その他
□贅沢を編みあげる。
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「名前、何してるメェ?」
「んー、マフラーを編んでるの」
「…平門に渡すメェ?」
「え、なんでそうなるの」
名前は羊に話しかけても止めなかった手を、そのとき初めて止めた。
初めて自力で編み始めたマフラーは最初の目を作るときこそ手間取ったものの、かなり順調に進んでいる。
ふわふわの太めの毛糸で編まれていくそれは、首に巻いたら暖かいに違いない。
同期で恋人の平門に渡したい気持ちはある。
しかし彼に薄茶色のふわふわマフラーが似合うとも思えないし、そもそも彼にプレゼントしたくて編み始めたわけでもないのだ。
「これはツクモにあげようと思ってるの。
ほら。ツクモはいつも髪をくくっていて首が出ているでしょ?」
「なるほどメェ。きっと喜ぶメェ」
そうかな、と名前は苦笑する。
ツクモはたぶん、絶対に喜んでくれるだろう。
彼女は先輩である名前に敬意を払ってくれている。
それは驕りでもなく、事実だ。
そこまで考えたとき、
――もし私が平門にマフラーを編んだら、平門は喜んでくれるのかな…。
と、ふと思い至った。
「…羊、もし平門だったとしても喜んでくれるかな?」
「平門は人からもらったものを無碍にはしないメェ」
「そうじゃなくてっ。
そりゃあ、あの人はオトナだからニッコリ笑って『ありがとう』って言うよ。
でも、そういうのじゃなくてっ」
名前はマフラーを放り投げて、ぐいっと羊を抱き上げた。
「苦しいメェ」
「私だって」
「…メェ」
羊の困ったような鳴き声にも構わない。
苦しい。
彼がいつも向けてくれている笑顔が、苦しい。
しばらく羊をグリグリとしていたが、部屋の前に誰か来た気配に気づいて止める。
その直後に、遠慮がちにノックされた。
「入るぞ」
返事する前にドアを開けたのは、平門だった。
「…えっと、どうしたの、こんな遅くに。
もしかして報告書に不備とか?」
声がかすれてしまわないように注意しながら、名前が訊く。
放り投げたマフラーもさりげなく回収した。
しかし平門はクスリと笑って首を横に振る。
「山積みの事務処理に疲れたから、恋人に会って癒されようと思ったんだが…。
名前にとって俺はビジネスライクの相手だったか?」
「ち、ちがうけど」
「じゃあなんだ?」
こういうところが、彼のイジワルなところだと思う。
それでも
「…恋人、です」
と素直に答えてしまうのは、名前もそのやりとりが嫌いではない証拠だった。
ご褒美にキスを落としてくれる、その流れが好きなのだ。
ただ、今回の平門はキスをしてくれなかった。
「じゃあ、問題ないな」
と笑うだけだ。
「何が?」
名前は不満げに彼を見上げた。
「恋人相手にマフラーを編むのは、俺的には普通のことだと言ったんだ」
「…聞いてたの?」
「廊下まで駄々漏れだ」
「…恥ずかし」
バツが悪そうに名前は目をそらす。
それをグイっと正面を向かせた平門が、さっきお預けにされたキスをしてくれた。
いつもの優しいキス。
それから、いつものと違う乱暴なキス。
「…苦しい」
離れた直後に贅沢な文句を漏らした名前に、
「お前が苦しいと思う理由が、俺だけなら光栄だ」
と、平門は笑った。
いつもと違う、他意のない笑みだった。