それはまるで血のように流れる

□02--たのしい食卓
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side》》美風藍

部屋の扉をあけたその途端、現れたのは茶髪の男だった。エプロンをつけ、両手を顔の真下で組んだ男、レイジにため息しか出てこない。

「おかえりなさい!エナジーブレッドにする?それとも棺?それともぼーーっぶ!」

ぼくちん?と、何百回と繰り返された言葉を遮ったのはボクの右拳だった。最初に振り上げた足の軌道は完璧に読まれていた。それも無理はない。ボクたちはすでにこのやり取りを数えるのが億劫になるほどやり続けている。言ってしまえばレイジは飽きずによく同じことを繰り返せる。
壁に埋まったレイジを救出することなく靴を脱ぎ捨て冷蔵庫に向かった。その中にはドロドロの真っ赤な液体が満タンに入ったボトルが3本だけ虚しくたっていた。

「一昨日注文しておいたよ」

「へぇ。レイジにしては気が利くじゃん」

「アイアイ酷い!」

取り出した瓶の蓋を開ければ甘い香りが辺りに漂った。ソファーに座る手間も惜しく感じてたったまま瓶の中身を喉に流し込んだ。「アイアイお風呂上がりのお父さんみたい」といったレイジを無視した。
そもそも日本人のお父さんはお風呂上がりに赤い液体なんて飲まない。飲むのは黄金色の泡のたっている苦い炭酸だ。たしか名前をビールといったはずだとため息をつきながらおもった。
エナジーブレッドは言ってしまえば人間の血を複製した飲み物だ。ボクたち吸血鬼が生きるのに人間の血は必要不可欠だ。だけどいつでもその血がのめるわけでもない。この世にハンターがいる限りボクたち“人でない生き物”は殺される定めにある、とでもいうかのように命の危機に脅かされている。
ーー同じ生き物だっていうのにまったくだ
同時に人間がいてこそボクたちの生活が成り立っているのは事実。実際に人間に害をなす“見えざるものたち”もいる。ハンターの存在だって必要なのだ、とわかっている。
だからこそのエナジードリンクだった。人間の血ほど美味しくないものの、そこらの動物の血よりははるかに美味しい。吸血鬼のために吸血鬼が研究して産み出した代物だ。

「アイアイ、今日はやけに匂うんだけど」

「加齢臭は出てないとおもうけど。それにレイジのほうが年上」

「いやいや、そうじゃないよー」

首筋に鼻を寄せてきたレイジの前髪が少しだけくすぐったかった。気づけば半分中身の残っていたボトルはレイジの手の中に奪われていた。
ボクたちの目の前に置かれたテレビの中では定められた期限のうちに人間の血を吸わなければこの世界から消えてしまうという吸血鬼と人間の女の恋物語が演じられている。「この吸血鬼、不便だね」とレイジが笑った。

「で、どいうこと?」

「なにが」

「匂うって」

「あー、なんというか...人間の匂い?にしてもいい匂い」

さらに鼻を近づけたレイジにさすがに鬱陶しくなった。ボクが立ち上がるとレイジは見事にソファーに顔から落ちた。同じ吸血鬼だというのにどうしてこの男はこんなにどんくさいのか。

ーーこのまま君を見殺しにすることもできる。ねぇ、君はまだこの世界を見ていたい?ーー

だいたい百年前、ボクに声をかけた男とこの男がとても同じ人物とは思えない。吸血鬼も“不死”とはいえ老けていくのだろうか。否、不死ではない。死ぬことはできる。そして殺されることだってある。

「...ハンターに会ったよ」

「ええ!?」

「けっこう可愛い子だった」

「もっと、ええーー!!?」

「ボクのこと殺そうとして震えてて、思わず食べちゃいそうだった」

もうレイジは叫ばなかった。変わりにソファーの上で震えたかと思えば「アイアイばっかりずるいー...、」と消え入りそうな声で囁いてボクのことを睨み付けた。

「そういえばさ、あの手続き、すんでるの?」

「もちろん!ばっちぐーっだよ!」

「そっか」

どこから取り出したのかレイジが小さなテーブルに叩きつけたのは二冊のパンフレットだった。ボクはそれを片手にとることなくあと一口だけ残っているボトルをレイジから奪い返し、それを飲み干した。

「わかってるとおもうけど、ハンターがいるってことは...そういうことだからね」

「わかってるよ。変なレイジ」

レイジはそれ以上何も言わなかった。彼はもしかして何かを“視た”のかもしれないと思った。だけどそれを言わないレイジにただ苛立った。
舌打ちを舌打ちをしたボクにレイジは少しだけ悲しそうに笑った。


(そんな顔されたら放っておくなといわれているような気になるよ)

御題処:『神威 様』からgrotesque-10(02 たのしい食卓)

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