astragalus2
□日本地獄生活スタート
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「本日より閻魔庁で私の補佐をして頂きます蓮華さんです」
「蓮華です。若輩者ではございますが何卒宜しくお願い致します」
獄卒の方々にご挨拶して一礼。
役職が役職なだけに着任式と称した簡単な自己紹介の場を設けてくれた鬼灯さん。無難な言葉ではあるが次々と挨拶を返してくれた事に一安心したのも束の間、
「それにしてもEUからなんて珍しいですね」
一人の獄卒の方が言った一言に他の方々も口々に話し始めた。結局この配属はある意味鬼灯さんと私の我が儘で、私の能力で決まった訳ではない。
チラリと隣に居る鬼灯さんを見上げると彼も私を見下ろし、そして頷いた。
…大丈夫という事なのだろうその合図の後、パンパンと手を二回叩けば騒がしかった獄卒の方々は口を閉じた。
「蓮華さんは西洋地獄のベルゼブブさんの下で長い間働いていましたので私がスカウトしてきました。実績も能力も申し分ありません」
鬼灯さんの言葉に感嘆の声が上がり、再度私に全獄卒の視線が集中した。ここで何か少しでも納得してもらえるような言葉をと思い、口を開こうとしたのだが、
「あと一部の方には報告済みですが、彼女は私の妻でもあります」
刹那、閻魔庁に大音量の雄叫びが響いた。
「えええっ!鬼灯様ご結婚されたんですか!?」
「それ只の贔屓じゃないですか!」
「いいのソレ!?」
口をついて出る言葉の雨に圧倒され、一歩後ろへと下がる私。けれどそれを止めたのは鬼灯さんの手で、背中に添えられた温かみに反射的に見上げれば、
「私に任せなさい」
落ち着いた声色で言い聞かせるように背中をトントンと軽く叩かれると、先程までの不安がどこかに飛んで行ってしまうんだから私も彼を信頼しきっているのだろう。
一歩前に出た鬼灯さんは手にしていた金棒を垂直に床に叩きつけ、
「彼女は私の妻ですが、先程申し上げた通り実績も能力もあります!」
カッと目を見開き大声で叫ぶ鬼灯さんに一瞬にして静まり返った閻魔庁。聞く姿勢に戻ったのを確かめるように鬼灯さんは一度彼等を見渡した後、私の背中を押して自分の横に再度並ばせた。
「今の現状はご存知だと思いますが、現世の人口が未だ増え続けているのに比例して亡者の数も増えています。
正直即戦力のある方を探していた中で、『私が』『選んで』決めたんです。
贔屓目?それは今後の彼女の頑張り次第で証明されますが、私は貴方がただろうが最愛の妻だろうが容赦はしません。
それでも私の選んだ人材を否定する、というのであれば……」
そこで顔を俯かせる鬼灯さんに一人の獄卒の方が「…というのであれば…?」と先を促せば、
「全力で潰します」
地獄の誰もが恐れおののくような表情で言った一言に、この場の全員の背筋が凍った。もちろん私もその中に含まれている。
「という訳で本日からここ閻魔庁で勤務する蓮華さんです。私の手が離せない時等は彼女に聞いて下さい」
今の空気を諸共せず話を締める夫兼上司に一抹の不安が浮上したのは、この先本人に言う事は訪れないだろう。
――――――……
蓮華さんの着任式から早一週間。
私の机の前に彼女のデスクを設けてからというものの今まで直で私に来ていた問題事も蓮華さんという補佐のおかげでワンクッションができ、自分の仕事に集中できるようになった。
だが今、目の前で繰り広げられている事に筆を止めた。
「蓮華さん!衆合地獄で獄卒同士のいざこざがありまして!」
「蓮華さ――ん!黒縄地獄の財政についてなんですが…」
「蓮華さんっ!ちょっと手を貸して頂きたい事が!」
何故か今日は問題が多いらしく彼女の机の前に各所の獄卒達が集まっていた。
「なんとなく言いたい事はわかりますが一辺に話すのはヤメてくださいっ!ほら深呼吸して…」
すーはーと蓮華さんが体を使って深呼吸して見せると目の前で騒いでいた三人の獄卒も真似して深呼吸する光景に少し感心した。
まさか一週間でここまで操れるようになるとは微塵も思っていなかったが、彼女の人柄なのかそれとも実力なのか上手く立ち回る彼女には舌を巻く。
「とりあえず優先事項を決めますので…」
そう言って一人一人の話を聞き、その節々で指示をする彼女の話を背後で聞く私はもちろん間違った指示を出した場合やそれ以上の最善策があった場合に声を掛けるつもりでいたのだが、
「という事で対処してください。あとくれぐれも完了報告は忘れないでくださいね?」
にっこり笑っているであろう声色で言う彼女に「わかりました!」と納得した彼等は一目散に散って行った。
「いやあ、見事でしたね」
そう蓮華さんの背中に向けて声を掛けると、振り返った彼女は恨めしそうな顔をしていた。
「……聞いていたなら少し助けてくれてもいいじゃないですか」
「そうしたら貴女の能力の証明ができないじゃないですか」
「まあそうなんですけど…」
「閻魔大王もこれくらい迅速な対応をして頂けると有難い物です」
「鬼灯君、それワシがいない時に言ってくんない?」
閻魔大王は無視して胸元から時計を取り出し時間を確認すればそろそろお昼時。立ち上がり蓮華さんの肩に手を置いて、
「そろそろ休憩に行きましょうか」
そう促せばチラリと振り返る蓮華さんの視線は、未だ喚く閻魔大王を捉えいていた。
―――この人は本当に上司に対して甘い。
それはベルゼブブさん然りサタン様然り……、聞けば唐突な仕事の対処やクレームの処理等の問題事に率先して動いていたらしく、それは部下の鏡とも言うべきなのだが、
「閻魔大王」
「何、鬼灯君」
今まで無視していた事を根に持っているのだろうムスっとした顔でこちらを見る閻魔大王に、
「何やってるんですか。早く昼餉に行きますよ」
一緒に行く旨を伝えれば一瞬にして笑顔になる地獄の権力者。それに対して呆れ溜息を吐いた瞬間、くいっと袖を引っ張られた。
その行動をしたのは未だ座ったままの蓮華さんで見下ろせば何故か笑顔の彼女とかち合った。
「何笑ってるんですか」
「ん?だって…」
そこまで言って押し黙る蓮華さんに首を傾げると、「怒らないでくださいよ?」とモジモジと手を遊ばせる彼女の頭を掴んで早く言えという思いを込めて睨んだ。
…最近こういう感情に関しては読む事ができるようになった蓮華さんは目を泳がせた後、
「な、なんだかんだ言って…鬼灯さんも優しいなあ…、なんて」
眉をハの字にして笑う彼女は私にかなりのダメージを与えた。
…本当にわかっているのだろうか…、いや無自覚なのは理解しているのだが表情一つに作用されている自分が酷く滑稽に思える。
このまま指に力を入れて頭を締め付けてやるのもまた手だがそれでは普段通り。ならばとその手を緩めホッとした彼女の頬を上から下に指の背で撫ぞらえた。
全く予想していなかっただろう優しい手付きに途端真っ赤になる彼女に心の奥底にふわりと暖かい物が芽生えた。そのまま首筋に指を這わせるとようやく我に返った彼女は勢いよく立ち上がった。
「いい、行きましょう!もうすぐ!今すぐにっ」
ぎこちなく歩き出す彼女は自分の記憶している所、初々しいという言葉とは不釣り合いな年齢をしている筈。
あまりお互いの昔話をしない性分だからか、過去にどういう付き合いがあったのかわからないがあの見た目にあの性格の彼女の事。引く手あまただったろうに未だに見せる初な反応。
――――…もしや然程経験がないのだろうか。
実際彼女の反応は夫婦という枠に嵌っても尚、あのような素直な反応を見せる事が多い。
大胆かと思えば甘え下手。それは私限定の事なのだが、人付き合いが苦手と言う割に彼女に惹かれ集う者は多くそれがたまに億劫に思う自分もいる。
「ほんと、厄介な…」
改めて自分が彼女に惹かれ、そして焦がれている事を自覚すれば出てくるのは溜息。それは彼女がこの気持ちを絶対に理解していないだろうという確たる自信から来る物で…。
ただそれが煩わしいと思わない自分もまた厄介な事にそれだけ彼女を思っているという事に繋がるのだった。