astragalus2
□気が付けば布団
1ページ/1ページ
「今日熱いですよね」
朝、珍しくのろのろと仕度をする私に鬼灯さんは「ちょっとこっち来なさい」とお母さんのような言葉を吐きながら手招きをした。
歯を磨きを終えて近寄れば、鬼灯さんはその大きな手で私の前髪を掻き分け額を包むと、途端に難しい顔をした鬼灯さんは私から離れ棚を漁りだす。
出てきたのは体温計で、それを強引に手渡されたので、黙って受け取り脇に差し入れればしばらくしてピピッと電子音が。
取り出せば私が見る前に体温計を掻っ攫い、小さなディスプレイと睨めっこし出した鬼灯さんに嫌な予感がした。
「鬼灯さん、顔が怖いです」
「それはそうでしょう」
ほら、と私に見えるように突き出された体温計を覗けば三十八度。
「なんだ、これくらいなら大丈夫ですよ?」
「貴女馬鹿ですか?普通これだけ上がってれば休むでしょう?」
呆れて物も言えない、と両手を天に向けた鬼灯さんに、なら鬼灯さんはこの熱で休むんですか?と聞けば沈黙で返された。
「休まないでしょ?」
「…私は体が丈夫ですから」
「奇遇ですね、私もです。それに今日は昨日迄みたいに忙しくないから大丈夫ですよ〜。さ、早くしないと遅れますよ?」
頑なに休まない理由はまあ単純だ。
ここ数百年熱が出てもその日の昼過ぎには良くなるという経験があったから。今回もその類だろうと断定し、未だ渋る鬼灯さんの背を押して支度を進めた。
出勤してからはずっと座り続けていたのもあり、寒気は増しているものの普段通り仕事ができている自分に、やっぱりいつものだと納得。
途中途中に鬼灯さんから大丈夫ですか。とかいい加減今日は休みなさいとか言われたけど。
まあ頭痛も吐き気もない為、昨日迄の怒涛の忙しさで疲れが溜まっただけだろうと安堵していた私に、鬼灯さんがお昼にしましょうかと肩に手を置いた。
正直食欲はないんだけどなぁ…。
けれど食べなきゃ精が出ないしと意気込んで立ち上がった瞬間、ぐにゃりと視界が揺れた。
あ、倒れる。
朦朧とする意識の中、固い床に向かう自分の体。
「ッ!?蓮華さんっ!」
声を荒げて私を呼ぶ鬼灯さんに床に転がる直前で抱きとめられるも意識が混濁していく。
「蓮華さんっ!……蓮華さんしっかりして下さい!」
顔を歪ませ必死に私の名を叫ぶ鬼灯さんとその後ろにいる泣きそうな顔の閻魔大王様に、ごめんなさいと口にしたが声が擦れて言葉にならない。
心の中で謝罪を呟き続けながら私の意識はそこでプツリと途切れてしまった。
「あ、気が付いた?気分はどう?」
目を開けると目の前に笑顔の白澤さん。視線を彷徨わせるとどうやら救護室のようだ。
「覚えてる?蓮華ちゃん倒れたんだよ?」
「…覚えてます…、うわーやっちゃったなぁ」
額に手を当て落ち込む私を慰めるように優しい笑顔を向けた後、サイドテーブルに置いていた水差しでコップに水を注いで私に差し出した。
ゆっくりと起き上がりそれを受け取り口に含めば、乾いた喉に気持ち良く通って行った。
「まあ高熱出たまま仕事してたらそりゃあ倒れるよ。最近特に忙しかったんだって?」
「え、高熱?」
「気づいてなかったの?君、三十九度越えの熱あったんだよ」
そういえば段々寒気が増していると感じていた事を思い出し、あぁ〜と声を漏らした。今思い出したと嘆く私を見て笑う白澤さんは私の額を手で覆いうーんと、唸る。
「熱はだいぶ下がったみたいだね。でも解熱剤投与して下がっただけだから動いちゃダメ。明日の朝までにまた上がったら出勤前に下がってても仕事は休みなよ?」
「でもそれじゃ、……はい…、わかりました」
反抗しようとした私の言葉に素早く拗ねた顔を見せる彼が、曲がりなりにも薬学の権威だという事を思い出し素直に聞き入れる。
そんな私に満足したのか笑顔に戻った白澤さんは私の頭をよしよしと撫でた後、ベッドへと寝るように促す。
なんだか子供扱いされてるようなその行為も何故か嫌味が感じられない。たぶん彼が私の何倍も生きてるからかもしれないが、ほんと不思議な人だ。
「あと熱が下がっても別の症状が出るかもしれないから少しでも出たと思ったらいつでも連絡してね。今は解熱剤だけにしてるから。喉とか鼻とか違和感はまだないんでしょ?」
何もかもお見通しな白澤さんに少し驚いた。何でわかるんですか?と素直に聞けば、蓮華ちゃんの事だからね。なんて口説き文句が返って来た。
「ははっ、真相は教えてもらえなさそうですね」
「え〜?本当の事なのになぁ!」
えへへ、と無邪気に笑う彼につられて笑った。
「あとこれ、お粥。作っといたから後で食べてね」
「…何から何まですみません…」
「いーよ、蓮華ちゃんの為だからね。僕は君に呼ばれたらいつでもどこへでも駆けつけてあげるぶふぁッ!!」
タイミング良く、いや、白澤さんにはタイミング悪くやって来た鬼灯さんは、まだ居たんですか。貴方の仕事はとうに終わったでしょう。早く帰れこの白豚。と罵るも、私が窘めれば一瞬口を閉じた鬼灯さん。
だが白澤さんがまたいらない事を言って結局言い合いが再開してしまった。
「私一応病人なんだけどなぁ」
なんて呟いてみたがフルスロットルで下卑た言葉の応酬をする二人には全く届かず、一人盛大に溜息を吐いた後、手をパンパンと二回叩けば漸く静かになった。
「はいはい、お二人が仲が良よろしいのはわかりました」
誰が!!と怒気を孕んだ声もユニゾンしてるので恐くもなんともない。
「とりあえずお二人は私が病人だと言う事を思い出して欲しいのと、鬼灯さんは白澤さんを罵倒する前に御礼してください。
何故ですかというのは聞きませんよ?嫁の看病してくれた方に夫からも伝えるのは礼儀ですもんね」
途中途中で鬼灯さんが何か言いかけたが全て息継ぎ無しで言い切り跳ね除けた。そしてしばしの沈黙が訪れた後、もちろん物凄い形相ではあるが、それに関しては感謝してます。とちゃんと御礼を言ってくれた鬼灯さん。
「白澤さんも素直な鬼灯さんを罵るのは止めて下さいね?そしたら次は私から罵倒される事になりますがいいんですか?女のは怖いですよ?」
「いや、え、遠慮しとくよ」
苦笑いする白澤さんに改めて御礼すると、僕はそろそろ帰るよと白澤さんは扉に向かって歩き出し、後ろ手にヒラヒラと手を振った。
「今回の貸りは必ず返します」
扉を開けた白澤さんに振り返らず告げた鬼灯さん。思わぬ言葉に鬼灯さんを凝視していた私だったが、彼越しに呆然と突っ立っている白澤さんと目が合った。
すると小さく笑んだ白澤さんは、期待せずに待ってるよと呟いて私に手を振り部屋を出た。
――――二人きりになった部屋。鬼灯さんは黙ったまま組んだ手を見つめている。そんな彼に仕事、休んじゃってすみません。と謝罪すると謝るのは私の方です。と何故か鬼灯さん謝られてしまった。
「どうして鬼灯さんが謝るんですか?」
「…貴女が倒れる迄気が付かなかったのは私の配慮が足らなかった」
「それは違いますよ?私が体調管理を怠ったからです。それに押し切ったのは私じゃないですか」
「だからといって、仮にも共に暮らしているのですから小さな変化も気付くべき……、何するんですか」
鬼灯さんの薄い頬を摘むと無表情でツッコミ返してくる彼に、
「………だって鬼灯さん、すごく珍しい顔してるんですもん」
苦笑いで告げれば目をパチクリする鬼灯さん。日がな真顔か怒り顔か蔑んだ顔しか見せない彼は先程まで苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
だから少しでも早く元に戻って欲しくて、自分でもびっくりだが考えなしに手が出てしまっていた。
そっと頬から手を離すと摘ままれた頬に手を当て摩る彼からコツンと額に拳が降りてくる。風邪を引いた私を気遣ってか全然痛くないけど、どうやらお咎めはないようだ。
「鬼灯さんてばらしくないですよ。普段なら体調管理も碌にできないんですか、基本がなってませんねとか言いそうなのに」
「…私もそこまで鬼ではありません」
「そうかもしれませんけど罵詈雑言を吐かない鬼灯なんて鬼灯さんじゃないですよ」
したり顔で言えば目をかっ開いた鬼灯さんにドキリとするも次には溜息を吐いてそうですね。と呟いた。
一瞬怒ったかな?と思ったが取り越し苦労だったようで、今は優しく頭を撫でてくれている。
――――鬼灯さんは私を罵るくらい元気な方がいいです。だから気にしないで?
なんて嫌味の裏のそんな気持ちを込めた言葉はちゃんと伝わっているみたいだ。
「そういえば白澤さんがお粥作ってくれたって…」
「ああ、それなら此処に。食べられますか?」
「はい…。鬼灯さんの顔見たらなんだか楽になりました」
「……またそんな事を言う」
「すみません、確信犯です」
「…でしょうね。ではこれも確信犯ですので素直に従って下さい」
れんげを突き出す鬼灯さんの行動に可笑しくて笑いながらも素直に口を開く。咀嚼すると薬膳の苦味の中に仄かに感じる甘みがホッとする。幾らかお腹に入れた所でふと疑問に思っていたのは今朝の事。
「そういえば今朝どうして熱があるとわかったんですか?」
思い返せば、前触れもなく額を包み確信めいた言葉を向けられたような気がする。別に私が事前に体調不良を訴えた訳でもないのに。
「ま、夫の特権ですかね」
「特権、ですか?」
「夜中に暑くて目が覚めたんですが、その熱の正体が蓮華さんだったという事です」
「ああ……、成る程」
それでわかったんだ。…夫の特権、といえばそうなのかもしれない。
「ははっ、私鬼灯さんが夫で良かったです。色々気遣ってもらってありがとうございました」
「今更ですよ。ほら、早く食べてしまいなさい」
言われるがままされるがままにまた食べさせてもらう私。ああ、また鬼灯さんに頭が上がらなくなるなぁ。
「明日は熱下がってるといいですね」
「大丈夫ですよ。鬼灯さんに看病してもらったんですから」
「………最近あざとくなりましたね」
「ん?嫌いですか?こういう私」
「いえ、素直でいいです」
額に降りてくる唇は体温の差なのかひんやりとして気持ちの良かった。
この柔らかな対応の鬼灯さんには当分お目見えしないのか、と思えば少し残念ではある。だったら今日は体調不良に託けて甘え倒そう。
「今日私が寝るまで手、繋いでいてくれますか?」
「…………仕方ない奥さんですね」
それからすぐに鬼灯さんと手を繋いで眠りに就いた。
――――翌朝、鬼灯さんより先に目覚めた私は変わらず繋がれた手に気付いた。
ずっと握ってくれていたんだ…。
心がぽわんと温かくなって眠るあどけない表情の彼の額にキスをしたのは…、内緒だ。
「さあ、今日も仕事頑張りますか」