第一書庫

□苦難の道
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遠ざかった意識の中で、あいつの泣き叫ぶ声が聞こえたーー




「笠…原?」

目を開けた視界に、白い天井がぼんやりと映る。
名を呼ばれた気がしたのに、周囲を見渡しても誰もいない。
まだ若干頭がボーっとしてはいるが、ここが医務室であるこは理解できた。
そして、ここに運ばれる前に起きたーー
いや、起こしてしまったトラブルも覚えている。

プライベートな手紙を取り上げようなど、上官といえども行き過ぎた行為だ。
職権乱用と罵られても文句は言えない。

手塚慧の揺さぶりを懸念しての行動だったが、あの時、揺さぶられたのは堂上自身だ。
あのまま勢いで行動してたら、部下の信用を失っていた可能性もあった。
そう思えば投げ飛ばしてでも、阻止してもらって感謝するべきだろう。
そもそも、部下に届いた郵便物を上官が取り上げる権限などない。


「何様だってんだ…俺は」

「……王子様、だろうね」

自己嫌悪に囚われ、額を抑えたところに聞き捨てならない呼称を使った同僚が現れた。

「小牧…」

「意識が戻ってたんだね…気分はどう?」

「最悪だ…身体はなんともないがな」

咄嗟の事で受け身を取れなかったとはいえ、鍛えてあるせいか、体の痛みは感じない。

それでも小牧は、まだ横になってた方がいいと言いながら、手近のパイプ椅子を引き寄せて腰掛ける。
堂上が大人しく天井を見上げて小さく溜息を吐いたのを皮切りに小牧はクツクツと笑い出した。


「いやー、見事な大外刈りだったよね…クククッ」

まさか、投げ飛ばすなんて、と続く言葉に堂上が眉間にこれでもかという程、皺を寄せる。

「上官を事務室で投げ飛ばすなんて前代未聞だ」

「いやー、あれは堂上が悪いよ」

「わかってる!悪くないとは言ってないぞ!」

呆れているのは投げ飛ばした部下に対してではなく、感情のままに行動した自分自身に対してだ。
冷静沈着ー
数年かけて手に入れたはずの自分の激情と行動の抑制。
それが、どうだ。
あいつの存在でそんなものはいずこの彼方へ、だ。
切り捨てても切り捨てても、郁が拾って堂上の目の前に突き出してくる。
教官、大事なもの落としてますよ。
と、言わんばかりに。
そんなお前が危なっかしくて、俺はいつだって余裕がなくなる。
だが、そう思うことすら責任転嫁でしかない。
ただの言い訳だーー


「あいつは…大丈夫だったか」

「あいつって…笠原さん?」

「他に誰がいるんだ…」

「手塚とか?」

「お前は俺をからかいにきたのか」

堂上が不快を露わに小牧を睨む。
まったく、柴崎といい、俺の周りには厄介な人間ばかりだ。
溜息まじりに呟くと、小牧は心外だなぁと満面の笑みを浮かべた。

「かなり取り乱してたよ?教官、死んじゃいやー!って…クク」

……幻聴じゃなかったか。
ぼんやりとした意識の中で聞いたのは確かに郁の声だった。
また泣きやがってーーアホウが。


「ん?どうかした?」

「いや、あのバカ…そう簡単に俺がくたばるか」

「あんまり煩いから手塚に託して堂上を運んだあと、俺が相談に乗ったけどね…」

相談…

ということは、手紙の内容ということか。
それを聞いてもよいものかー
堂上は少しの間考えていたが、読みの深い友人はお見通しだ。

「笠原さんに口止めされてるから言えないけどね」

「……聞きたいとは言ってないだろう」

「そう?堂上の顔は凄く聞きたそうだけどね」


ニコニコと笑顔を浮かべるこの同僚が時々悪魔に見えるのは気のせいだろうか。
明らかにこの事態を楽しんでいるだろう。

お前は意地が悪いーー

そう悪態をついてた堂上は、睡魔が襲ってきたのか、目を閉じた。

「堂上はもう少し休んでたほうがよさそうだね……笠原さんもそろそろ訓練から戻る頃だし…じゃあ、俺は行くよ」

小牧は、また来るからと立ち上がり、ドアに向かって行くと堂上の小さな呟きに驚いて足を止めた。


……苦しい。


滅多に聞けない堂上の本音。
何が苦しいのかなんて、愚問だった。

彼女に掻き乱されて苦しいー

長年の友人は堂上が戦っている心の葛藤にだいぶ前から気付いていた。

「堂上…どうしても自分の気持ちに嘘はつけないもんだよ」

お大事に、と爽やかな笑顔を残して同僚はドアの向こうに消えた。



いつか言えるだろうかーー

お前が探しているのは俺だと。

そして

6年前のあの日から、お前に惹かれていたと伝えたらー
お前はどんな顔をするんだろうな。

それでも、お前は笠原郁だから
体当たりで俺にぶつかってくるんだろう。

だから、俺はー

お前から目が離せない。


微睡みの中に沈んだ堂上は、さっきよりも穏やな顔で寝息を立て始めた。



END


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