astragalus ブック

□加々知さん考える
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今日も疲れた、そう思いながらも玄関から廊下を通りリビングに入る。


閻魔庁にある自分の部屋に比べると物がないに等しいこの部屋。

もちろん今ではポピュラーとなった家具付きの部屋なのだが、とりあえず着替えるのも億劫でそのままダイニングテーブルに座り、書簡を出して今日の報告書を書いていく。


現世調査は順調で、部下の育成法や会社経営の在り方等、軽んじる事なく組み立てているこの会社は地獄で役立つ内容が満載だった。


戻ったら十王が集まる定例会議で閻魔大王に草案を出してもらって、是が非でも承認してもらいたい内容もある程だ。


「これでよし…」


報告書が書き終わりふと壁に掛かった時計を見ると、八時を少し過ぎた所だった。

面倒ではあるが食事を取らないと。書簡を丸め、キッチンで簡単な物を作って今日は早めに就寝しようと席を立った瞬間、鞄に入れっぱなしの携帯が鳴り響いた。















「葉山さん?」

携帯を開くとディスプレイには彼女の名前。

何事だろうと通話ボタンを押し「もしもし」と言えば、いつも通り少し遠慮がちに『すみません、葉山です』と電話越しに聞こえてくる声に、

いつも通りでいいと言ったのにも関わらず、毎度毎度この人はいつも最初は丁寧に入ってくるその対応にフッと笑顔が溢れた。


「いえ、それよりどうかしましたか?」

『あの…今日は有難うございました』

「……そんな事でわざわざ」

『それだけじゃなくて!』

口篭る彼女の真意が掴めず首を傾げていると、『先日のお礼をと思って…』と言った言葉にようやく合点がいった。

『今日お会いした時に伝えようと思ったんですけど、言いそびれちゃって』

「ああ、そうだったんですか。それはご丁寧に…。動物園はどうでしたか」

『も、もちろん楽しかったです!私動物園は初めてで、それに加々知さんと一緒に行けて本当に嬉しかったですッ』

本当に嬉しかったんだろう嬉々とした声と、相変わらず恥ずかしげもなく言い切る彼女の言葉に、また疲れが取れるような錯覚が自分に襲う。

この二週間、会っている回数はそんなに多い訳じゃないが何かと彼女に見つけられ歩み寄られる日々に、自分でも悪い気はしていないその感情が正直不思議なぐらいだ。


「それはそうと、今日忙しかったんですね」

自販機前での会話で彼女は食事を逃す程の忙しさだったと言っていた事を思い出し、無理矢理話を変えた。それに食いついた彼女は『月曜日はこれだから嫌になります』と愚痴を零しだした。

自身の部署も忙しかったのはあるが、彼女程ではなくやはり事務課という会社全体の処理作業が一点に集まる部署は、目まぐるしい忙しさのようだ。

己の勤める閻魔庁の記録課を思い出し、あんな感じで彼女も働いているのかと思うと少々同情する部分もある。

















『それで…ってすみません…。愚痴ばかり零してしまいました』

「構いませんよ。事務課も大変なのは重々承知してますからね」

『?そうなんですか?加々知さんって前職事務だったんですか?』

「そういう訳ではないのですが、文字の羅列が3D化したり精神崩壊で救急車で運ばる方を何人も見た事があったので」

『え゛ッ、それ大丈夫ですか!?今流行りのブラック企業じゃないですか!』

「……そう思われても仕方ないんですが、ブラックではありません」

自分も豪語している閻魔庁はブラック企業ではないというのも、他者から見たらそう見えなくもない現状。これもまた報告書に上げれるかもしれないと手元の紙にメモする。

「葉山さんは前職の上司等はどうでしたか?」

『そうですね〜、信頼における上司というか、それ以上に尊敬に値するとても素晴らしい方ですよ』

「ほぅ…、是非とも詳しく聞きたいですね」

『えっと…、プライドが高くて厳しい方ですけど、自分の上司の望みはなんとしても叶えようと必死になられていて、末端の私なんかにも的確な指示をして下さる真面目な方です。

……奥様にはとことん弱いんですけど、それがまたその上司の優しが見えると言いますか…、総合的に見ても良い方でした』


……EU地獄のベルゼブブさんタイプか。


自分も納得する程、妙に当て嵌る人物の登場にああいうのが彼女の理想の上司なのかと思ったが、如何せんレディ・リリスの事となると腑抜けになる彼を思い、次回の会合では優しくしてやろうと心に決めた。


「いい上司だったんですね」

『はい…、本当にいい方です』


会いたい、と彼女は思っているのだろうか…。



















上司を思う葉山さんの声色が、聞いたこともない優しさを含んでおり、それが今まで押さえ込んでいた私の黒い部分をこじ開ける鍵のよう――――。



『加々知さん?』

彼女の呼びかけに我に返り、「なんでもありません」と答えるしかできない私はどうかしてしまったのか…。


――――今自分が考えたドス黒い感情を、彼女に知られてはいけない。


そう結論づけて、その日は彼女との連絡を自分から終わりへと導いた。



電話を切った後、頭の中で考えるのは葉山さんの事ばかり。

ふと自分の手元にあるメモを見ると、何故か彼女の名前が記されていた。


蓮華さん


一度動物園で咄嗟に呼んでしまった彼女の名。

さして彼女も記憶にも留めていなくて良かったが、無意識に書いてしまった彼女の名前が書かれたメモをぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へと捨てた。


彼女の事は考えるな。現世には仕事で来ている。あの人はまだ生きている。


そんな言い訳にしか聞こえない自分の考えに苛立ちつつも、キッチンに向かう気も起きずコンビニ弁当でも買おうと財布を持って夜の街へと繰り出した。


コンビニに着き食事を買い、飲み物のコーナーへと行った自分がキャラメルラテを手に取ってしまったのは……何かの間違いだと思いたい。








第10話→加々知さんと屋上

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