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□優しいだけじゃ物足りない
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「はっ…はっ…」
私は今、誰よりも颯爽と走っているだろう。
生徒を抜け、廊下を走り、注意してくる先生も無視し、走る走る。
だって早く走らなければ掴まってしまうんだもの。
私の愛しい愛しい鬼に。
「待てるあああああああ!!!」
「きゃーこわーい」
叫びながら私に向かって一直線に走ってくる、愛しい私の鬼。
名前は新開隼人。正真正銘私の彼氏である。
私は棒読みでそう言い、笑顔でその鬼から逃げる。
楽しい、楽しい。
私は決して足は速い方ではないけれど、彼との鬼ごっこは楽しくて仕方ない。
「まァたやってやがんぞ、あいつら」
「全く、お互い気持ちの悪いほど好きあっているというのに、何をそんなに喧嘩することがあるんだろうな…」
風に乗って、そんな言葉が聞こえた。
それはきっと、彼のチームメイト兼私の同じクラスの東堂と荒北の会話だろう。
そう、私は決して隼人のことが嫌いなわけではない。むしろ大好きだ。愛している。
しかし、だ。
私は最近彼にいたずらをしては怒らせ、追いかけ回されている。
それも、あの鬼の形相で。
私達がこんな全力の鬼ごっこをするようになったのは、いつからだろう。
そう、今年のインターハイで、
彼がスプリント勝負で見せた、あの鬼の顔。
それを見てから、私の中の何かが動いた。
******
「棗、お前はなぜ隼人をからかうのだ。」
昼休みが終わって、午後の授業も難なくこなし、放課後。
隼人とデートの約束をしていたから、すこし寿一と話があるから待っててくれと言った彼を、私は教室で待っていた。
すると、教室で1人携帯をいじっていた私に近づいてきたのは、荒北と東堂だった。
東堂は口を開くと、私にそんな疑問を投げかけてきた。
「お前が走り回すから、あいつ最近足速くなったとか言ってたヨ」
「あら、いいことじゃない」
「良いことなわけあるか。お前隼人のことは好きなのだろう?なぜ怒らせるようなマネをするのだ」
東堂の言葉に、私はふふと微笑む。
なぜ?なぜってそんなの、決まっているじゃない。
「隼人、とても優しいじゃない?」
「あぁ、隼人は心優しい男だぞ」
「それが、物足りないのよ」
「…アァ?」
私の言葉に、確かに2人が怪訝そうな顔をしたのがわかった。
あぁ、違うのよ、物足りないから嫌いとかじゃなくて。
「優しい隼人は好き、すごい好き。今までずっとそうよ。
だけどね、あの日…そう、彼の中から出てきた鬼を見てしまった日から、私はその鬼がもっと見たくなって仕方ないの」
私のその言葉に、2人は更に顔を歪ませる。
何言ってるんだこいつって顔してる。面白い。
「その日から優しい隼人だけじゃ物足りないの。
彼の鬼をも愛してしまったから」
「なるほど…だからわざと隼人を怒らせ走らせているというわけか。
他の男に刺激を求めているわけではない、と」
「もちろんよ。隼人以外の男なんてごめんだわ。」
「とんだドMだなオマエ」
「ドSの荒北にそんなこと言われるなんて光栄ね」
私がニッコリそう言うと、荒北はニヤリと笑った。
自分のことをドMなんて思ったことはなかったけれど、でも隼人に追っかけられるのは好き。
…なんて、ドMの発言なのかしらね。
「だがほどほどにしておかないと、隼人にも愛想をつかされるぞ」
「そうね、程ほどにしないと。」
「白々しいなテメェ。あいつじゃなくても他に相手はゴロゴロいんだろーが」
「あらそんなことないわよ。私のことを好いてくれるのなんて隼人だけだもの。
…それとも、あなたが私のこと愛してくれるとでも?」
私がそう言い、荒北の頬を撫でる。
荒北はニヤリと笑い、私の手に自分の手を重ねる。
東堂はおいお前ら何しているんだと言いたげな顔で私達を交互に見る。
が、そんな顔をしていたのは東堂だけではなかった。
「……棗?」
私を呼ぶ愛しい声が聞こえ、私はもちろん荒北東堂もそちらを向く。
教室の出入り口に立って、私と荒北を呆然と見ていたのは、
隼人だった。
「隼人、遅かったわね。」
「何、してるんだ…?」
「何って、荒北に私を愛してくれるか聞いているのよ」
「お、おい棗!なぜ煽るようなことを…!!」
「………さねぇ」
私の発言に東堂が慌てる。
が、そんな私達の鼓膜を揺らした、低い声。
瞬間、荒北と重ね合わせていた方の私の手が、強く引かれる。
「そんなのっ…ゆるさねぇ!」
そう叫んで、隼人は私を教室の外へと引っ張る。
私はそんな隼人の顔にもゾクゾクとしてしまう。
教室を出る瞬間2人の方を見ると、東堂は顔を真っ青にさせていて、
それと対称的に、荒北は私を見てニヤリと笑っていた。
さすが野獣、全てわかっていたわけね。
「……荒北、貴様何故否定しなかった。」
「バァカ、俺は良い様に使われたんだヨ」
「なぬ?」
********
ダンッと壁に体を打ち付けられる。
すぐに隼人が私を壁との間に挟み、所謂壁ドンというやつをしてきた。
隼人の瞳は、とても怒りの色を濃く滲みだしていた。
あぁ、かっこいい、綺麗、隼人。
「棗、最近のおめさんは何だ?俺にキレられるようなことばっかりして」
「確信でやっているのよ、それは。」
「―っそれは、俺のことが嫌いになったからか?」
隼人が顔を俯かせて、私に聞いてきた。
何言ってるのよ、隼人。私があなたを嫌いになるなんてこと有り得ないじゃない。
私は俯いたままの隼人の頬に触れた。
「隼人、私があなたを嫌いになるわけないじゃない。バカなこと言わないで。」
「…じゃあ、なんで」
「私、あなたのことが好きよ。でもそれと同時に、あなたの鬼の顔もすごい好きなの。
だからわざとあなたを怒らせて、あなたにその顔をさせながら毎日あんな追いかけっこをしていたのよ。」
「…なんだよ、それ」
「ごめんなさい。いじめすぎてしまったかしら。」
私がそう言うと、隼人は首をブンブンと振った。
そして、下げていた頭を上げる。
「嫌われたのかと、思ってた…。
よかった、本当に。」
そういう隼人の瞳は、潤んでいて。
初めて見た隼人のその顔に、私の背筋がゾクゾクとしたのがわかった。
あぁ、この感じは、きっと―…
「好きだ、棗、愛してる」
「私もよ、隼人。」
抱きついてきた隼人に、私も応えるようにギュッと抱きしめた。
ねぇ隼人、あなたは私をあとどれだけ変えれば気が済むの。
先ほどみた隼人の泣きそうな顔が、私の脳内でずっとグルグルしていた。
そうだ、次は、
この顔をさせよう。
私は秘かに、口元を上げた。
優しいだけじゃ物足りない
(いろんなあなたをあいしたい)
*