それはまるで血のように流れる

□03--おぞましき触手で捕まえて
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side》》東条夏瑪

寝起きはすこぶる悪かった。起きたらどんな夢か忘れてしまうくらいきっとくだらない夢を見ていて、リビングに降りた時にはもういつもの登校時間の五分前をテレビの時計が告げていた。
いっそ昨日のあの出来事も夢ならいい。そう思いたくても掴まれた顎とグリップを握りすぎた手のひらの熱が“現実”だ、と私に告げている。

「おはよう夏瑪。...って、アンタどうしたのその隈!」

「なにって、寝不足」

「また例のバイト?」

「変な言い方しないで。交通整備だよ」

目の前の席に逆向きに座った友近の鮮やかな髪の色すら寝不足の私の目には眩しくみえた。チカチカする目を擦り、彼女のよく通る響く声に痛む頭を押さえた。
本当の理由なんて言えるわけがなかった。“ハンターをやっている”そんなこと公言してしまえば私はただの変人として世間から省かれてしまう。この世界で人としていきていくかぎり親友にすら嘘をつき続ける運命。それがハンターだ。

「寝不足はお肌の敵よ」

「奨学金もらってるんだもの。働かないと」

「あんた両親遠いところにすんでるんだもんね」

「...まあね」

ふと、自分は友千香にいくつ嘘をついているのだろうか、と思った。仕事のこと。寝不足の理由。怪我の理由。後ろから声をかけられたり、必用に後ろから近づかれることが苦手な理由。両親のこと。
ーーここにいる私は嘘で出来上がっている
友千香が私のことを心配してくれるたびに私は罪悪感に包まれる。だけどそれでも本当のことをいう気にはならなかった。
担任が教室に入ってきてしぶしぶ私に背中をむけた友千香のその背に心の中で何度謝っただろうか。胸が痛むのとは違う。込み上げてくる“疲労感”に私はそっとため息をついた。
担任の話なんてくだらないものがほとんどだ。一日の注意事項や今日あるイベントを説明して、プリントがあればそれを配る。なにも伝達のない日のホームルームの必要性が私にはわからないほどだ。
だというのに今日はなぜか担任の話を聞かなければならない気がした。眠気は絶好調だというのに、なにかが私に話を聞かずに寝に入ろうという気にさせない。

「まあ...早い話だが、転校生がきているんだ。こんな時期の転校だ。不安も多いと思うからみんな仲良くするように」

本当に“こんな時期”の転校だ。今はもう十月。高校二年生の今年ももうあと少ししかない。「入ってきていいぞ」と担任がドアの外に声をかけた。
やっぱり自分にとってどうでもいい話じゃないか、と珍しい行動をした自分に後悔をした。だけど顔を机につけようとして私は目に入ってきた姿に思いきり顔をあげた。さっきまでの眠気はどこへやら、すっかり目の覚めた私の目に映ったのはあの恐怖するほどきれいな青い瞳だった。

「な...なんで、」

「東条さん?」

振り向いたクラスメイトに首をふり、私は目を擦ってから少年、美風藍をみた。女の子たちの黄色い声でざわめく教室で自己紹介した美風藍はどっからどうみても“人間”の転校生だった。だけどその目は昨日の夜と変わることはなく鋭くて、教室の後ろに座る私を捕らえて離さない。

ーーまた会おうーー

あの言葉の意味を私はようやく理解した。意味のない言葉なんてない、と。祖父の言葉を思い出した。まったくその通りだと思った。

「美風の席は窓側のーー」

「すみません先生」

「お?どうした」

「ボク太陽の光が苦手で」

クラスを見回していた美風藍の目がその瞬間、窓側の席に座っていた私を見ていた。笑った唇があまりに憎たらしかった。
ーー気づかないわけがない
夜、私は制服姿だった。それに吸血鬼は夜目が聞く。見えないなんて言い訳に私が騙される訳がない。

「そうだな...七海、今日の昼休みに美風にこの学校を案内してやれ」

「っは、はい!」

声をあげたのは美風藍の座ることになった席の二つ前に座っている春歌ちゃんだった。他の女の子とかわらず頬を赤く染める春歌ちゃんに不安を感じないことはない。だけどここは学校で、案内をするのは昼間だ。牙の餌食になる心配はないだろう。吸血鬼が“吸血鬼”になるのは闇のなかでだけだと私は知っている。
美風藍は席につくまで私から目をそらすことはなかった。ドクリ、と冷や汗が背中に伝うのを感じ、私は自分から目を反らした。

「東条さん大丈夫?」

「え?」

「顔、青いよ?」

手鏡は持っていなかった。だけど手を当てた唇は真っ青なのを意味するように冷たくなっていた。吐き出した息がやけに熱く感じた。



(信じられないような現実。本当に夢ならよかったのに)

御題処:『神威 様』からgrotesque-10(03-おぞましき触手で捕まえて)

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