その他

□声、聞きたいと思って
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受験勉強を適当なところで切り上げて、ゆっくりとお風呂に入る。

母方の祖母が送ってくれた、リラックス効果があるという入浴剤を堪能する。

濡れた髪の水気をタオルに吸わせながら、脱衣所を出る。

リビングでテレビを見ている母に「あがったよ」と告げる。

名前の、いつもの夜の過ごし方である。

三年生になって、やっていた部活も引退した。
今やるべきは大学へ行くための勉強。勉強。勉強。
その毎日は、簡単に覆ることはない。

だが、今日は違った。

母が

「ケータイ鳴ってたわよ」

と教えてくれたのだ。

こんな時間に誰だろう…とスマホの画面を見て、名前はドキリとした。

山崎宗介。

肩の故障を抱えたまま帰郷し、それでも鮫柄でまだ水泳をしている…名前の恋人だ。

ずっと遠距離だった二人だから、宗介は帰ってきてすぐに名前と会ってくれた。

場所は、中学時代の自分たちなら絶対入れなかった―今ではなんてことはない―喫茶店。

故障のことも、夢のことも、全部話してくれた。

しかし名前は

「わかんない」

と言って、彼の夢を責めた。

宗介が一番つらかったであろう時期に傍に居られなかった自分を責めた。
身体を大事にしてほしい、とか言って彼を責めたのは、結局その裏返しだった。

それから名前は、ボロボロと涙を流したまま喫茶店を飛び出した。

宗介が追ってくる前にバスに飛び乗って、電話もメールも無視した。

それっきりだった、恋人。

しばらく音沙汰もなかった彼からの電話。

――別れ話かもしれない。

名前は不安に駆られながら部屋に戻り、リダイアルボタンを押した。

無視はできない。
このままでいいはずがないし、何より、彼の声が聞きたい。

『もしもし、名前?』

「…宗介」

宗介は、3コール目で電話に出てくれた。
思っていたよりも穏やかだった。

「えっと、電話」

くれたよね?と言うと意地が悪いかと思って濁す名前に、
宗介は「あー」とか「うー」とか言っている。
久々にしては締まらない会話に、どちらかともなく吹き出した。

『名前の声が、聞きたいと思って』

少し照れ臭そうな声が電波越しに聞こえる。

「私も」

と答えると、また笑みがこぼれた。

『水泳…名前は反対かもしれないけど。
俺はやっぱり、諦めたくないから』

「うん」

『応援しなくてもいいから、傍にいてほしいんだ』

「勝手だね」

『勝手だ』

「でも、応援はするよ」

名前は言いたかったことがようやく言えて、少しスッキリした。

電話の向こうで、宗介が「そっか」と笑った。
ありがとう、じゃなくて、素っ気ない返事だったが名前は「好きだな」と実感する。
別れ話じゃなくて良かった。

それから二人は世間話をして、
おやすみを言い合って、電話を切った。

幸せが二乗、三乗になったのを噛みしめながら、名前は彼の言葉を反芻する。

――「声が、聞きたいと思って」
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