短編 2nd

□風邪を引いた日の出来事
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 朝起きると、なんだか身体が重かった。
 やけにぼうっとして、物事がイマイチ判断できない。
 妙に身体が熱くて、ふらふらして、どうしたんだろう?

「……ま、いっか。学校学校…と」

 でも気にしてなどいられない。
 見れば時計はいつもの起床時間の二時間オーバーを表示してるし(現在七時)、完全に寝過ごしてしまった。
 そのことに慌てていない私はやっぱりどこかおかしいのだと思ったけど、取り敢えず私は着替えを済まして顔を洗いに下へ降りた。




「……おはよう…お義母さん」

 顔を洗って居間に行くと、私の顔を見たお義母さんが驚いた顔をしていた。

「ちょ、ちょっとヒナちゃん!? どうしたの!?」
「え…? 何が…?」
「凄く顔色が悪いじゃない! ちょっとこっちに来なさい!」

 そう言うやいなや、私の手を引いてお義母さんは戸棚の方へと歩き出す。
 すぐそこまで、その距離を移動するだけで身体と頭が悲鳴を上げていた。
 やっぱり今日の私は、どこかおかしいらしい。


「ほらヒナちゃん、熱測って」


 救急箱から体温計を取り出し、お義母さんは、私に差し出した。

「…? 何で?」

 その行動に首を傾げていると、珍しくお義母さんが大きな声を上げた。

「当たり前でしょ! ヒナちゃん絶対熱あるんだから」

 はやくしなさい、とお義母さんに促され、私は渋々体温計を脇に挟む。
 考え事をしているお義母さんに見つめられること、数分。


「あ…終わった」

 短い電子音がなり、私は表示されている体温をお義母さんに見せた。

「38度……。やっぱり風邪ね、ヒナちゃん。
 今日は学校休んで、大人しくしていること」

 そう言ってお義母さんは電話機を取り出し、番号を押し始めた。
 私は慌てて、お義母さんに言う。

「ちょ、ちょっとお義母さん…? 全然大丈夫だから私学校に行くわ―――」

 そんなもの、授業を受けていれば勝手に治る。
 そう言おうとしたのだが、

「――――!?」

 少し大きな声を出しただけで視界が歪み、思わず膝をついてしまった。

「大丈夫なわけないじゃない。今日は休みなさい」

 一端電話を置いて、お義母さんが寄ってくる。

「風邪引きは寝てなさい」

 珍しく強い口調のお義母さんの声が頭にズキンズキン響いて、もはや声も出せる気力がない。

「じゃあ学校に電話してヒナちゃんの着替え持って来るから、そこのソファに横になってて」

 どうやら本当に今日は無理のようだ。

 仕方なく小さく首を縦に振ると、お義母さんはよし、と頷き言う。

「あぁそれから、私今日用事あってヒナちゃんの看病できないから、変わりに人呼んどくわね。心配しなくて大丈夫よ、絶対信用できる人だから♪」


 随分と気に障るような言い方だった。

「なんて…無責任な…」

 心配してくれていたと思っていたのに、人任せか。
 駄目だ、頭が痛い。二つの意味で。
 大丈夫よぉ、とにへらと笑うお義母さんの顔が、ぐにゃりと歪む。

「あ、やば……」

 お義母さんの一言が止めだったのか、ただ私の限界が来たのかは知らないが、私の意識はそこで一度、ブラックアウトした。




 …




「ん……?」

 頭にひんやりとした物を感じ、私は目を覚ました。
 眠気眼で辺りを見回せば、どうやらここは私の部屋だった。

「あれ……?」

 確か自分はソファで気を失ったはず。
 お義母さんがあの後運んでくれたのだろうか?
 まだ覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと考える。

 ――となると、このタオルはお義母さんか。
 パジャマにも着替えさせられてるし。暑かったからだろう、胸元が少々はだけてはいるけれど。

 なんだかんだで世話をしてくれるんだなぁ、と一人思っていると、部屋の扉がノックされた。

「あ、はい」

 きっとお義母さんだろう。そろそろ起きる頃だと思って何か食べ物を持ってきてくれたのかもしれない。
 幸いというかなんというか、朝から何も食べていないのでお腹はぺこぺこだった。

「お義母さ―――」
「あ、目が覚めました?」
「――んへ?」

 お腹すいた、と言おうとしたのだ、一応。
 でも、その言葉が私の口から出ることはなく、代わりに凄く間抜けな言葉が出た。

 気のせいだろうか?まだ寝ぼけているのだろうか?
 私の部屋に入ってきたのが、凄く聞き覚えのある声と、見覚えのある顔だったのだけれど。

「おはようございます、ヒナギクさん。 …といっても、もうお昼ですけど」

 思い切り目をごしごしと擦り、じーっと再びその人物の顔を見る。
 もしかしたら、本当はお義母さんなのかもしれない。

「あの…ヒナギクさん?」
「なん…で……」

 けれどやっぱり、お義母さんではなかった。

「そりゃ、お義母様に頼まれたからに決まっているでしょう?」

 私の部屋に入ってきたのは、何を言っているんですか、と苦笑いを浮かべている綾崎ハヤテ君だった。



 柔らかな笑みを浮かべる彼に再度、質問をしたくなったのだが、そこで私の意識が飛ぶ前の会話を思い出した。

『私今日用事あってヒナちゃんの看病できないから、変わりに人呼んどくわね』

 ………そう。その変わりの人が彼か。

 恐らくお義母さんが私の携帯からハヤテ君へ連絡したのだろう。
 美希たちに連絡せず彼に電話したことに、物凄く作為的な何かを感じるけれど。

「お母様から連絡を貰ったときは驚きましたが、顔色も良くなっている様なので安心しました」
「あの……」
「はい?」

 大体の事情は理解出来たので、とりあえず私は彼に聞かねばならないことがある。
 首を傾げる彼に、私は尋ねた。

「着替えは…ハヤテ君が…?」

 そう、これだ。
 お義母さんが着替えさせてくれたのだろうが、あの人のこと。
 『もしも』があってもおかしくは無い。
 私の言葉にキョトンとしたハヤテ君だったが、言葉の意味を理解すると顔を真っ赤にさせて首をぶんぶん横に振った。

「な、な、何言ってるんですか!? そんなわけ無いでしょう!!」

 お義母様がしましたよ、と俯きながら話すハヤテ君を見て胸を撫で下ろす。
 やっぱり、ハヤテ君に聞いたのは杞憂だったようだ。
 でも、そこまで必死に否定されると複雑な気分になったりするのだが……まぁ、いいや。

「そ、そう……」
「そうですよ……」


 なんだか恥ずかしくなって、会話がなくなる。
 生暖かい沈黙が流れ、けれどもそれは決して嫌なものじゃなくて。

「………」

 この時間が続けばいいな、なんて思ったり……。
 目が覚めて、一番に大好きな人がいてくれたこと。
 こんなに嬉しいことはない。
 無責任だと思ったが、今はお義母さんに感謝したかった。

「あの……ハヤテ君学校は…」
「事情を話したら先生も行ってやれと仰ってましたよ。だから問題ないです」
「そう……なんだ」

 私のために学校まで休んでくれる私の大好きな人。
 その人と過ごす、静かな、幸せな時間。


 ―――くぅ。


 そんな素晴らしい時間をぶち壊してくれやがったのは、私のお腹の音だった。
 そういえばお腹空いてるのだった……っ!



「………」
「ち、ちがっ! 今のは私じゃなくて!」


 ハヤテ君がこちらの見てくる。
 それが物凄く恥ずかしい。

 その視線が恥ずかしくて死んでしまいそうだ。


 ―――くう。


 ようし、どうなったらお腹の音ってミュート設定できるのかしら?
 あれ? あれなのね?
 一発ぶん殴っちゃえばもう音ならなくなるんじゃない?

 
「……し、じゃあ、お腹が減っているみたいなので僕、お粥作ってきますね」
「なっ!?」
「す、すぐ出来ると思う……ので」


 ちら、とハヤテ君を見れば、物凄く笑いを堪えた表情を浮かべていた。
 ハヤテ君は私にそう言い残して部屋から出て行く。

 私に何か言う暇すら与えず。

 私はそんな彼をジト目で睨みつけると(私の責任なのだけど)、枕を私のお腹に見立てて恥ずかしさとともに思いっきりぶん殴ったのだった。

 ボスン、という鈍い音とハヤテ君の笑い声が聞こえてきたのはほぼ同時である。
 ふう、と一息ついて、私は枕に頭を乗せた。


「でも…。…たまにはいいかな」


 赤い顔のまま天井を見上げ、私は呟く。
 好きな人が、自分の面倒を見てくれるこの現状。
 好きな人を傍に感じながら眠れる安心感と幸福感。

「(どうせなら、もっと甘えちゃおうかな…)」

 それらに浸っていると、ふとそんなことを思った。
 普段素直になれないのだから、こんなと時ぐらいはいいではないか。
 だから試しに、ハヤテ君がお粥を持ってきたら、『食べさせて』とでも言ってみよう。

 きっと私もハヤテ君も顔が真っ赤になるだろうけれど、

「せっかくの風邪だし…ね」

 その時はこの熱の所為にしよう、なんてことを思いながら、私はハヤテ君が部屋へ入ってくるのを心待ちにするのだった。


 ――素直じゃない私がほんの少し素直になれる、風邪を引いた日のそんな出来事の続きを。




 この後、私のパジャマの胸元がはだけていることに気づいた私とハヤテ君がもう一度悶えることになるのだけれど、この話は恥ずかしいのでいわないことにする。




End




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