PINK CAT
□剥落する鱗
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―:6『剥落する鱗』―
目覚めた時には既に、クライアントの姿は無かった。
鉛のような身体の気怠さも、湿ったシルクの蒼い臭いも、何もかも変わらぬ日曜の朝。
女神が抱く時の報せは、まだ朝方の5時前。
身を抱いて再び瞼を閉じるけれど、その暗闇に意識を預ける事が出来ずに―――僕は羽から抜け出す。
ふらふらとしながらバスルームへ向かい、少し熱めのシャワーを浴びた。
下肢にジワリとした何時もの痛みが走り、眉根を寄せ。
身体を洗い流し、脱衣場の姿見に写る自分と目を合わせ溜息をひとつついて―――ゆっくりと着替えを済ませた。
今は妄想する理由さえ見付からず、空っぽの明日が待っているだけの日々。
それにすら慣れてしまった筈の僕なのに。
自分の漏らした言葉の呪縛から、どうしても逃れられずに居る……。
(………帰ろう)
未だふらつく身体をしゃんとさせ、僕は此処を立ち去った。
街はまだ、うっすらと霧の中。
最寄り駅への近道は、ホテル裏の公園を抜けるルート。
クレマチスのアーチを抜けると、中央に大きな桜の木がある。
長い冬を越した枝先に、訪れる春の息吹が芽を出していた。
僕はぼんやりとそれを眺めて、桜の花が咲き乱れる光景を思い描く。
繰り返される季節の中。
僕の中に芽生えた『ある感情』にそれは似ていて。
今朝の目覚めにも沸き上がったそれに小さく首を振るけれど、否定出来なくなっている自分が怖かった。
桜の木……巡り来る季節に僕は、変わりゆく僕自身を眺めている。
失いつつある、遠く儚い想いを抱きながら―――。
「では明日、地裁で。」
「ええ。宜しく、成歩堂さん」
この依頼人との握手も、明日が最終となる。
昨年末から続いていた長期の公判に、漸く終止符が打たれる迄となった。
僕にとっては1番長い仕事だったから、成し遂げたという嬉しさと安堵感に満たされながらその手を握り返す。
「ああ、そうだ――明日の公判後、宜しければ食事のひとつでも、お付き合い願えませんかね?今まで御礼のひとつも出来なかったものですから」
「え……いや、そんな気を遣って頂かなくても……」
やんわりと断ろうとはするものの依頼人は全く譲らず―――結局僕は根負けして、その誘いを受諾したのだった。
「それでは、明日に…」
高級外車からニコリと笑う依頼人を見送り、僕は次の予定へと向かう。
次は……検事局。
この仕事はクライアント経由であったから、報告が義務付けられている。
携帯で受付にコールを入れアポイントの確認をしながら、僕は客待ちのタクシーへと乗り込んだ。