからまだ仕事しないといけないので丁度良い感じに収まりました。さすがです」とお褒めの言葉が返ってきた。
「良かった。じゃあ邪魔しちゃ悪いんで帰ります。仕事あまり無理しないで下さいよ?…おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。―――あ、蓮華さん」
お盆を持ち部屋に帰ろうと立ち上がり背を向けた瞬間、名前を呼ばれて振り返れば小さなリップノイズ。
「………ありがとうございました。頑張れそうです」
いつの間に立ち上がっていたのか、近距離にいる鬼灯さんは離れ様、ペロリと自身の唇を舐めた。そんな本人無自覚の扇情的な表情に否応無しに顔に熱が集中する。
「………いいえ、これでも鬼灯さんの嫁ですから」
顔は赤いままだがなんとか笑顔で答える事ができた。どうやら鬼灯さんは相当喜んでくれたらしい。
そして再度彼に別れを告げ、部屋を後にした私は扉に背を預けていたりする。もちろん先程の不意打ちの余韻にやられてしまっているから。
「……ああ、ほんと私って鬼灯さんの事好きだな…」
廊下に誰も居ない事をいい事に零した声は思いの外反響し、恥ずかしくなった私はいそいそと部屋へと戻った。
戻った私は食器を洗い、鬼灯さんの言いつけ通りすぐ寝床に就いた。やはり徹夜明けに仕事をして疲れていたのかすぐに眠る事になった。
――――重い…、今何時?
何かしらの圧迫感に目を開く。カーテン越しの窓を見ても薄暗く、まだ朝を迎えていない事がわかった。
ふと胸に当たる何かに気付き視線を落とすと、
「ほーずきさん…」
腰に抱き着き私の胸に顔を埋める鬼灯さんの姿があった。寝ていた為に暗闇に慣れた目に映る彼の表情は幸せそうな顔で寝ぼけていた頭が少しだけ覚めた。
寝顔は幼い鬼灯さんだけど今はいつも以上に安心しきってる気がする。その理由が私だったら嬉しいな、なんて思いながら私よりも艶のあるさらさらの黒髪を指で梳く。
するとモゾモゾと動く鬼灯さんに起こさないように手を止め息を潜めるが、そんな行動も虚しく半開きの瞼から覗く瞳は確かに私を捉えていた。
「…ん、今何時ですか…」
彼の言葉に時計を見れば五時半過ぎを指していた。
「まだ朝の五時半ですよ」
「まだそんな時間ですか…」
気怠げな鬼灯さんは私の胸に顔を埋め直す。それがくすぐったいのもあるが子供のような素振りに怒られるのを承知で笑って頭を撫でた。
「起きたって事はまだ寝てから時間経ってないんですか?」
「…帰ってきたのは四時でした」
「やっぱり」
爆睡型の彼の事。深く眠りに就いていれば起きる筈もないのだ。
「ほら鬼灯さんだって明日は早いんでしょう?もう一度寝ちゃってください」
「…そ、します。蓮華さ、ん」
「なんですか?」
「それ……落ち着きます、」
「ふはっ、それは良かったです」
目を閉じた彼の頭を撫で続ければ、数分で聞こえてきた寝息にほっと一息ついた。
「鬼灯さん、頭撫でられるの好きなんだね。覚えとかないと」
鋭い吊り眉もどこへやら。少し和らいだ眉の形でさえ愛しく感じる。
明日は寝不足でもいいや。そう思いこの日は眠りに就いた鬼灯さんの頭を満足するまで撫で続けた。
―――――翌日。
「蓮華さん、うっすら目赤いですよ?眠れてないんですか?」
「昨日はちょっとやらなきゃいけない事があってね」
「でも蓮華さん、なんか嬉しそうだね」
「ははっ、そんな事ないよ?」
唐瓜君、茄子君に指摘された赤い目。あれから目が冴え気付けば起床時間まで飽きもせず鬼灯さんの頭を撫で続けた私は勿論寝不足なんだけど、
鬼神の可愛い一面を見れた事で寝不足もどこかへ飛んでいってしまった。
その日一日、夜中の事を覚えていたのか鬼灯さんからは珍しくチョップは飛んで来なかった。