短編

□七夕
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 …



 月が綺麗に夜空に浮かんでいる頃には、笹には皆の短冊が吊るされていた。

「おー」
「まあ……」

 その出来栄えを見て、ナギとアリスちゃんが感嘆の声をあげる。
 ナギはあれだけのはしゃぎようから見ればわかるけれど、アリスちゃんも声を洩らしたのは恐らく、ずっと海外で暮らしていたから、日本の風習が新鮮に見えるのだろう。
 ほうほう、と笹と短冊を交互に見ながら、アホ毛(でいいのかしら?)をブンブンと揺らしている。
 ちょっと微笑ましい。

「さて……と」

 アリスちゃんの様子に和みながら、私も笹に近づく。
 折角皆で短冊を吊るしたのだし、他の皆はどんな願い事をしているのか、気になるのは当然だった。
 人のお願いごとを見るのは何となく気が引けるのだけど、皆も大体同じような事をしているので問題はないだろう。

「皆はどんなお願いごとをしているのかしら?」

 まず一枚目。
 手始めに手前の短冊を手にとって見る。

『夏コミ!!』

 力強く、気合の込められた文字が短冊には書かれていた。
 この字は……ナギかしら?
 近頃ハル子とルカさんとナギの三人で、夏コミがどーのこーの、と揉めていた気がする。
 だからこれはナギの短冊だろう。
 夏コミ、というものは良く分からないのだけれど、三人の様子を見る限り、彼女らにとって大きなイベントなのだろうことは分かる。
 それに向けてどれだけ気合が入っているのかも。
 短冊に願いとして書くほど張り切っているのだから、是非成功して欲しい、そう思う。


 次の短冊を見てみる。
 ナギから少し離れた、薄茶色の短冊。
 それを手にとって、顔を近づける。

『ナギが真人間になりますように』

 凄く丁寧な文字でそう書かれていた。
 これは誰の願いなのか、なんて考える必要もない。

「マリアさん……」

 文字からでも、それがどれほど切に願われたのかが分かってしまった。
 マリアさんの日々の苦労と努力に、思わず目頭が熱くなる。

「私も協力しよう。折角ここに住んでいるのだし」

 普段お世話になっている分、出来ることはしてあげよう、と心に誓った。


 そして次の短冊へ。
 淡黄色のその短冊は、他の短冊に比べてかなり低いところに吊るされていた。
 位置から考えてこれは、アリスちゃんの物だろう。
 少し身を屈んでそれを見てみる。

『力が欲しいです』


 小さな女の子が書いたとは思えない位に綺麗な字で、そう書かれていた。

「力……? 一体何のことかしら?」

 アリスちゃんとはもう二ヶ月位の付き合いになるけれど、まだまだ謎の多い少女である。
 どこかの国のお姫様と言っていたし、アリスちゃんはアリスちゃんできっと色々思うところがあるのだろう。

「……人様の家の事情を詮索するのは良くないわよね」

 書かれている『力』が何なのか気になるけれど、考えるのはここまでにしよう。
 人は人だ。

 と、言うわけで次の短冊へ。
 お、次は真っ白な短冊だ。
 見てみると、几帳面な文字で願い事が書かれていた。

『平穏』

「……これはハル子ね」

 何だか物凄く無難な願いごとを書いているように感じるけれど、ハル子らしいと言えばハル子らしい。
 真剣に悩んでこの願い事を考えているハル子を想像して、少し和んだ。

「平穏……ねえ」

 確かにムラサキ荘に住んでいると、平穏からは少しだけ離れた騒がしさがある。
 連日ナギとハル子の言い争う声だったり、ナギの怒鳴り声だったり、ナギの我儘だったり。

「…………」

 何か、ハル子の願い事をナギが全てぶち壊しているような気がしなくもないけど、気にしない気にしない。
 あの二人、まるで姉妹を見ているようで微笑ましいのよね。

「ふふ」

 つい思い出してしまって、口元が緩む。
 あんな光景を毎日目にすることが出来るのだから、ここでの生活だって悪いものじゃない。

 騒がしい二人に幸あれ、と、心の中でそんなことを思いつつ、最後の短冊へと移る。
 最後の短冊は水色。
 お分かりであろう、ハヤテ君の願い事である。

「ど、どんな願いごとをしているのかしら……?」

 (皆には申し訳ないけれど)今までの短冊を見る時と違って、胸が凄くドキドキしている。
 好きな人の願い事。
 気にならないわけがない。
 今まで以上の背徳感を感じながら、少し汗ばんだ手で短冊を掴んだ。

 ハヤテ君らしい、几帳面な字で書かれていた願い事。
 それを見た瞬間、私は思った。

「……あはは」

 ハヤテ君らしい、と。


『皆さんの願い事が叶いますように』


 水色の短冊に書かれていたのが、それ。
 自分よりも相手の事を思っている辺りが、本当にハヤテ君らしいというかなんというか。

「本当に欲が無いんだから」

 そんな優しいハヤテ君だからこそ、私は好きなのだけれど、しかし苦笑してしまう。

「これは一言言わないとダメね」

 そっと短冊を元の場所に戻して、私は笹の前から移動する。
 足先を向ける相手は、笹からハヤテ君へ。


「ハヤテ君」
「あ、ヒナギクさん」

 ハヤテ君は笹から少し離れた、縁側に腰掛けていた。
 私はその隣に腰を下ろす。

「どうかされましたか?」

 隣に腰掛けた私に視線を向けて、ハヤテ君がそう尋ねてくる。

「ちょっとハヤテ君に言いたいことがあってね」
「はい?」

 願い事を見てしまった手前偉そうには言えないのだけれど、どうしても言っておきたいことがあった。
 不思議な表情を浮かべてきょとんとしているハヤテ君に、私は言う。

「願い事」
「え? ああ、七夕のですか」
「そう。あのね、私ハヤテ君の願い事見ちゃったんだけど」
「あ、そうなんですか」
「それで、ハヤテ君の願い事のことなのだけれど……」
「……いや、願い事、と言われてまっさきに浮かんだのがアレだったもので……あはは……」

 ダメでしたか? と苦笑しながら問いかけてくるハヤテ君に、私は「全然」と首を横に振る。

「とってもハヤテ君らしいな、と思ったわ」
「そ、そうですか。良かった」

 ほっ、と胸を撫で下ろすハヤテ君。
 そんなハヤテ君に、「でも」と私は言葉をかける。

「今のままじゃハヤテ君の願い事は叶いそうもないわね」
「……そうなんですか?」
「ええ」

 そう、言いたかったのはそれ。
 ハヤテ君の願い事はハヤテ君らしいし、とても素晴らしい願い事だと思う。
 私としては、七夕の短冊くらいはもう少し自分のための願い事を書いてもいいのではないか、とは思うけど。
 でも、今のままではハヤテ君の願い事は叶わない。
 だから、私はハヤテ君の元へと来たのだった。

「あの……差支えなければ理由を聞いてもいいですか?」
「ええ、良いわよ」

 恐る恐ると言った様子で、ハヤテ君が尋ねてくる。
 私の言葉の真意を掴みかねているようだった。
 でも、そこまで心配するようなものではない。
 私がハヤテ君の願いが叶わないと言ったのは、私の願いごとを叶えるためには、ハヤテ君の存在が必要不可欠だから。
 だから。

「ハヤテ君」
「はい?」
「これ」

 だから、私はポケットから桜色の短冊を出して、ハヤテ君に手渡した。

「これは……?」
「私の願い事が書かれた短冊よ」
「はあ。でも、これが僕の願い事が叶わないことと、なんの関係が……」
「ふふ、それはハヤテ君自身が気づかなければいけないことよ」

 ハヤテ君の返事を聞く前に、私は立ち上がる。
 愛歌さんまでとはいかないけれど、意味深な笑顔をハヤテ君に向けて。

「取り敢えず、私の願い事はそれだから」
「あ、ちょっとヒナギクさん?」
「じゃあおやすみなさい」

 ひらひら、と手を振ってハヤテ君に別れを告げて、部屋へと引き返す。
 ハヤテ君の方へは振り返らない。
 振り返ってしまったら、この真っ赤な顔を見せてしまうから。
 我ながら大胆なことをしただろうか、と思わなくもない。
 でもハヤテ君の、そして私の願い事を叶えるためにはこの方法が一番だったと思ったから。

 私が短冊に書いた願い事。
 それは―――。


『ハヤテ君の鈍感が直りますように』


 もはや願わなければならないくらいの、彼の鈍感を直して欲しい。
 そして私の想いに気づいて欲しい。
 それが短冊に込めた、私の願い事。
 自分でも分かるくらい、私は素直じゃないから。
 私から告白なんて絶対出来そうにないから。

 ハヤテ君は私がハヤテ君を好きになることなんてありえないと思っている節がある。
 だからまずその認識を改めさせるためにも、ハヤテ君には想いに気づいてもらう必要があった。
 そのためのアクション。

「気づいてくれるかな、ハヤテ君」

 部屋の窓から顔を出し、星を見上げて呟いて。

「……お楽しみの所悪いけど、今日くらいは応援してくださいね」

 一年に一度しか逢えないのは御免だけれど、私も貴方達のように、ハヤテ君と一緒になりたいから。
 好きな人と一緒に居たいから。
 川の向こうで寄り添い合っているであろう恋人たちに向けて、強く願った。


「私ったら何言ってるんだか。さあ明日も早いし、寝よ寝よ」


 その願いが聞こえたのか、聞こえてないのか。
 そんなことは分かるはずもないけれど、まるで願いを聞き入れたと言っているかのように、流れ星が一つ、天の川が輝く夜空に流れたのだった。


 そんな七月七日、七夕の日のこと。




















 ちなみに。


「あ」



 私が、予習と復習もろもろをしていないことに気づいたのは、布団をかぶってからである。
 お、お風呂にはちゃんと入ったんだから!






End




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