短編 2nd

□良いヒナの日
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「ハヤテ君、今日は良いヒナの日なんですって」


 居間で新聞を流し読みしていた僕に、そんな声が掛けられたのは、11月17日の朝である。

 僕の部屋のキッチンから聞こえた声に、僕は目を新聞から声の主へと視線を移す。


「良いヒナの日なんですって」


 キッチンのコンロの上では、味噌汁の入った小鍋がコトコトと小気味良い音を響かせている。

 その真横から。

 冬の近さを感じさせない、桜色の髪をした彼女が、僕の目を見て改めてそう言った。

 もはや誰と言うまい。ヒナギクさんである。

 何故か朝から僕の部屋に居る、ヒナギクさんだ。


「ヒナの日、ですか」

「うん、ヒナの日」


 さて、ここで簡単に、僕の置かれている状況について説明しておこう。

 激しい戦いを終え、けじめとばかりにお嬢様の元から離れた僕であったわけだが。

 最後に学び舎だった白皇の校舎を見てから立ち去ろうとした時、まんまとヒナギクさんに見つかってしまったのである。

 僕を呼び止め、駆けつけて。

 緊張で震える手を制服を握って誤魔化しながら、



『私――あなたのことが――!』



 ヒナギクさんの勇気の一言。

 出会った時と同じ満開の桜の下で、彼女が切なく、そして決意を宿した瞳で僕を見て放とうとした一言。


 もし仮に、彼女の言葉に僕が答えていれば、物語は変わっていたかもしれない。

 もしくは終わっていたかもしれない。



 彼女の言葉に、僕が返した言葉はというと、





『いえ、人違いです』















「どこかの誰かさんが人の告白を台無しにして、半年以上経つのよねぇ〜」

「うっ……」



 ヒナギクさんの僕を見る目がジト目に変わる。

 言わずもがな、この状況を作り出した張本人は僕だったのである。


 人違いを理由に校門へ疾風の如く駆け出した僕を見て、ヒナギクさんはガチギレ。

 ガチギレである。

 人生最大の緊張と勇気を伴った告白に、背を向けられたのである。


 音速で僕の頬を掠めた白桜を思い出すと、今でも背筋が凍る。

 そこからは僕とヒナギクさんの、まさに命を掛けた鬼ごっこ。


 デットバイデイライトである。


 ヒナギクさんの怒りはそらもう治まりがつかず、逃げる僕をどこまでも追いかけた。

 美しく待っていた桜が、夜桜としてライトアップされるくらいには激しいチェイスを繰り広げていたのである。

 あまりのしつこさにどんなスタミナだと後ろを振り返ってみれば、白桜に乗ってた。

 道交法? なのそれ美味しいの? と言わんばかりに、ひたすら真っ直ぐに僕だけを見ていた。

 ついでに剣先も僕を向いていた。少しばかり殺意を感じて泣きそうになった。


 走りっぱなしの僕と、ソード○ットで追跡する彼女。もちろんどちらが先にバテたかは言うまでもなく。

 ついに捕まった僕に、怒りなのか照れなのか、顔を真赤にしながらヒナギクさんが言った言葉は、



『私も一緒に暮らすから!』



 ……とまぁ、こういうことであった。

 当時の、というか今もであるが、僕の暮らしている部屋というのは都内でも安値の部類に入るアパートだ。

 一応トイレはあるが、風呂はない。

 ましてや年頃の男が一人で暮らしている部屋である。

 そんな所に一緒に住ませるわけにはいかないと説得はしたのだが、



『ヒナちゃんを宜しくおねがいします』



 深夜であるにも関わらず、菓子折りとともに満面の笑みを持ってきたお義母様を見て、僕は諦めた。



 そんなこんなで早半年。

 ヒナギクさんは僕のアパートから学校へ通い、僕は以前お世話になっていた自転車配達を始め、複数のアルバイトを掛け持ちしながら暮らしていた。


 ちなみに一緒に暮らしていることは、ヒナギクさんのご両親以外内緒である。

 余計な混乱は互いに嫌だったからそれは良いのだが。



(朝起きて、ヒナギクさんが台所で朝食を作ってくれているこの状況に慣れている自分が怖い……)



 住めば都、暮らせば都である。

 ヒナギクさんのジト目に目を反らしながら、僕は思う。


 ヒナギクさんの告白に返事をしないまま半年以上が過ぎ、ヒナギクさんも答えを求めてくることは一度もなかった。

 当たり前のように朝起き、夜に寝て、また朝の挨拶を交わす。

 一人で生きていくと決めて、皆の前から姿を消した。そのはずだったのにどうしてこうなったのか。


「ちょっとハヤテ君? どこ見てるのよ」

「ああ、すみません……」

「もう、ほら、朝ごはん出来るわよ」

「了解であります、大佐」

「誰が大佐よ」


 二人でご飯をよそい、小さなテーブルに運ぶ。

 焼き魚に味噌汁、そして白米。ゴキゲンな朝食だ。


「それで、さっきの話なんですが……『良いヒナの日』とは?」


 味噌汁で箸を濡らしながら、僕はヒナギクさんに尋ねた。

 一年365日、様々な記念日はあるが、ヒナギクさんの言う記念日には覚えがなかった。


「すみません、どういう日なのかさっぱり分からなくて」


 教えてください、と頭を下げる僕に、ヒナギクさんはぷっ、と小さく吹き出した。


「ごめんごめん、真に受けないで? ただの語呂合わせみたいなものだから」

「語呂合わせ? ……ああ! なるほど」


 11月17日。

 11 17良い ヒナの日ということか。


「……これ、もはやダジャレでは?」

「…………別に良いでしょ」


 ヒナギクさんが目を反らす。

 少し頬が赤い。もしかしなくても恥ずかしくて照れているのだろう。

 その姿が可愛くて、笑みが溢れる。


「……あはは」

「何よぉ……」

「いえ、可愛いなって」

「――――! 恥ずかしいこと言わないでよね!」


 僕の言葉に更に赤くなるヒナギクさんを見て、僕は思う。

 色々あったが、今こうして一緒に暮らせて良かったな、と。

 お嬢様と出会い、一人だった世界に彩りが生まれ、ヒナギクさんとの暮らしの中で、一層鮮やかになっていく。

 一人で生きていくと思っていた頃が、今では随分懐かしく感じる。


「ヒナギクさん、やっぱり今日は良いヒナの日なんかじゃないです」

「え……?」



 僕の言葉に、ヒナギクさんの目が揺れる。出会った頃から変わらない、宝石のような瞳だ。

 この瞳に、一体どれだけ助けられたのかと思うと、彼女への恩は尽きることはない。

 だから、精一杯の感謝と想いを込めて、ヒナギクさんにこの言葉を贈ろう。





「ヒナギクさんのおかげで、僕にとっては毎日が『良いヒナの日』ですから」





 この恩は尽きることはない。おそらく、”一生かけても”返せるか分からないものだ。

 ならば、僕は僕に出来る精一杯を彼女に返していきたいと思った。





「な……ななな……!」

「あはは。ヒナギクさん、顔真っ赤」

「誰のせいよ誰の!!!!」




 もう火が出るんじゃないかというくらい真っ赤な彼女。

 こんな可愛い子が、僕なんかに勇気を出して告白してくれたなんて、本当に夢みたいである。

 だからこそ、まず最初に返す恩は、告白の言葉にしよう。


 いつまでもこの日常が続けられるよう、僕なりの誠意と想いを込めた言葉を贈ろう。

 とっておきのプレゼントと一緒に。






(指輪って、給料何ヶ月分だったかなあ……?)






 遠く、そして近い未来に想いを馳せながら、頭の中で家計簿とにらめっこする。

 遠くない出費を思うと頭は痛くなるが、彼女の笑顔を思い浮かべると、「まぁ安いもんだ」と一人で笑ったのだった。



 そんな、11月17日の、ありふれた幸せな一コマ。






終われ。 



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